第15話『極悪との対峙』 第2節
先ほどまで不遜で尊大な男の姿は今はもうどこにもない。
今目の前にいるのは狂った獣であり、死をまき散らす暴力の権化そのものだった。
「ヨクモヨクモヨクモヨクモヨクモ、コノ偉大ナル、ガリブノ血ヲ受ケ継ギシ、ワレヲ愚弄シタナ!!万死万死万死ニ値スル!!!」
そう禍々しい言葉を放っているうちも目の前の男は漆黒の怪物に変わっていく。
俺は先ほどからシャレにならないほどの体の震えと悪寒、そして気を失いそうな恐怖が同時に、しかも俺の心が今にも折れそうなほどの圧迫感と共に襲い掛かってくる。
「ハッ気持ちわりぃ奴だぜ、変なにおいがするかと思ったら爬虫類かよぉ。煮ても焼いても食えなさそうだぜぇ」
今はカズの肩の上に座っているエスリンだが足をパタパタと動かしながら余裕で悪態をついている、ホントにこいつの事はわからない。何者なんだこいつは。
しかしそのおかげか少し、ほんの少しだが気持ちが軽くなった気がしていた。
それにカズも何か考えがあって挑発をしたんだろう、目の前で余裕そうな態度で立っている友達の姿を見るとなんとなくそんな気がしてくる。まぁ勘違いかもしれないけど。
そして今にも飛び掛かってきそうな様子を見せ始めた怪物、だがしかしもっとも慌てだしたのはこちらではなく向こうの従者たちだった。
「おやめくださいませガリブ侯爵殿下、ここでは別パーティー同士の戦闘行為は禁止されております。どのようなペナルティがあるか分かりません、どうか伏してお願い申し……」
「ウルサイ、黙レ!」
後ろに控えていた黒いローブを着た執事と思われる男性は、仲裁の言葉を言い終わる事無く。一瞬なにか目の前を黒いものが横切ったかと思うと、ボール球のように吹き飛びかなり遠くの中庭に横たわっている。
何をどうしたのかはわからないが、今の光景は相手の力量を見るには十二分だった。自分たちが近づけばいとも簡単に殺されることだろう、そのくらいの力の差があるのは明らかだった。
「待ッテイロ、イマスグバラバラニ解体シテ殺シテヤル!!」
そう言いながら出した手はもはや人間の物ではなく、大きな爪を持ったトカゲを思わせる手を持ち上げて獲物を今にも飛び掛かり捕らえようとするために、バネをきつく巻いているようなそんな様子を見せ始める。
「死ネネネネェェェェ!!!!」
そう言った後の初動は全く見えなかった、見えたのはカズの喉元に爪が突きたてられているように見えるほど爪が近づいている時だった。情けない事に俺は恐怖のあまり、目をつぶってしまっていたのだ。
「失礼いたします、当フロア、当エリアでは別パーティーとの戦闘行為は禁止されております。これ以上行った場合ペナルティを課します、最悪の場合強制敗退になる可能性がございます。」
そんな声がして、再びカズの方を見ると黒い怪物はカズの目の前で止まっており、その横には長い美しい銀髪を後ろで結び、闇のように黒いブラウスにハイウエストのスカート、そして輝くような刺しゅう入りのフリルエプロンとレースのカチューシャを身に着けウエイトレスのような格好をした美女だった。
しかしそれだけならどこにでもいる普通の美女だったが、額から伸びている二本の角が彼女も異形の者だと周囲に訴えているようだ。
そんな美女が綺麗なお辞儀をして立っていた。
爪は突き立ってはいなかった、喉元わずか数センチの所で爪は止まっていたのだ。そしてそれを止めているのは目の前のウェイトレス姿の美女だった。
「キサマ!!神族カ!貴様ラハヒッコンデイロ!我ノ狩リヲ邪魔スルナ!!!」
「先ほども申し上げた通り、これ以上の暴力行為はペナルティになります。ゲームの運営を妨げるものは実力行使で止めてもよいと指示を受けています。どうされますか?」
「ガリブ侯爵閣下、あなたにはやらなければならない使命があります、このようなところで敗退してはガリブ家の名誉にかかわります。どうかここはお引きください」
そう訴えているのは先ほど男の隣にいた侍女の少女だった。
その眼は真剣で、真摯さを感じ使命に殉じようとしている、そんな眼だった。
その少女の訴えに負けたのか、ウエイトレスの美女の言葉に従ったのかはわからない、だが黒い怪物は爪を下しカズから遠ざかっていく。
黒い怪物を覆っていた黒いうろこの様なものは、波が引くように元の人間の皮膚に戻っていき、男の眼には理性の光が戻ってきているようだった。男は舌打ちしながら、ウェイトレス姿の美女をにらみ付け口を開く。
「これで良いのであろう?ちなみに聞くが仲間内への攻撃は禁止されていないであろうな?」
「はい、禁止されておりません。しかしそれに伴う建物への攻撃は禁止されておりますのでご注意ください」
「わかっておるわそんな事は!!……さてサニヤ」
「はい、閣下」
俺たちが言葉も発せずに見守っている中、目の前の男は目の前の少女を自分の爪で引き裂いた。
付近には血煙が舞い、バタリと倒れた少女の付近には赤黒い水たまりが広がっていく。
俺は目を疑った、なぜ仲間をそんな気持ちでいっぱいだった。
「なぁっ!!??」
「下僕のクセにワレに偉そうなことを言うではないか?お前にその事をのたまうような事が、よくも許されると思ったものだ。」
「申し訳……ございません。……閣下。」
「ハッ興が削がれたわ、おいそこな羽虫どもよく聞いておけよ、我が名はジャッバール・ガリブ・ヴァイル、誇り高きガリブ家の次期党首である!貴様らには楽に死ぬ権利を与えん、苦しみもがきながら後悔の内に我が殺しつくしてやろう。必ずだ。……それでは行くぞ皆の者。」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
俺は言わずにはいられなかった、目の前で俺の前でこいつは自分の仲間を切り裂いたのだ。
少女は何とか立ち上がろうとしているものの、切り裂かれて未だ血は流れ続けている。
仲間の事を簡単に傷つけ、そんな事を気にせずそのまま行ってしまおうとしている。そんな目の前の男への嫌悪感で俺は声を掛けずにいられなかった。
いじめをやっていた奴が何言ってんだと、俺の心が訴えてくる。だけどそれでも俺は目の前の事がどうしても許容できなかったのだ。
「なんだ羽虫、ワレが無視している間に疾く去るがいい」
「その子は……その子はお前の仲間なんだろ?どうして傷つけるんだよ!死んじまうかもしれないだろ、なんで治療してやらないんだよ!!」
「貴様に我ら種族の何がわかる?このようなことで死ぬような種族ではないわ。もし死んだらそいつは劣等種だっただけの事、捨て置いても何ら問題ない。優しいワレがもう一度言っておこう、ワレの気が変わらぬうちに疾く去れ羽虫よ」
「クッ!!」
俺はそれにあらがう言葉を持っていなかった、よく考えれば相手の事は全然知らない。あの男が傷つけるのが当たり前と言えばもうこちらにはいうべき言葉はなかった。
傷を受けた少女はフラフラとしながらも立ち上がり、去っていく男の跡をよろよろとついていこうとする。
それに思わず俺は声をかけてしまっていた。
「あの……えっと、サニヤちゃんだっけ?血がまだ出てるみたいだし、治療してもらった方が……」
そう話しかけると少女はこちらを向くその顔は半分ほど布で覆われているためどんな表情かはわからない、でもその紫色の瞳はまるで感情を宿していない人形のように無機質なものだった。
「遠慮……いたします、敵に同情を掛けられるほどガリブ家の侍女は安くございません。失礼いたします」
それだけ言うと少女は、体を引きずりながらも男の後についていった。
俺は親切心のつもりで声を掛けた、でもそれは彼女のプライドをいたく傷つけてしまった事になるのではないだろうか。
俺はいつもそうだ善人ぶって親切をしようとして、でも肝心な時は怖くて何もできない。そんな俺は根本的に何も変わってないと実感させられる。
そして気を抜いたとたん、腰が抜けてたてなくなる。
他の人がそうなっているのは見たことがあるが、自分がなってみるとすごく情けない。
だがそんな俺よりも深刻な人物が一人いた。
「アズ!おい、大丈夫か?!」
呼びかけるも返事がなく、アズは荒い呼吸をしながら気絶していた。
無理もないだろう、さっきのジャッバールという男の圧力はすごいものだった、気を抜けば一瞬で殺されてしまうほどに。
しかしそれでも変だ、確かにひどいものだったがこんな風に呼吸困難に陥るほどではなかったように感じる、もしかして何かの病気か?早く治療しないと!早く!!
「おい!カズ、アズが変なんだ、おい!おい、しっかりしろよ!!」
「落ち着いてゼン。アステリさんアズの様子がおかしいんです。看てくれませんか?」
アステリと呼ばれた美女はゆっくりと近づいていくと、アズを仰向けに寝かせて優しく額に手を置く。
「どうなんだよ!直るんだよな?」
「ゼン、大丈夫だから落ち着いて。アステリさんどうですか?」
「はい、大丈夫ですよ。少し魔力に当たりすぎたみたいで、魔力中毒症が発症していますが。治療すれば回復します、治療室まで運ぶのを手伝っていけませんか?」
そういうとどこから出したのか、突如として目の前に木でできた丈夫そうな担架が現れた。多分これで運べということだろう。
「ほらゼン、アズは大丈夫だってさ。アズを運ぶのを手伝おうよ」
「わかったよ、でもちょっと待ってくれ……」
俺はホントに情けない、こんなんで俺はホントにみんなを助けることが出来るのだろうか……。
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