7.
マルグレットとステファンの会話の翌日。
アベルの来訪を告げられたマルグレットが応接室で待っていると、スレファンに案内された彼が挨拶と共に
「君の瞳と同じだったので」
ブルースターとスズランの花束を差し出した。思いがけない淡い青色と純白の花はマルグレットの心を安らげた。その甘い香りを吸った後、マルグレットは花束を花瓶へ移すように使用人へ依頼し、それから背を隠すように羽織っていたショールを掛け直してアベルを見据えた。
「ちょうど私もアベル様とお話をしたいと思っておりました」
「それは私からの話を聞いたからか?」
「そのお話は昨日、兄から……」
マルグレットの言葉にアベルはそうかと頷いた。
「天命の番いは解消され、ヘンリックとの婚約破棄の手続きも正式に終えてかなり日が経つ。傷も癒え、君も落ち着いたころと思い結婚を申し込みをしたのだ。是非私の妻になってほしい」
アベルから『その気はないのに、事が大きくなってしまった』と相談されると思っていたマルグレットは突然の求婚に唖然とし、それでもなんとか声を絞り出す。
「そ、んな……お気遣いでの結婚など」
「気遣いなどではなく本気だよ。私は出会った時からずっと君を妻にと望んでいた。しかし君が神の子であり番いの紋様を持つヘンリックがいたから諦めていたのだ」
ステファンが『ずっと好いていた』と言っていたことをマルグレットは思い出す。
―――それは事実だった?
「それ、でも……アベル様に私などではっ」
「どうして」
アベルは驚いたように目を見開いた。堅苦しい所があまりないアベルだが、彼は王子だ。片やマルグレットは商家の娘。どうして彼は自分の言いたいことがわからないのだろう。
「身分が違いすぎます」
「そのことか」
アベルは事もなげに答えた。
「身分はすぐに関係なくなる。近々私は隣国に行くことになっていね。そこで、君に妻として着いてきてもらいたいのだ」
「テスガルト、に?」
その言葉にマルグレットは驚き、言葉を詰まらせた。
この国では王族がこの国を出ることは王族であることを放棄したとみなされ、別名を持ち一般人と同じ立場となる。アベルの有能さはマルグレットも見て聞いて知っている。紋様さえ持っていれば時期王に相応しいと言われている彼が、なぜ隣国に。
「王位継承権がないとはいえ、次代の王の親となる可能性があるが故に命は狙われる。いい加減そのことにうんざりしたのだよ。幸い、私が隣国へ行くことも妻を自分で選ぶことも父は良いと言ってくれた。君が手に入るのであれば、王子という立場は喜んで捨てる。隣国ならば、君の“噂”のことを知る者もいないから住みやすいと思う」
真摯な瞳で言われると、マルグレットも全てを打ち明ける必要がある。アベルを案内し、そのまま同席しているステファンに人払いを依頼して母を呼び寄せた。
その依頼内容とこれから起こる事態がわからず、アベルは綺麗な眉を顰める。
「人に聞かせられない言葉で私の求婚を断るのか」
「いいえ。人には見せられないものをお見せするだけです」
ステファンが退室し、代わりに入ってきた母に手伝って貰いながら上着をはだけて背を見せた。
マルグレットの背に刻まれた、花に似た神の紋様“だった”赤い痣。そこに走る赤黒く腫れあがった一筋の傷痕。自分でもこれを見た時にとても人のものとは思えず、血色を失ったぐらいの醜い傷痕。
アベルが己の背を見たことを認め、マルグレットは衣服を直した。そして瞳を伏せ、俯く。
「このような醜い傷痕を持つ私が、アベル様の妻になどなれるはずがありません。まして、神の子を外された私が」
「君はその傷があるだけで求婚を断るというのか」
そんなこと、とアベルは片眉を上げる。
「それを君が言うのであれば、私も言おう。その傷のお蔭で他の誰もが君の魅力に気付かないでいてくれ、私は君を手に入れることができる。私はそれが『神の意志』であると思っている」
はっきりと言い切るアベルにマルグレットの心は揺らぐ。
アベルは『その傷だけで』と言い、マルグレットの背を見ても嫌悪の表情は浮かべなかった。しかも『神の意志』とまで言ってくれた。
アベルのことを好きか嫌いか、といえば嫌いなはずはない。けれど、愛しているかと言われればヘンリックの時のような熱い思いは湧き出てこない。
結婚の申し込みなど今後誰からも来るはずはなく、アベルなら大事にしてくれると思う。
けれど―――
「……お返事に時間を、戴いてもよろしいですか」
「もちろんだ。ああ、それからこれを君に」
アベルが差し出したのは綺麗に折りたたまれた琥珀の糸を取り入れたショールと、ペンダントトップが琥珀のネックレス。
「これは?」
「厄除け、かな。君に無用な厄が及ばないように作ったものだ」
「この琥珀の……ヘンリック様が以前身に付けていた物に似ています」
マルグレットは受け取ったネックレスの鎖を指に絡め、琥珀を目の高さに持ち上げた。
記憶にある、ヘンリックの首元にあった緑色のネックレス。色と大きさは違うけれど、トップの形と中に刻まれた模様は一緒だ。アクセサリーを嫌うヘンリックが身に着けていたので珍しいと思いながらダンスの時にその模様をまじまじと見て―――それがヘンリックとの最後のダンスだった。
「よくわかったね。ヘンリックが持っていたのは研究の試作品だったものだが、今渡したものは完成品。魔を除け、厄を除ける力を持っている」
「魔と厄を?」
魔術の開発を仕事としているアベルやヘンリック達は魔法具を創作することもある。その魔法具は簡単に手に入らず、高値で取引されていることは魔力のないマルグレットでも知っている。
「アベル様、こんな高価なものは……」
「魔法具は君の力に、支えになるはずだ。それは市場に出る物ではないので値段などつかないし、私が君のために作ったのだから受け取ってくれ」
手にあるものをアベルに返そうとしたが、彼は笑顔でそれを一蹴してしまった。
本当に受け取って良いものか悩んだが、“力のある物”弱ってしまったマルグレットの心の支えになるだろう。ましてアベルが創作した物なら間違いなく効力は高い。
迷いはアベルの笑顔で後押しされ
「 ―――ありがとうございます」
マルグレットは彼に感謝の意を伝えた。