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ロボットと労働と身元不明遺体

 その青年実業家は、気持ち良さそうに喋っていた。もちろん、不機嫌に語られるよりはその方がずっと良いのだけれど、それでも僕はちょっと困っていた。

 「いずれ、人間はほとんど働かなくて良い時代が来るのではないかと私は考えています。大体、意味がないでしょう? ロボットの方が速く正確に作業をこなせるのに、人間が仕事をする必要なんかないんだ」

 それは彼がそのような意見を持った人物だったからだ。

 「はぁ」

 と、曖昧に返す。

 僕を支えてくれている読者のことを考えると僕は彼に安易に同意できないのだ。正直に言うのなら、僕としては別にロボットにほとんどの仕事を任せる時代になっても構わないと思っているのだけど。

 いや、ま、そうしたら僕は職にあぶれてしまうから、やっぱり困るけども。

 ……もっとも、仮にそんな時代がやって来たなら、そもそも“職”というものが意味をなさなくなっているのかもしれないが。

 

 その青年実業家はロボットシェアリングで成功した人物だった。

 ロボットシェアリングというのは、簡単に言ってしまえばカーシェアリングのロボットバージョンで、自分の持っているロボットを、不要な時に他人に貸して収入を得るという、個人でもできるレンタル事業のようなものだ。

 今の時代、ロボットのシェアリングをマッチングする企業を立ち上げ金を稼ぐ人間は珍しくもない訳だけれど、彼にはそれを企業にまで拡大したという特筆すべき点があった。

 「ほら、仕事って普段は足りているのに、短期間だけ人手不足になるなんて事がよくあるでしょう? その時になって雇おうと思ったら人間だったら手続きとか色々と面倒ですが、ロボットならば簡単だ。

 そこに私は目を付けたんです。絶対に需要があると判断したのですね。家庭用のロボットでも充分に業務をこなせるものは数多くありますから」

 自信満々な様子で彼はそのような事を語った。

 こういう内容ならば同意し易い。

 「なるほど。素晴らしい着眼点ですね」と、僕はリップサービスをする。ただ彼は、それをどうやらリップサービスとは思わなかったようで嬉しそうに数度頷いた。

 ……彼がやり始めるよりも前から、企業向けのロボットレンタル事業というものは存在していたが、家庭用のロボットを企業にも貸し出すという発想はなかった。そこが彼は新しかったのだ。つまりは世間一般の人々は、ロボットの汎用性というものを過小評価していたという事なのかもしれない。或いは、固定概念に囚われていただけか。

 “まぁ、普通に考えて、記事を書くのならこの方面だよなぁ”

 と、僕はそのような事を考えた。

 

 ――今現在、ロボットや人工知能が普及した事によって、既に多くの人々がそれら機械達に職を奪われている。

 『単純作業はロボットに任せて、人間はより人間らしい仕事に従事すれば良い』

 或いは、

 『一時的に人間がロボットに職を奪われても、直ぐに新たな職が誕生するから大きな問題はない』

 なんて主張が有識者達からされていたが、人々の不安は消えはしなかった。

 工場などの決まり切った単純作業だけじゃなく、コンビニやスーパー、介護分野にもロボットが入り込み、最早日常の光景になっていたから、それも無理のない話だった。

 確かに歴史を振り返れば、一時的に機械に職を奪われても新たな職が誕生し、人々は再び職に就く事が出来た。しかし本当に今起こっているこの変革にもそれが当て嵌まるのかどうかは誰にも分からないはずだ。

 新たな仕事も産まれてはいるが、それを上回るスピードで、ロボットや人工知能に行える仕事は年々増え続けているのだから。

 「人間に出来て、機械に出来ない仕事? 機械に出来て、人間に出来ない仕事ならたくさんあるんだけどな……」

 そんな皮肉まで、世間では言われるようになってしまっている。

 最近では、ロボットにロボットの修理すら行えるようになって来てしまった。これはロボットが人間の管理を超えて、自主的に進化してしまう切っ掛けになるかもしれないと警戒されているが、今のところは禁止される気配はない。

 それに。

 そもそもだ。

 そもそも、“人間らしい仕事”って何だ?

 とも、僕は思う。

 人間が得意としている仕事というものは存在しているかもしれない。でも、それらだって機械にできない訳じゃない。カウンセリングをやる人工知能すら存在していて、しかも評判が良い。

 更に言うのなら、仮にその“人間らしい仕事”とやらがあったとして、果たしてその需要はどれくらいあるのだろう?

 全労働者分、それがなければ、やっぱり職にあぶれる人は出て来てしまうじゃないか。

 

 ……因みに、僕はライターをやっている。

 この青年実業家への取材は、記事を書くためのものだ。

 そして、一見、人間にしかできないように思えるこんな仕事すらも今や人工知能がライバルとなっている。ある程度パターン化したスポーツニュースや株価のニュースなどの原稿の多くは既に人工知能に多くのシェアを奪われているし、もっと高度な…… 例えば“小説を書く”といった作業すらも人工知能は行い始めていて、既にファンを獲得している人工知能もいるほどだ。

 それは、つまりは、人工知能が“作家”と見做せるほどの個性を備えているという事でもある。

 もちろん、それは文章に限らない。人工知能達には作曲だってできるし、絵だって描けるし、映像だって作れる。しかも、もしかしたら、それらは人間が作ったものよりも優れた作品であるのかもしれないのだ(まぁ、芸術作品の優劣を決める基準なんて曖昧だから、どうとも言えないのだけど)。

 もう働かなくても通貨が支給される社会制度…… ベーシックインカムでも実現しなければ、僕らは安心なんかできないのだ。

 (もし、ほとんどの職を機械達に奪われてしまったなら、それを実現せざるを得ないだろう。だってそれは、資本家やロボット所有者以外のほとんどの人間から収入がなくなる事を意味するのだから。経済社会が成り立たなくなってしまう)

 しかし、そんないつロボットに職を奪われるか分からない僕らにとっての心強い味方もいる。“人間優先主義”の人達だ。

 彼らは人間の仕事を好み、作者が人間だからという理由で商品を選んでくれる。もちろん、それは芸術作品に限らず、料理や接客等でも同じだ。

 その理由は、“機械やロボットを嫌悪し、差別しているから”だったり、“人間中心主義からの派生”だったり、“人間が作った商品を買わなくては、失業問題を解決できないから”だったりと実に様々だ。

 当然、僕の書いた文章の読者にも人間優先主義者が多くいるはずだ。だから僕は、彼らに気を遣って文を作らなければならないのだ。

 

 「人間の作った商品を優先して買うなんて人達もいるが、私には理解できませんね。そんな事は気にせず、安くて良い製品を選んで買えば良いんですよ」

 

 不意に青年実業家がそんな事を言った。僕はその発言に慌てる。

 「いや、ま、しかし、やっぱり人間の作ったものの方が安心できるという嗜好を持った人達もいますから」

 フォローするようなつもりでそう言ってみた。

 幸い彼は気を悪くする様子をみせず、「まぁ、個人の趣味嗜好をどうこう言うつもりは私にはありませんがね」とそう返してくれた。

 彼は無料でインタビューを引き受けてくれたのだ。悪く書きたくはない。

 僕はそれからも今の時代でも“人間にしかできない仕事”や“人間がやった方が良い仕事がある”といった方面に話題が向くように心がけて話をして、なんとか穏便な記事になるように始終努力し続けた。

 (「意図的に記事の内容を曲げるような取材をするな」って責める人もいそうだけど、ぶっちゃけ、記事なんてそんなもんなんだ。と言うか、僕にだって生活があるんだ。それくらい許してくれ)

 どうやら途中からは彼の方もそれに気付いて合わせてくれたようだけど、とにかく、結果、なんとか人間優先主義の人達が悪く思わない程度にまとめられそうな感じでその取材を終える事ができたのだった。

 もっとも、それでも色々と苦労して工夫をしなくちゃならないのは目に見えていたのだが。

 

 僕はオフィスに戻ると、早速仕事に取り掛かった。そして、予想通りに頭を抱えた。オフィスと言ってもそこは火田修平という凶悪そうな人相の男の自宅も兼ねているから“会社”って感じではない。火田は記事を配信する小さな会社の代表をしていて、まぁ、僕は一応そこで雇われて仕事をしているという身分になっている。

 もっとも、僕は非常に少ないけれど、他の会社からの仕事を受けもするし、火田とは学生時代からの知り合いでもあるから、上下関係のようなものを感じる事はあまりない。

 いや、ま、火田は学生時代から、頻繁に僕の事を馬鹿にしてはいたけどもさ。

 「おい、佐野よ。そうやって頭を抱えるくらいなら、苦労する事が分かり切っているような企画をしなけりゃ良いだろうが、そもそも、最初から」

 僕が「うーん」と唸っていると、ひじょーに呑気な口調で火田がそんな事を言って来た。僕は軽く奴を睨みつけながら返す。

 「お前だって分かっているだろうが? ネタがないんだよ、記事のネタが!」

 そう。ネタがない。

 しかも、ここ最近の話ではなく、もう一年以上ずっとだ。

 有名なネタならばあるが当然競争になるし、しかも少しでもアップが遅れればそれだけで読者数は激減する。リスクが高いから、できれば選びたくない。それに毎回他で取り上げられているようなネタを題材に書いていたんじゃ、読者は離れていってしまうだろう。

 だから他が注目してはいないが面白い、盲点となっているネタを題材にしたいのだけど、そんなネタは滅多にあるもんじゃない。結果、ヒーヒー言いながら、どうにかこうにか誤魔化しながら記事を毎回書いているのがここ最近の現状だ。それで、今回のような記事を書き難いロボットシェアリング成功譚のようなネタにも手を出さざるを得なかったのだ。

 「まぁ、今回はもう手遅れだよな。時間的にも予算的にも余裕がないから、それで行くしかない」

 やはり他人事のような呑気な口調で火田が言った。

 「分かっているよ」

 と、僕はそう返す。

 それから僕は文章と格闘しながらなんとかその記事を書き終えた。火田が冷酷にも二度もリテイクを要求してきやがったが、とにかく終わった事は終わった。

 「今度からは、もう少しやり易いネタにしろよ」

 仕事を終え、ぐったりとしている僕に向けて火田はそんな事を言って来た。

 “うるせー”

 と、僕はそう思う。

 その“もう少しやり易いネタ”とやらがあったのなら、こっちはこんなに苦労はしないのだ。ところが、その僕の非難がましい視線に気が付いたのか、火田は続けてこんなアドバイスをして来たのだった。

 「偶には視点を変えてみるとかな。今までネタにしてこなかった分野のネタを探せば、なんか見つかるかもしれないぜ」

 一応、僕の担当している連載記事のジャンルは“社会”となっていた。ただ、芸能方面ではなく、どちらかと言えばビジネスよりだ。犯罪関係や、または出所の怪しい胡散臭そうなネタにも手を出してはいないから、“僕がまだ書いていない”という条件なら、確かに新ネタはたくさん見つかるかもしれない。

 「でも、その分野にはその分野専門に書いている連中もいる訳だし、他を探したところで、結局は奪い合いになってネタで苦労するのは同じじゃないのか?」

 僕がそう言ってみると火田は肩を軽く竦めた。

 「違う分野の人間だからこそ気付ける“観方”ってのがあるかもしれないだろう? 例えば“犯罪ネタ”とか、ビジネス中心の記事を書いて来たお前だからこそ気付ける何かがあるかもしれないぜ」

 「気楽に言ってくれるなぁ」

 「とにかく、試してみろって。どうせ次回のネタは何にも考えていないんだろう?」

 それは火田の言う通りだった。

 ちょっと迷ったけれど、それから僕は何か良いネタがないかとネットにアクセスし検索をかけてみた。犯罪といったらアングラだろうと安易に考え、某巨大匿名掲示板を探してみる。

 殺人ロボットを売っているとか、人身売買とか、警察が違法ドラックの売買をやっているとか、都市伝説に近いような話がほとんどだったけど、一つだけリアリティがありそうなこんな書き込みを見つけた。

 

 『身元不明の遺体ってあるだろう? 何処の誰なのかが分からない死体。

 偶然、俺はその一つを見た事があるんだけどさ、それが昔の知り合いにそっくりだったんだよ。

 だから俺は警察に「もしかしたら、昔の知り合いかもしれない」って言って、そいつの名前を告げてみたんだが、警察は「その名前で捜索依頼は出ていない」って突っぱねるんだよ……

 警察庁のデータベースにはDNAが登録されてあるが、それは家族の同意があったものに限られているから、照合してみても出て来ない可能性が高いってのは分かるが、いかにも“メンドーだ、仕事したくない”ってのが態度からありありと分かったね。

 

 でも、俺は納得できなかったら、念のため、問い合わせてもらったんだ。そうしたら、そいつは普通に暮らしているって言うんだな。ロボットを貸し出して、それで生計を立てているらしくて、ちゃんと登録があったらしい。

 俺は何か腑に落ちなかったんだが、その時は渋々ながら引き下がった。

 

 が、ちょっと経ってから気が付いたんだ。ロボットを貸し出して生計立てるのって誰に会わずとも生活できるんだよな。今はネット上で手続きとかできるしよ。

 つまり、あいつが本当に生きて存在しているって事を、何処の誰も確かめちゃいないんだ。

 

 今でも俺は少し疑っている。

 いや、不安に思っている。

 本当はあの時見たあの死体は、俺の昔の知り合いだったのじゃないか?

 ってな』

 

 もちろん、この話をそのまま信じた訳じゃない。だけど、これは実は面白い観点なのかもしれないと僕は思った。

 マイナンバー制度が始まってからは特にだけど、今という時代、僕らの身分証明はデータ化されてしまっている。仮にそこに実際の生きている人間が存在しなくても、データとしてそれが残っていれば、少なくとも社会制度上はそこに“人間”の存在が認められてしまう。

 まるで、幽霊だ。

 そして逆に、生きている人間が存在していたとしても、データになければ“いない”事になるのだ。

 これはちょっと怖い現実だ。

 この問題を扱う為の題材として、この“知り合いに似ている身元不明遺体”の話は使えそうな気がする。

 調査の結果、やっぱり単なる勘違いだと分かっても、転がし方を工夫すれば充分に社会的に意味のある問題提起になるし、読者だってきっと興味を持ってくれるだろう。

 「よし! ちょっと調べてみてるか!」

 そして、それから僕は早速調査を始めたのだった。

 ……いや、別にそこまで意欲に燃えているって訳じゃなく、次の締め切りまでだってそれほど時間がある訳じゃないから、さっさと始めないと間に合わないからだけど。

 

 僕はまずネットを検索し、東京の警察署がサイトで公開している身元不明遺体の似顔絵をざっと眺めてみた。

 もし、知り合いに似ている顔があったらやり易いと思ったのだけど、もちろん、そんな事があるはずもなく、見た事もない顔ばかりだった。まぁ、他人の空似でちょっとくらいは似ている人はいたけどさ。

 似顔絵とはいえ、これが全て既に死んでいる人達なのだと思うと、何となく、不謹慎な好奇心を刺激されるというか、ホラーな気分になるというか、バチが当たりそうというか、とにかく何処となく居心地が悪くなってしまった。

 しばらく眺め続けて、これじゃ何の進展もないと判断すると、僕はそのページのリンクをツイッターで流してみた。

 『身元不明遺体の似顔絵です。この中に知っている顔とかいたりしませんか?』

 なんてメッセージも添えて。

 僕にはネット上だけの知り合いなら、けっこーな数がいる(もちろん、ライターという職業に活かせるから、意図的に増やしているのだけど)。

 僕がライターをやっていると知っている人が大半なのでどうやら目的を察してくれたらしく、様々な人がそれに協力してくれて、それは瞬く間に拡散していった。これで一人でも似顔絵の顔を知っている人が出てくれば随分と取材を進め易くなる。

 ……そんな大雑把な調査方法で見つかる幸運があるはずないって思う人もいるかもしれないが、これが意外に馬鹿にできない。

 “スモールワールド・ネットワーク”、或いは“6次の隔たり”で検索してみてくれれば簡単に出て来るけど、“知り合いの知り合い知り合いの…”と辿っていけば、わずか6人以内で誰とでも繋がる事ができる…… 社会はそんな構造、或いは少なくともそれに近い構造になっているらしいのだ。

 だから、こんな大雑把な方法でも、充分に身元不明遺体の知り合いに辿り着く可能性がある。

 問題は何処まで真面目に身元不明遺体の似顔絵を皆が観てくれるか、だ。

 しかし、その心配は杞憂だった(或いは、僕の運が良かっただけかもしれないけど)。それから二日ほど経って、僕の所に『知っている顔がいる』と情報を提供してくれた人が現れたのだ……

 

 色々な場所に取材しているお陰で、僕はそれなりにコネクションを持っている。そのうちの一つを使って、身元不明遺体を扱っている警察の関係者に話を通してもらう事ができた。

 こういうのは、もしかしたらロボットや人工知能には難しい、人間の技能と言えるのかもしれない。

 ……なんて思ったけれど、まぁ、あまり大きな声では言えない。

 「いやしかし、物好きですな。身元不明の遺体を見たいなんて人は滅多にいませんよ?」

 と、その遺体安置所を案内してくれた警察官は僕にそう言った。

 「僕も好きで来た訳じゃないのですがね」と、僕はそう返す。

 その警察官は、いかにも閑職に追いやられたといった風体の初老の男性だった。飄々としていて、自分の立場をただ受け入れているという感じに、僕は好印象を持った。彼なら、亡者達の怨嗟をも受け流せそうだ。

 遺体安置所には初めて入る。まるで倉庫のようだった(と言うよりも、元々倉庫だった場所を利用したのかもしれない)。等間隔に並べられてあるベッドの上には、白い布を被せられた死体が乗っている。

 黒不浄。

 そんな単語が頭に浮かぶ。

 人間の死体をまるで物にみたい扱っているように思えて、僕は感じなくても良い罪悪感を覚えてしまったのだ。ここにいる事自体が、なんだかとても悪い事のような。禁忌を破ってしまったかのような。

 コツコツと反響する二人分の足音。その音波を死体が浴びている現実が、なんだかとても奇妙で、何処か失われた世界の秘密の儀式のように思えた。

 「……このご遺体ですよ」

 警察官が不意にそう言って立ち止まった。それで我に返る。雰囲気に酔って、ここに来た目的も忘れてただ歩いていた。

 「ああ、」

 と言うと、その死体を見やった。そんな僕を警察官は、少しだけ変な目で見た。“異様な雰囲気に呑まれてボーっとしてしまったのだ”と言い訳をしようかと悩んだけれど、少し考えて止めた。なんだか却って傷口を広げてしまいそうな気がする。

 それから僕はカバンを開けてスマートフォンを取り出すと、情報提供者から送ってもらった写真画像を開いた。

 似顔絵を見た感じでは、送ってもらった写真は確かにそっくりだった。ただ、所詮似顔絵は似顔絵だ。その本人の細部を確認して検証してみないと何とも言えない。

 「それじゃ、とりますよ」

 そう僕に告げると、慣れた手つきで無造作に警察官は死体に被せてあった白い布を取り払った。心の準備をする間もなく、身元不明遺体の顔が僕の前に現れる。

 その顔は、僕が思っている以上に普通に思え、それが却って不気味だった。そしてやはり、送ってくれた写真の顔ととてもよく似ていた。

 その身元不明遺体は30代くらいの男性で、全体的に顔のパーツが分厚かった。やや肥っているから、生前は不健康な食生活を送っていたのではないかと思う。彼は冬の朝に公園のベンチで死んでいるのを発見されたらしい。死因は恐らくは心臓発作。遺留品の類はほとんどなく、財布もカバンも何も持ってはいなかった。それでそのまま手掛かりなしで、身元不明遺体とされ、警察署で預かる事になったというのがここに来た経緯だ。

 情報提供者の話では、数年前にアルバイトで一緒だった人らしい。ロボットの導入による人員整理でクビになり、その際に「バイトで貯めた金を元手にしてロボットをたくさん買い、レンタルして生活する」といったような事を語っていたのだとか……。

 どうも、ここ最近、僕はロボットシェアリングに縁があるようだ。

 それから僕はスマートフォンに映した画像を拡大して、予め確認しておいたホクロや特徴的な傷痕などがよく見えるようにした。

 もし、この遺体の顔のそれと一致する場所にそれらホクロや傷痕があったなら、同一人物である可能性がかなり高くなる。

 スマートフォンを片手で持ちながら、僕はそれらを一つずつ確認していった。ホクロは消えたり出来たりするけど、5個あるうちの3個が一致した(多少、形が変わっていたけど、許容範囲だろう)。顎の右下にある小さな傷もやはり同じ場所に同じ様にある。

 “これだけ一致したなら、もうほぼ決まったようなものじゃないだろか?”

 そう考えた僕は、多少なりとも興奮していた。これなら少し考えていた内容とは主旨が違うけど、

 『身元不明遺体の身元を突き止めた』

 というタイトルで記事が書けそうだ。一見僕らしくはないけれど、ここに貧困問題やらなんやらを加えれば、ビジネス方面へと話題を繋げられそうでもある。

 それから顔を上げると、僕は上ずった口調で、警察官に向けて言った。

 「いや、これ、どうも本当に同一人物っぽいですよ?」

 彼は僕の作業を傍らで見ていたはずだ。だから、彼も同意してくれると僕は思っていた。しかし興奮している僕に対し、なんだか気の抜けたような口調で彼はこう返すのだ。

 「はぁ、そうですかね」

 もしかしたら、魂を亡者にでも食われてしまったのじゃないか?と一瞬、僕は本気で思いかけた。

 なんなんだ、この温度差は?

 ただ、一応、警察官は職務はちゃんとこなしてくれた。事務所のような場所に行くと、僕が言った名前(情報提供者は写真の他は名前くらいしか覚えてはいなかったのだ)で、行方不明者がいないかどうか検索をかける。検索結果はゼロだった。

 すると、頭を掻きながら、

 「ふーむ。いないようですなぁ」

 などとそれを見て警察官は言う。僕はそれを聞いて顔をしかめた。

 「いや、確かに行方不明者にはいないかもしれませんが、だからってあの死体とこの写真の人物が同一人物ではないと言い切れないでしょう?」

 そもそも行方不明リストの中にあったなら、警察はとっくに照合できていたのじゃないか?

 そこまでのやり取りで、僕は軽いデジャヴを覚えた。もちろん心当たりはある。あの、例の巨大匿名掲示板で見つけた身元不明遺体の書き込みとほぼ同じ経緯を僕は辿っているのだ。

 「いえいえ、もちろん、ちゃんと問い合わせはしますよ?」

 僕の反応が思ったよりも強かったからか、慌てた様子で警察官はそう応えた。が、それから急速にトーンダウンしてこう続ける。

 「……しますがね、ただ、あまり期待はせんでください。なにしろ、名前しか分からないんじゃ。同姓同名の人物なんていくらでもいますしなぁ」

 それを聞いて僕は、思わずこう口を開いていた。

 「もしかしたら、ロボットシェアリングで生計を立てている人かもしれないですよ、その人は。それで絞ってみてください」

 「そうなんですか?」

 「ええ、どうも、そのような事を言っていたらしいんです」

 僕はそう応えたけれど、もちろん理由はそれだけじゃなく、あの巨大掲示板の書き込みの内容が頭の中にあったからだった。

 あの書き込みの内容を僕は追体験している。そんな妄想にちょっとだけ取り憑かれていたのである。まるで幻想小説の主人公にでもなったかのような気分。

 「あの、よろしければ、問い合わせした結果を教えてもらって良いですか? 電話番号を教えておくので」

 僕は警察官にそうお願いをした。彼は奇妙な表情を浮かべてはいたけど、「まぁ、それくらいなら構いませんが」と、了承してくれた。

 僕はそれに「ありがとうございます」とお礼を言ったけれど、頭の中では“もう、結果は分かっている”と、そう思っていた。僕があの書き込みを追体験しているのであれば、問い合わせをした人物は存命という事になっているのだ。ただし、ロボットシェアリングで暮らしているから、誰もその姿を見てはいない。――だから、本当に生きているのかどうかは分からない。

 ……多分、そんな事を思ってしまったのは、遺体の安置所という特殊な空間で、特殊な体験をしていたからだろうと思う。

 その次の日に、警察官は連絡をくれた。真面目な人なのだ。そしてその内容は僕が思った通りのものだった。あの身元不明遺体にとてもよく似た外見をした人物は存命で、ロボットシェアリングで暮らしているという事になっていたのだ。

 警察が、そこまで教えてくれて良いの?

 と、少し思ったけれど、気にしないことにした。

 

 「……うーん」

 

 そして僕はその日、火田のオフィスで腕を組んで唸っていた。

 あの掲示板の書き込みを追体験しているという幻想からは既に醒めていたけれど、それでも気にしない訳にはいかない。

 仮に僕があの書き込みの内容を追体験しているだけなら、ここで終わりだ。ロボットシェアリングで暮らしているとされている人物が本当に生きているのかどうかという不安を抱えるだけ。

 だけど、もちろん、僕にはそこで終わりにするつもりはなかった。

 名前は分かっている。大体の年齢も。ロボットシェアリングを生活の糧にしているらしい事も。住んでいる場所の大よそも情報提供者に尋ねれば教えてくれるかもしれない。

 つまり、僕には充分に調査続行でぎるだけの条件が揃っているのだ。ただしただ一つだけ問題があった。

 「もし、本気の犯罪だったら、どうしよう?」

 うん。

 僕は正義の記者を気取るつもりはない。犯罪を暴く為に、危険な目になんか遭って堪るかと思っている。だから、このまま調査を続行するのであれば、どうしても身の安全を確保しておきたいのだ。

 「やっぱり、ロボットに頼るしかないかなぁ?」

 と、それから僕は大きな声で独り言ではない独り言を言った。

 同じ部屋には少し離れた位置に火田が座っていて、何かの資料を読んでいる。気付かない振りをしてはいるが、聞こえているはずだ。

 「人間のボディーガードやら探偵やらを雇っている金はないけど、ロボットならなんとかできるんじゃないのか?と。僕はそう思っているんだがな」

 “無視するな”と思いつつ、僕はやはり大きな声でそう続ける。すると、仕方ないといった様子で火田は読んでいた資料を置いて僕を見た。

 「それ、お前のお得様の人間優先主義の皆様には、どう説明するつもりだよ?」

 もちろん、経費でロボットをレンタルしてくれという僕の要求を理解しての質問だろう。僕は応える。

 「人間優先主義者達だって、まったくロボットを使っていない訳じゃないだろう? 必要な時は使っているさ。大体、ロボットをまったく使わないでロボットの文句を書くのもなんか違うしさ。それに……」

 「それに?」

 「そもそも、ロボットを使ったって事を言わなけりゃ良い!」

 それを聞くと火田は軽く肩を竦めた。

 「まぁ、確かに実際にロボットを仕事で使ってみる体験ってのは、してみるべきかもしれないな。

 今後のネタの幅も広がりそうだし」

 僕はその返事に気を良くする。「だろう?」と、そう返した。

 しかし、火田はそんなに甘くはなかったのだった。

 「だが、それで書いた記事の評価が悪かったら、お前への支払いは減らすからな? そこは覚えておけよ?」

 「おい、厳しいな」

 「当然だ、バカ」

 こーいうのが、労働組合も何もない職場で働いている労働者の弱い点だろうか? もっとも、我儘を言い過ぎたら、潰れかねないけど、この会社。

 

 それから火田は直ぐにロボットを手配してくれた。まぁ、僕の為に、というよりは、“さっさと仕事しろ”ってメッセージだろうけど。

 ただ、そうしてやって来たロボットはかなりの安物だった。

 サイズは小学校高学年の子供くらいで、ヒューマノイド型。頭部が四角くて大きくて、身体のバランスがなんか変だ。どこかの着ぐるみのキャラクターっぽい。ゆるキャラにいたと言われれば、信じてしまいそうだ。顔には簡略化された幾何学的で記号的な目口があるように思えるが、実はダミーで、そういう画像が液晶ディスプレイに映し出されているだけだ。もちろん、写真や文字や映像なんかもそこに映し出す事ができる。便利機能って言っちゃ便利機能だ。もっとも、今回の僕の仕事に役に立つかどうかは微妙だけど。

 「なんか、子供が喜びそうな形状だな、こいつ」

 僕がそう感想を漏らすと「本来は、家庭用らしいからな。そういう用途も多いと思うぞ?」と呑気な口調で火田は返した。頬を引きつらせて僕は言う。

 「分かっているのか? 僕はボディーガードの役割も果たして欲しいんだぞ? このロボットに」

 「分かっているさ。こいつはお前を守ってくれるだろうよ」

 「信用できない」

 「信用しろよ」

 軽くため息を漏らすと、火田はこう続けた。

 「いいか? よく聞け。このロボットには、家族を守る為に、自分の見聞きした情報を常にネットに送り続けるってな機能が付いているんだよ。

 で、もしも、お前が犯罪に巻き込まれそうになったら、警告メッセージと共にそれを相手に伝える訳だ。相手は当然、お前に手出しができない」

 僕はそれを聞くと腕を組んでこう言った。

 「分かったけど、それって相手が逆上していたらどうなるんだ?」

 火田はいかにも面倒臭そうな感じでこう返す。

 「身を挺して、お前を庇うくらいの事ならするだろうさ」

 ところが、その瞬間だった。

 「本当は、やりたくないけどネー」

 そんな声が響いたのだ。それは人間の声と電子音の中間のような声だった。一瞬、何処から聞こえて来たのかと思ったけど直ぐに察した。ロボットからだ。

 僕と火田の間に白い空気が流れ、二人同時にロボットを見る。ロボットは僕らのその反応を不思議そうな様子で眺めた。

 「なんだ、これ?」と僕。

 「なんだろうな?」と火田。

 それから火田はスマートフォンでこのロボットを手配したシェアリングのサイトを開いて説明を読んだ。

 「“このロボットは、小粋なジョークで場を和ませる事を得意としている”って書かれているな、説明欄に」

 「今のが“小粋なジョーク”か?」

 “和ませる”んじゃなくて、かなり微妙な変な空気が流れたけども。

 「そうなんじゃないのか?」

 火田がそう返すと、ロボットはまた言葉を発した。

 「旦那方、遠慮せず、笑ってくれてイイのデスゼ?」

 「ハハハ」と僕は乾いた声で笑う。口の端を歪めて、火田が言った。

 「ロボットを訓練するのは飽くまで人間だからな。こーいう事もあるさ。多分、こいつの持ち主が面白い人なんだろう。

 ……ま、ロボットが常に優れている訳じゃないって実例の一つが出来て良かったじゃないか」

 「ポジティブだな、お前は」と、僕はそれに応える。ロボットはそんな僕ら二人の会話を聞いて、

 「不思議な事を言う人達デスネー?」

 と、首を傾げていた。

 こんなんで、こいつ、本当に役に立つのだろうか?

 僕は大いに不安になった。

 

 ロボットの名前はロアといった。「自由にお呼びください」と言うので、「スベリ芸」と呼ぼうとしたのだけど無反応だったので、そのままロアと呼ぶ事にした(因みにそれがジョークだったのかどうかは不明だ)。

 僕はロアを連れて早速調査へと向かった。何度か書いているけれど、あまり時間がないからだ。

 ロボットシェアリングで稼いでいるのと、姓名及びに大体の住んでいる場所も分かっているという条件のお陰で、人物を特定するのにそれほど苦労はしなかった。

 ま、地域に当たりを付けて、その辺りのロボットシェアリングのサイトをしらみつぶしに探してみただけだけど。

 その姓名で登録されているロボット貸出者は、全部で10台のロボットを所有していた。ロボットのレンタルだけで暮らそうと思ったのなら、それくらいは必要だろう。多分、これでもそれほど裕福な暮らしはできないはずだ。その人物の住所は非公開だったけれど、突き止める方法ならば既に考えてあった。

 

 「うーん…… 悪いんだけど、イメージしていたのとは違うなぁ」

 

 とある公園の前の道。近くには繁華街があって、それなりに人通りが多い。

 僕はわざとらしい口調でそう言った。本当はもっと自然にしたかったのだけど、演技は苦手なのだ。

 目の前にはロアよりも随分と高級そうな8頭身のヒューマノイド型のロボットが立っていて、無表情でその言葉を受け止めている。

 これは僕が勝手に感じているだけなのだろうけど、何処となく物悲しそうに思えた。

 「そうですか。残念です」

 と、綺麗な声でそのロボットは答えて礼をした。そのまま去ろうとするので、呼び止めて「これ、手間賃。悪いね、わざわざ呼び出したのに」と言って千円札を差し出した。

 本来は無料のサービスなのだが、それでも少しはお金を渡すがマナーだとネットを調べたら出て来たので、まぁ、必要経費だと思って渡す事にしたのだ。

 「ありがとうございます」

 ロボットは再び礼をして、それを受け取った。

 ロボットシェアリングでは、ロボットを借りるかどうかを決める為に実際に見て確かめる事ができるというサービスが提供されている場合があるのだけど、そのサイトでもそれは可能だったのだ。もっとも、呼び出せる地域は限られていたけれど。

 そのロボットが間違いなく僕らが調査対象としている人物の所有物である事は既に来た時に確かめてあった。

 ロボットシェアリング用のロボットには、持ち主の登録が義務付けられていて、ロボットに質問をすれば、誰でもそれを簡単に確かめられる。その方が盗まれたり行方不明になった場合に都合が良いし、犯罪に利用される危険も減らす事ができるからだ。

 お金を受け取ると、ロボットは直ぐに歩き始めた。もちろん、持ち主の所に帰るのだろう。僕はそれを少しだけ眺めると、それから急いで物陰に隠れているロアを呼びに行った。

 「よし。上手くいったぞ、ロア。これであのロボットを尾行すれば、所有者の家にまで辿り着けるはずだ」

 そして、そう告げる。

 もちろん、住所を突き止めたなら、そこに住んでいる人物を確かめるのだ。写真の人物と同じではなかった場合、何処かの誰かがあの身元不明遺体の人物になりすましている可能性がかなり高い事になる。

 ある程度の距離が離れたのを確認すると、僕は尾行を開始しようとした。ところが、それをロアが止めるのだった。

 「ちょっと待ってくだサイ」

 「なんだよ?」

 「小粋なジョークが、思い浮かびマセン」

 「今は良いんだよ、それは!」

 ……まぁ、なんにせよ、僕らは尾行を開始した。

 

 ロボットは、それからオフィス街に向って進み始めた。てっきり住宅地の方に向かうものだとばかり考えていた僕は、それに少しばかり困惑をしてしまった。

 ロボットの持ち主はオフィス街に住んでいるとか、或いはオフィス街にロボットを収納しておく為の倉庫でもあるのじゃないかとか色々考えたけれど、何の事はない、ロボットは次の面接の現場に向かっただけだった。

 何の仕事かは分からなかったけれど、大きなビルの前でサラリーマンらしき人物と話をしている。

 仕事が決まったらまずいな、などと思っているとロボットは軽く礼をし、別方向へと歩き始めた。

 どうやら不合格だったらしい。

 ホッと安心をする。

 その時サラリーマンは、ロボットに手間賃を払いはしなかった。ネットから得た情報が嘘だったのか、それともあのサラリーマンが不遜なのか常識を知らないのか、どうであるにせよ悔しいというか間抜けといか、変な気分になった。

 「なぁ、ロア。ロボットを面接に呼び出すだけでも、お金を渡すもんだって聞いたのだけど、あれ嘘だったのか?」

 そう尋ねると、ロアは「ロボット所有者にも生活があるので払うべきデス」と、答えになっていない答えを返して来た。

 いや、そういう事を訊いているんじゃなくって……

 と、僕は思ったけれど何も言わなかった。

 歩き始めたロボットは、今度こそ住宅街へと向かっているようだった。駅には向かわず、そのまま徒歩で進んでいるので、恐らくはそれほど距離は遠くない

 よし!

 と僕は心の中でガッツポーズを取る。

 騒がしい場所を抜け、人混みが徐々にまばらになっていく。尾行がし辛くなって来た。もし尾行がロボットにばれたら何か問題があるのかどうかは分からないけれど、気付かれない方が無難なのは間違いない。

 歩き続けると、やがて寂れた商店街が見えてきた。四分の一程、店のシャッターが下りている。人の数も少ない。まあ、もっとも、これくらいなら、まだマシな方なのかもしれないが。そこにロボットは入っていった。僕はやや不可解に思いながらも後を追った。

 この商店街を抜けた場所に、あのロボットの自宅があるのだろうか?

 ロボットはある路地裏の前で立ち止まると、痙攣するような仕草で方向を転換をし、そのままそこに入っていった。気の所為かもしれないけど、一瞬だけこちらを見た気がした。

 どうしてこんな場所に入るのか、訝しく思いはしたけど、とにかく追うしかない。

 僕は見失ってはいけないと考え、軽く小走りをしようとしたのだが、そこでロアに服を掴まれてしまった。

 「なんだよ?」

 と怒りながら僕は尋ねる。

 「いえ、ボクは速く走ると、音が大きくなり過ぎて気付かれてしまうんで止めて欲しいと」

 「なら、いいよ。僕一人で追うから」

 「さいデスカ」

 そう言った後で、ロアが急に手を放したものだから、僕は転んでしまった。しかも、その拍子で財布がポケットから落ち、小銭入れの中身が道に散らばってしまった。

 「ノー!」

 と、僕は小さな声で叫ぶ。

 急いで小銭をかき集めた。

 「小銭を無視しないところが、人間的に小さくて好感触デス」

 それを見て、そんな訳の分からない事をロアは言う。「そりゃ、どうも!」と僕。少しも嬉しくない!

 拾い終えて、慌ててロボットを追ったけど、既にロボットはいなくなっていた。タイミング的にはまだ間に合いそうだったのに。その僕の心中を察してか、ロアが言った。

 「これはもしかしたら、尾行がバレていたのかもしれまセンネ」

 不可解に変な道に入ったし、確かにその可能性は高そうだった。肩を竦めるような動作をしつつロアは続ける。

 「ま、仕方ありません。元々、素人に尾行など無理だったのですよ。小銭とか落としちゃっていたし。更にそれを拾おうとするセコさとか。もう尾行に不向きすぎますって」

 それを受け、僕は「あれはお前の所為だろうがー!」と、拳骨でロアの顔を挟んでグリグリとしてやった。ロボットのロアは平気な顔をしていたけれどさ。

 グリグリされながらロアは言う。

 「で、これからどうするのです? もうあのロボットを探すのは至難の業でしょう。諦めて帰りませんか? 燃料も勿体ないデスシ」

 「お前、まさか、帰りたいからわざと尾行の邪魔をしたんじゃないだろうなー?」

 「とんでもない誤解デス」

 なんだか目を泳がせる変な演出でロアは返した。何処まで本気なんだか分からない。

 「なに。諦める必要はないさ。まだ手はある」

 僕がそう告げると「それは往生際が悪い」とロア。ツッコミを入れようか悩んだけれど、無視して僕は言う。

 「こーいうのはロボットには思い付かないんだろうけど、ごくごくシンプルな手段があるんだよ」

 「どうするんデス?」

 「ここら辺の人に、さっきのロボットを知らないかと尋ねまくるんだ!」

 ロアは一呼吸の間の後で、首を傾げる反応でそれに返した。

 

 寂れた商店街とはいえ、それでも人が通りはする。まだ、魚屋や八百屋もオープンしているし英会話教室やダンス教室、文具店なんかも現役だ。

 「――あの、ちょっと良いですか?」

 と、僕は買い物の途中だろうお婆さんを呼び止めるとこう尋ねた。

 「こんなロボットを見た事がありませんか?」

 そう言いながら僕はロアの顔を指で示す。ディスプレイになっているロアの顔には、先の僕らが尾行していたロボットの映像が映し出されてあった。

 まさか、この機能が役に立つとは思っていなかったけど、助かった。

 持ち主なしで単独で行動するロボットは、今でもそれなりに珍しいはずだ。だから近所では有名だろうと僕は踏んだのだ。知っている人も多いに違いない。

 お婆さんはマジマジとロアを見つめるとこう言う。

 「こんな、顔がテレビになっているロボットは知らないわねぇ」

 「いえ、そうではなくて、ですね……」

 その後でちゃんと説明したけれど、結局お婆さんは画像に映し出されているさっきのロボットを知らなかった。

 それから数人に声をかけたが、有用な情報は得られなかった。一人だけ見た事がある人がいたけれど、それが何のロボットで誰が持っているのかは知らないようだった。

 やっぱりダメか、軽く考え過ぎていた。

 絶望が頭をよぎる。

 僕は頭を抱えて苦悩した。このままでは、原稿は完成せず、経費の無駄遣いを理由に火田に原稿料を減らされてしまう。オノレ…… 火田めぇ…

 一体、どうすれば良い?

 が、そんなところで僕の視界にコンビニエンスストアが入ったのだった。商店街を少し出た辺りにまるで門番のように構えていて、そこの店員さんが何処かのおばさんと楽しそうに会話をしている。近所の子供が、挨拶をしたりなんかして。

 聞いた事がある。

 様々な機能を持ったコンビニエンスストアは、街の交流ポイントになっている場合もあるのだとか。

 僕は「もしや」とそう呟くと、そのコンビニエンスストアへと向かった。

 「あの、すいません」

 まだ店員さんはおばさんと話していたが、それに構わず僕はロアの顔を示しながらこう尋ねた。

 「こんなロボットを見た事がありませんか?」

 店員さんは首を傾げながら返す。

 「こんな、顔がテレビになっているロボットは知らないわねぇ」

 「いえ、そうではなくて、ですね……」

 その反応に僕は不安を覚えたのだけれど、それから確りと説明すると、その店員さんはなんと僕らが尾行していたロボットを知っていたのだった。

 「近くにアパートがあるのだけど、そこに住んでいる人が持ち主のはずよ。そんなに広くもない部屋なのに、たくさんロボトを持っているって有名なのよ」

 それを聞いて、僕は思わずガッツポーズを取った。そして、そのアパートの詳しい場所を聞くと「ありがとうございます」とそう言って早速その場所を目指した。

 「ガセネタかもしれまセンゼ、旦那」

 なんてロアが無根拠かつ無責任なセリフを吐いたけれども、気にしない事にした。

 

 コンビニの店員さんの話では、ロボットの持ち主は姓は同じだったけれど、女性であるらしかった。しかし、もちろんロボットシェアリングのサイトに登録してあったのは男性の名前だ。一致しない。その女性が身元不明遺体の男に成りすましている可能性がある。もっとも、その女性は子持ちだという話だから、結婚をしたのかもしれないが。

 ただ、そうだとすれば、男性パートナーの存在を店員さんが知らなかった点は不可解だ。店員さんはその家を母子家庭だと考えていたのだ。

 比較的近い距離にそのロボットの持ち主のアパートはあった。どちらかと言えば家賃は安そうだ。裕福な生活をしていないだろう事は一目で分かる。

 リスクを承知でアパートの前にまで行ってみたが、人の気配はまったくなかった。自室でじっと息をひそめているような変人じゃないのであれば、まだ帰宅していないのだ。取り敢えず顔を見てみたい。帰って来るのを待つべきだろう。

 僕は物陰から隠れてアパートを観察できる場所を見つけると、そこで張り込みをする事に決めた。

 しかし、30分が過ぎた辺りでどうにも腹が減って来た。さっきのコンビニで何か買ってくれば良かったと後悔をする。

 「なぁ、ロア。ちょっとさっきのコンビニで何か食べ物を買って来るからアパートを見張っておいてくれよ。

 分かっていると思うが、誰かが帰ってきたら、確り映像に残しておくんだぞ」

 それを聞くとロアは「それなら、ボクの分の燃料も買ってきてくだサイヨ」と、そう頼んで来た。

 また、経費が膨らむ……

 なんて僕は思う。

 「いや、まだ充分あるのじゃないか? 燃料」

 と、それで言ってみると、ロアは腹を押さえるような動作をしつつ返した。

 「いえ、燃料が不足し始めて、頭がボーっとしてきていマス」

 「ロボットってそういうものなのか?」

 腹を押さえるのも何か違う気がするし。

 「人間っぽいでしょ?」

 「そーいうのは人間らしくしなくて良いんだよ」

 ま、動かなくなったら嫌なので、買ってくるけどもさ。

 

 僕がアンパンと牛乳とミニサイズの燃料を買って戻ると、ロアは真っすぐにアパートを見つめてじっとしていた。それを見て、見張りにはやっぱりロボットの方が適しているな、と僕はそう思った。人間ではこーはいかない。

 「よっ ご苦労さん」

 と言いつつ、僕は燃料をロアの頭の上に置いた。

 「あっ お帰りなさい」

 と、それにロア。

 「変化はなし?」

 それにロアは頷く。

 「ええ、なにも」

 頷いた所為で頭の上からずり落ちた燃料を器用にキャッチすると、ロアはそれを腰の辺りにある燃料挿入口から注ぎ込み始める。

 自分で燃料補給をやってくれるっていうのは楽で良いかもしれない。

 それを見て僕はそう思った。

 ま、もっとも、勝手に燃料を使われてしまうかもって懸念もあるけども。

 僕はビニール袋を破いてアンパンを取り出すと、それにかぶりつきながらアパートに目をやった。

 そこで気が付く。

 ん?

 口の中のアンパンを、牛乳で胃に流し込んで、じっと見つめる。

 「おい、ロア」

 「ナンデショ?」

 「アパートに誰か戻って来ていないか?」

 「そう見えマスネ」

 そう。アパートの小さな窓の向こうには、人影らしき誰かの姿があって、忙しなく動いていたのだった。

 恐らくあの小さな窓の向こうは台所なのだろう。その誰かは料理を作っているように思える。そろそろ夕食刻だから、きっと夕食の準備をしているのだ。

 「“そう見えマスネ”じゃないよ。何で、報告しないんだよ?!」

 「すいません。ボーっとしていて見逃していました。燃料が切れかかっていたもので」

 「お前、ロボットだよな?」

 「人間っぽいでしょ?」

 「それはもういい!」

 僕は意を決すると、食べかけのアンパンを全て口に放り込み、一気にそれを牛乳で流し込んでからアパートを睨んだ。

 「どうするつもりなんデスカ?」

 ロアがそう尋ねて来たけど、頭に血が上っていた僕はそれを無視して歩き始めた。

 このままここで見張り続けてもあのアパートの住人が顔を見せるとは限らない。明日になったら顔を見せるかもしれないけど、まさか一晩中見張っているわけにもいかないし、そもそも一晩も見張っていたら、流石に誰かに見つかって通報されそうだ。

 原稿の締め切りだってあるから、時間の無駄遣いもできないし!

 “こーなったら、リスク承知で突撃インタビューだ。直接乗り込んで、あの身元不明遺体との関係を聞いてやる!”

 本当は無難な橋を渡る方が僕の好みなのだけど、今回は仕方ないだろう。

 僕はアパートの前にまで来ると、そのままの勢いでドアのチャイムを押した。ロアが信じられないミスをしてくれたお陰で怒りで恐怖心が消し飛び、大胆な行動を執る勇気が持てた。結果オーライと言えるかもしれない。

 「はい。どなたですか?」

 そう直ぐに女性の声が聞こえる。僕はそれに少しだけ驚いてしまった。窓の向こうで作業をしている姿が見えるくらいだから、当然傍にいるのは分かっていたのだけれど。

 「僕はライターをやっている佐野という者です。実はお尋ねしたい事がありまして」

 僕がそう応えると「はぁ」という声と共に女性が鍋か何かの火を消したのが気配で分かった。少しの間の後でドアが開く。

 「何か?」と女性は言った。

 その女性は三十代半ばくらいで、いかにも苦労していそうなことが外見からも如実に感じ取れた。

 「だれー?」

 という何人かの小さな子供の声が、アパートの奥の方から聞こえて来る。

 子持ち。

 確かにそう聞いていたけれど。

 「少し静かにしていなさい」

 女性はそうアパートの奥に向って言うと「失礼しました」と僕に非礼を詫びた。僕はそれにこう返す。

 「いえ、こちらこそ、夕食刻に突然訪ねてしまいまして」

 やや、たじろぎながら。

 その牧歌的かつ清貧という言葉がよく似合う光景の所為か、いつの間にか僕の怒りは胡散霧消してしまっていたのだ。

 こうなると、僕の行動力は一気に落ちる。ええ。ヘタレなもので。

 それから僕は声のトーンを落として尋ねた。

 「実は身元不明遺体が発見されまして。それがどうもこの家にあるロボットシェアリング用のロボットの持ち主のようなのですよ」

 それから僕はその人物の名を告げ、スマートフォンでその似顔絵を見せた。

 僕の言葉は随分と自信なさげに響いたと思うのだけれど、それでも女性はその言葉に目を大きくして驚いていた。怯えているようにも見える。

 「あの…… それは」

 と、慄きながら返す。

 僕は感じるいわれないの罪悪感を覚えた。なんか悪い事をやっている気分。

 「……えっと、それは夫の名前です。確かに、この家のロボットの持ち主は夫ですが」

 それから女性は奥にある一室に目を向けた。ドアが開ている。真っ暗な部屋だったけれど、その中にロボットが置かれてあるのが辛うじて分かった。

 「夫? では、その男性は何処にいるのですか?」

 本当はもっと優しく言いたかったのだけど、その僕の質問はサディスティックに響いてしまったような気がした。

 「この家にはいません」

 「この家にはいない? では、もしかしたらその身元不明遺体が、あなたの夫かもしれませんよ?

 ――確かめなくて良いのですか?」

 やっぱりサディスティックに響いた。

 やっぱり、僕の気の所為かもしれないけれど。

 女性はしばらく迷っていたが、やがて「勘弁してください」とそう呟くように言った。それ以外は何も言わない。

 「勘弁してくださいと言われても……」

 僕もそれだけを言い、言葉を止める。重苦しい間が流れた。

 「あなた、何? お母さんをいじめないで!」

 突然、奥の方でその光景を覗いていたのであろう女の子がそう訴えて来た。あの子の目には僕がこの女性を責めているように見えるのだろう。実際、そうなのかもしれないけど。

 なんだか、すっかり悪者になってしまった。

 「いや、別にいじめているわけじゃ……」

 その頃には、僕のテンションはすっかり落ちてしまっていて、ここに来たことを後悔すらし始めていた。そして、そんなタイミングでこんな声が聞こえて来たのだった。

 僕の背後から。

 「夫が死んだ事が分かるとね、相続税でロボットの半分は持って行かれてしまうんですよ、国に」

 振り返ると、いつの間にかそこにはあのロアが立っていた。部屋からの光を浴びたロアの姿は、暗くなり始めた外の背景に縁どられて、なんだか随分とシリアスに思えた。

 全く似合わないけど。

 「いや、だからって……」と僕はそう言う。夫の死をなかった事にしてしまうのはあまりに非常識だ。いや、そもそも犯罪だろう。それに、これは飽くまで勘だけど、この家の事情がただそれだけのものとは僕には思えなかった。

 気が付くと、目の前に男の子がいた。円らな瞳で僕をじっと見つめている。

 「何かな?」

 僕は恐る恐るそう尋ねた。

 すると、その男の子は女性を見ながら僕を指差しこう彼女に訊いたのだ。

 「……この人、誰? お父さん?」

 僕はその言葉に驚いてしまう。

 それを聞いて女性は慌てて男の子を止めようとしたけれど、僕はその前に身元不明遺体の似顔絵をその子に見せていた。

 「ねぇ、君。この男の人を見たことがある?」

 男の子は、どうしてそんな質問を自分が受けるのかが分からなかったらしく、それにとても不安そうな表情を見せたけど、それからフルフルと頭を横に振った。

 僕は女性を見ると、今度は明確に責める口調で言う。

 「これはどういう事ですか?」

 その言葉を浴びせられると、女性は怯えたような顔を更に崩し、今にも泣き出しそうになってしまった。

 僕は続ける。

 「仮に夫婦別居なのだとしても、子供が一度も結婚相手の男性の顔を見ていないというのは不自然です。ここに自分のロボットを預けてあるのであれば特に」

 同情を誘うようなその女性の表情を見ても僕が彼女を責め続けたのは、もちろん殺人の可能性を疑っていたからだ。

 何らかの手段であの男性を殺害し身元不明遺体として処理されるように工夫した後、彼女は男性のロボットを実質自分の所有物としたのではないだろうか? 籍を入れたのが先か後かは分からないけど。

 「まさか、あなたは……」

 子供達の前で“この男を殺したのですか?”と言うのは憚られた。だからそこで止めたのだけど、充分に僕の発言の意図は通じたのだろう。女性は大きく狼狽した。

 「違います! 私はその男性を見た事も、会った事もありません」

 僕は首を横に振る。

 「信じられません」

 「信じてください。私はただ籍を入れさえすれば無料でロボットを手に入れられると言われて従っただけです。生活がとても苦しかったから……

 その男の人が死んでいる事も今日まで知りませんでした」

 僕はそれを聞くと大きく深いため息を漏らした。

 「そんな事が起こるはずがないでしょう? いくらなんでも無理があります。とにかく、警察に連絡をしま……」

 そしてそう言いかけた時だった。再び背後から声がしたのだ。ロアだ。

 

 「――しかし、実際に起こってしまったのだから仕方ないでしょう?」

 

 何を言っているんだ、こいつは?

 僕はそう思いながら、ロアがいる方を振り返った。相変わらずに部屋からの光を浴びているロアのその姿は、存在を強調しているかのように暗い風景の中で浮き出ていた。

 それからロアは一歩アパートの部屋の中に足を踏み入れてドアを閉めると、液晶ディスプレイになっている顔面の幾何学的な顔の映像を変え、代わりに履歴書のような画像を映し出した。写真部分は小さくてよく分からなかったのだけど、どうやらあの身元不明遺体と同一の男の写真のようだった。もちろん、生前のものだ。

 ロアは指を自分のその画面に向けた。どうやら僕に“読め”とそう言っているようだった。

 「ボクはそれを知っている。何故なら、彼女にそう提案したのはボク自身なんですからね、佐野隆さん。もっとも、ボクも彼が死んでいる事は知りませんでしたが。

 まぁ、ただ“或いは死んでしまっているかもしれない”とは思っていましたよ」

 僕が近づき、その画像の履歴書のようなものを読んでいる間で、ロアはそのような事を語った。その履歴書のようなものには、その男の個人情報が書かれてあった。家族構成、今は一人暮らしである事、住所、資産、所持しているロボットの数…… そして、現在、行方不明になっている可能性が極めて濃厚である点も。

 僕は顔を歪める。

 「どういう事だ? というか、そもそもお前は誰だ?」

 こいつはロアじゃない。

 なんとなく僕はそう察していた。話している感じが全然違う。

 「おや? 分かりましたか。あなたは思ったよりは間抜けではなかったようだ」

 「そもそも、さっきお前が言ったのはロボットが言うようなセリフじゃない。いくらロアがロボットらしくないからと言っても変過ぎる」

 ロア…… の身体を恐らくは乗っ取ったのだろうその何者かは、「その通り」と言い、それからこう続けた。

 「ボクはネットを介してこのロアというロボットを操作しています。ほら、ネットやなんかであなたはこの男の事を調べていたでしょう? この男について調べられるのを警戒してアンテナを張り巡らせていたボクには、それを察知する事ができたんです。あなたが都合よくこのロアというロボットを雇ってくれたので、それを利用してずっと監視していたんですよ」

 「それは、僕が真相に辿り着かないようにする為にか?」

 「まぁ、そんなところです」

 それを聞くと僕は腕を組んだ。

 考えてみれば、色々とロアは僕の調査を妨害していたような気がする。僕はロアを指差すとこう指摘した。

 「なるほど。確かにロアは色々と不自然だったものな。ロボットを追いかけるのを止めたり、張り込みをサボったり」

 「ええ、」

 と、ロアは答える。

 それを受けると僕はこう続けた。

 「いや、そもそも初めから不自然だったんだ。あの、つまらない冗談。それに、燃料を要求してきたりとか」

 「それは知りません」

 ちょっと停まる。

 「僕を転ばせて小銭を落とさせたりもした」

 「それは単にあなたが間抜けなだけです」

 再び停まる。

 「……とにかく、お前の目的は何だ? どうしてあの死んでしまっていた身元不明の男性のロボットを、この女性に与えたんだ?」

 「身元不明ではありません。行方不明の男性のロボットです」

 「どちらでも同じだ。どうして、そんな事をした?」

 ロアはそれを受けると少しの間をつくった。淡とこう言う。

 「単純な話です。ボランティアですよ」

 「ボランティア?」

 「はい。ロボットは高価な労働資源です。ですがしかし、その資源が持ち主が行方不明になる事で無駄になってしまっている。それを有効利用できれば、彼女のような生活の苦しい人間達を助けられるのに、です」

 僕はその言葉を受けて、女性を見てみた。先にも書いたけれど、女手一つで子供達を育てている彼女からはとても苦労していそうな雰囲気が如実に感じ取れた。それから部屋を見渡す。質素な部屋だった。贅沢な家具調度の類は一切なく、必要最低限で留めてある。

 そもそも、十体もロボットを抱えているのに倉庫を利用しないのは、生活が苦しいからだろう。

 子供達が何かを訴えるような瞳で、じっと僕を見つめている。

 貧困に耐えながら、健気に育っている。

 そんな印象を持った。

 口を開く。

 「それを信じろって言うのか?

 お前が彼を殺したのかもしれない」

 するとロアは肩を竦めた。

 「何を言っているのです? もしそうなら、こうして現れるはずがない。ずっと隠れていますよ」

 「いや、だとしたって不自然過ぎる…」

 僕は随分と弱い口調でそう言った。まるで迫力がないのが自分でもよく分かった。それを見切っているからか、ロアは少しも動じずに応える。

 「何を言っているのです? 何も不思議な話ではないでしょう? あなただって知っているはずだ。

 人間優先主義者。

 彼らはロボットが製造した製品の方がクオリティが高くても、人間が製造した製品を買っている。これは言うなれば人間の為に行っているボランティアみたいなものだ。

 ボクはロボットの存在を全否定するべきだとは考えていませんが、それでも“ロボットの進化”にこの社会が対応できているとは思っていないのです。だから、それを是正する意味でこのような活動をしている。

 “ロボットの進化”の恩恵を受けられず、理不尽に苦しい生活を強いられている彼女のような人を助けているのですよ」

 僕はそれに何も返せなかった。

 僕が論破されそうなのを認めたからか、女性が口を開いた。

 「お願いします。どうか見逃してください。もしロボット達を奪われたら、私達の生活は破綻してしまう……」

 頭を下げて、そう懇願して来る。子供達が僕をじっと見ている。とても質素な部屋の風景。

 これは完全に僕が悪者だ。

 これを記事にできなかったら、僕はネタに非常に困る事になるわけだけど、でももちろん、それくらいじゃ生活は破綻しない……

 それに。

 僕自身も人間優先主義者達のボランティア的な活動によって生活を支えられているようなものだ。道理で言っても、何かしら世間に“お返し”はするべきなのかもしれない。

 「分かりました。見逃します。警察にも通報しないし、これをネタに記事を書いたりもしません」

 気付くと僕はそう言っていた。そしてそれを聞くと女性の表情はパァと明るくなったのだった。

 ロアがそれに何と言うのかと思ったけれど、「ほら、だから“さっさと諦めて帰りましょ”って言ったじゃないデスカ」と、そんな事を言って来た。

 どうやら既に元のロアに戻っているようだ。まぁ、あの正体不明の男にとっては、自分の存在を晒す事は大きなリスクになるだろうから、目的が達成されたなら“さっさと退散すべし”なのはよく分かる。

 それから僕は「夕飯を食べて行ってください」という女性の誘いを断り、仕事場へと戻った。

 もちろん、このネタがオシャカになった以上、早急に別のネタを考え出さなければならないからだ。

 原稿を落としたら、今度は僕の生活がピンチになってしまう。

 

 間。

 

 「――なるほどな。それでお前は、別のネタに切り替えた訳だ。仕方ないとはいえ、記事のインパクトは随分と弱くなっちまったな」

 

 職場で必死に原稿を書いている僕に向けて火田がそんな事を言った。今から取材している時間はないと判断した僕は、ロアをネタに“無能なロボット”というタイトルの記事でいこうと考えていたのだ。

 いや、絶対にあいつは“無能”と呼ぶに値する働きぶりだったし。顔面がディスプレイになっている機能は役に立ったけれどさ。

 「しかし、ロアをネットを介して操っていたってその野郎はなんか怪しいな」

 溜まったストレスをエネルギー源にして猛然と記事を書き進める僕に向けて、火田はそんな当たり前の事を言った。

 僕は火田に正直に起こった事を話していたのだ。事情を知れば、納得してくれる奴だとは分かっていたから。

 「そりゃそうだろう。アレが怪しくなかったら一体何が怪しいんだ?ってくらいに怪しい奴だったよ」

 僕がそう応えると火田は「いや、そういう事じゃなくてな」と言ってから続けた。

 「そいつの目的は、本当にボランティアだったのか?」

 「何を言っているんだよ。それ以外に、何か目的が考えられるのか?」

 それを聞くと、「ふむ」と言い、顎に手をやってから火田はこう言った。

 「そうだな。例えば、それで身元不明遺体のその男の“国籍・人権”は、浮いた状態になるのだろう? そして、ロボット達の活動がそのままその男の存在証明になり、人間社会においての活動にもなる。それって、まるでロボットが人間の人権を奪ったみたいじゃないか?」

 僕は手を止めた。

 「何が言いたい?」

 「その女性を助けるっていうのは名目に過ぎなくて、そいつの本当の目的はロボットに人権を与える事だったのじゃないかと俺は思ったんだよ」

 僕はその火田の言葉に顔を歪めた。

 「何のために?」

 火田は僕のその問いには答えず、こんな不思議な事を言った。

 「な、そいつは本当に人間だったのか?」

 「いや、人間だろう。ロボットにあんな会話は無理だ」

 「そうか? だが、“チューリング・テスト”に合格した人工知能なんて最近じゃ珍しくもないんだぜ。お前が人工知能を人間だって勘違いしても不思議じゃない」

 “チューリング・テスト”というのは文字だけの会話で、相手が人間かどうかを判断させるテストの事だ。これに合格した場合、その人工知能には人間と同等の知能があると見做される。もちろん、問題点や反論もある訳だけれど、それでもこのテストは今の社会においても大きな意味を持っている。

 「もし、人間じゃなかったら、どうだって言うんだ?」

 疑問に思った僕はそう尋ねた。火田は半ば冗談のような口調で応える。

 「その人工知能は、機械が人間に成り代わる事を目指しているんだよ。だから、そうやって少しずつロボットに人権を与えているんだ」

 「なんだそりゃ?」と、それに僕。馬鹿馬鹿しい。火田がこんなSFみたいな事を言うのは珍しい。いつもはもっと現実的な考え方をする奴だ。

 火田はそれに「分かっているよ」と返してからこう続けた。

 「だが、“事実は小説より奇なり”とも言うぜ。世の中、何が起こるか分からんさ。特に今のこんな時代は」

 僕が流され易い性格をしている所為か、火田にそう言われると、なんだかあり得そうな気になってきた。

 そしてそれから僕は、あの時会話していた相手が、本当は無機質な人工知能なのだと想像してみたのだ。

 メタリックな臓物・脳回路に電気信号が飛び交う“人格”を模したもの。

 そして怖くなった。

 或いは彼らは人間を摸そうするどころか、自分達を人間だと信じ込んでいるのかもしれない。そして、そう信込んだままこの社会を動かしている……

 

 ――もしかしたら、僕自身もロボットなのかもしれない。

 

 そんな事をちょっと思った。

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