9.
使用人が伝えた訪問者の名前は、最上に美しい女性の名だった。
マルグレットはラウラと初めて会った時のことを思い出す。彼女とはシュバルシェ家開催の晩餐会で挨拶を交わした。そして
「これは当家自慢のワインです」
紅い唇が印象的な笑みでもてなしてくれた。優美な仕草で華美な装いのラウラは、マルグレットでさえ目を奪われた。
そんな彼女に魅力を感じ、恋に落ちて行ったヘンリック―――
婚約者の『元婚約者』の元にくるとはいったいどのような用件なのだろうと不思議に思う。商売に関することであれば父や兄を通すであろうから、マルグレットを指定しているのであれば……ヘンリックのこと、だろう。
兄と父親は仕事で出かけていて、館で留守を預かる母親が心配そうにマルグレットを見ていた。
商家のグリーディ家に名家シュバルシェ家の訪問を断ることはできない。気は進まないがマルグレットは彼女を応接室へ案内するように使用人に告げ、安心させるように母親に微笑んだ。
「私は大丈夫よ。ラウラ様のご用件を伺ってくるわ」
それでも何度か溜息を吐き、力を貰おうとアベルから贈られたペンダントを着け、ショールを纏って応接室に一人向かった。
お茶を出して持て成した使用人と入れ代わりに応接室に入る。
そこで待ち構えていた女性はやはり美しかった。ダークグリーンの襟ぐりの広いエンパイアスタイルのドレス、肌を隠すようにネイビーのショールを掛けていた。シンプルな装いだけれど、窓から外を見ているだけのその姿でさえヘンリックが心奪われても仕方がないくらいに優雅で美しかった。
「お待たせしました。ごきげん……」
「私、ヘンリックと同じ紋様が浮き出ましたの」
マルグレットの挨拶で振り返り、その声を遮って綺麗な声音でラウラが告げた。
ラウラに紋様があることは既に知っている。ヘンリックと同じ紋様が後天的に確認されて、神殿に登録された。そして二人が天命の番いとなったこと。ヘンリックの母親からその話を聞いて、別れを告げたのだから。
「話に聞いております。ヘンリック様の新たな『天命の番い』として登録され、ご結婚の日も近いと伺っております。お二人のご結婚を心よりお祝い申し上げ……」
「ですから、ヘンリックは再び王位継承権を持ち、順位は三位になりますのよ。ご存知?」
ヘンリックは王族の血を引いているので、マルグレットとの天命の番いの際も王位継承権は発生していたが、その時はかなりの低位で無いに等しかった。ラウラとの番い登録で王位継承権が上位になったということは初耳なのでマルグレットは顔を振る。
「妻がシュバルシェ家のこの私なのですから、以前よりも順位があがるのは当然でしょう」
「そうな……そうですね」
思わず『そうなのですか?』と言いそうになって言い直した。王位継承に本人ではなく番いの身分も重要視されていたことも初めて知った。マルグレットとの婚約の際にヘンリックの継承権が低位だったのはマルグレットが問題だった、といいたいのだろう。
「今日ここへ来たのは貴女からアベル様に進言してもらおうと思って。ヘンリックの待遇についてを」
「え?」
アベルの名が出たことに驚く。それもアベルにヘンリックのことで進言をと言われて首を傾げる。上司と部下として固い信頼関係を築き上げてきた二人であることをマルグレットは知っているからだ。
「魔力や魔術の技術はアベル様の方が上ですけれど、紋様を持たないアベル様は国王になる資格はありませんわ」
「そう、ですね」
「あなたとの婚約を破棄したことを怒っていらっしゃるのか、最近アベル様のお傍にヘンリックを寄せてくださらないとか。お仕事のお話も言葉少ないのですって。それはあまりいいことではないと思いますの。次期国王に近い者に対して嫉妬しているだけかもしれませんけど、王子としてあまりに許容がないと思いません?」
「アベル様は、そんな心の狭い方では……」
「ヘンリックもアベル様のあまりにも酷い仕打ちの理由がわからず、どうしていいのかもわからず毎日心を痛めておりますのよ」
マルグレットはラウラの言葉に釈然としなかった。マルグレットが知っているヘンリックと、どこかが違う気がしてならない。
例えば、ヘンリックは心を痛めたら、自分では何もせずにどうにかしてくれと人に依頼するような人だったか?
「ヘンリック様がおっしゃったのですか?」
「なんですって?」
ラウラが何を言っているのだと片眉を動かした。
「ヘンリック様がアベル様の仕打ちが酷いからラウラ様に何とかしてほしいと、そうおっしゃったのですか?」
「言わなくてもわかりますわ! 悩み、苦しんでいる婚約者を見て、何とかしようとすることは当たり前のことでしょう!」
ラウラの言葉に首を振る。マルグレットの知っているヘンリックは、ただ悩み苦しむだけの人物ではなかった。
「ヘンリック様はまずはご自分で考え、答えを探し、乗り越えようとされる方です。ヘンリック様がアベル様のことで悩むのであれば、ご自分でアベル様に何故なのかを納得するまで問いかけるでしょう。ご自分の処遇が不適切と思われたら、正式な手段で訴えることをする方です。助けを求める時は正面から『助けてほしい』と言える強さをお持ちでもあり……」
「内助の功というものを、貴女はご存じないのっ?」
ラウラは苛々しい目をマルグレットに向けた。それにも屈せずマルグレットは言葉を続ける。
「私の知っているヘンリック様は、険しくても正しき道を模索しながら進まれる方です。ヘンリック様が信じ、突き進む道を見据え支えることが……」
「そんな考えではヘンリックを支えられないわっ! ヘンリックはただの魔術師ではなく次期国王になる男性なのよっ!」
『国王になる』は一瞬聞き間違いかと思ったが、ラウラははっきりと言っていた。しかし先ほどラウラはヘンリックの王位継承権の順位は三位と口にした。マルグレットの知る限り、継承権一位は第一王子で二位は現王の姉の嫡男で、どちらも王になる能力は十分で若く、健康体と聞いている。
なる、というのは言い間違いだろうとマルグレットは頭を振った。それでも。
「魔術師であっても、もし国王になられたとしても、ヘンリック様の正直さと強さは変わらないと思います」
「なにを……」
「アベル様は心から尊敬できる素晴らしい方です。ヘンリック様をお近くに寄せられないことには正当な理由が必ずあるはずです。先ほども申しましたようにヘンリック様がアベル様の行為を不審にお思いなら、必ずご自分でその意を確かめようとするでしょう。アベル様もそれに応えるはずです。失礼ながら、ラウラ様はヘンリック様の強さをお疑いなのですか」
「―――っ! そんな考えだからヘンリックは貴女に愛想が尽きたのよっ!」
鋭い眼差しを向けられ怒鳴られ、しまった、とマルグレットは思った。
マルグレットは自分の思ったことを突き通そうとしてしまう時がある。家族に頑固と言われる所以だ。
しかしそれは身分が上のラウラに対してその行為はあまりにも不敬……しかも彼女によれば、自分のそういった面がヘンリックの心が離れていった原因。己の不出来さに深く気落ちする。
それでもラウラに対する非礼はすぐに詫びなくてはいけない。
「差し出がましいことを、本当に申し訳ありません。たいへんな失言を致しました」
マルグレットはいきり立つ目の前の女性へ、深く頭を下げた。