6.
傷が癒えて外に出かけたマルグレットの耳に入ってきた『噂』があった。
『グリーディ家の娘の背には醜い傷痕があり、それは見るに堪えないものだ。神の紋様を損なわせた傷を持つその娘は、必ずや神の怒りに触れる。パウマン家は難を逃れた』という噂だ。
背に傷はあるし神の子も外されたことも事実なので、異論を唱える気はマルグレットにはない。しかしマルグレットの家族は
「どうしてマルグレットを貶める噂が広がるのか」
憤慨していた。神の子から外れてしまったことで家族に迷惑をかけていることをマルグレットは理解している。苛立つ家族に己の存在を申し訳なく思った。
またその噂には『紋様を無くした娘ではなく、シュバルシェ家の麗しきラウラ嬢との繋がりを持てたパウマン家はラッキーだ』という会話が同時にされていた。しかもラウラの背に突然紋様が浮かび、神殿登録されてヘンリックとの“天命の番い”の証明が成された、という話も。
紋様がただの“赤痣”となったマルグレットは、以前のようにヘンリックを思う熱い気持ちや執着は薄れていた。当時は“天命の番い”としての特性が強く影響していたのかもしれない、と彼女は思っている。“黙っている”と決めたこともその特性からだったかもしれないが、それでも自分が決めたことなので最後まで貫き通すつもりでいた。
しかしマルグレットがグリーディ家にいることで、神の怒りに触れると恐れる人々達に嫌厭されてしまう。グリーディ家への仕事へもかなり影響を及ぼしていることも痛感していた。
今後のことを考えた末、お茶の席でマルグレットは
「お兄様。私、修道院に行こうと思うの」
兄に相談したのだが、
「行かすわけがないだろう」
ステファンは即答で反対した。
神殿の管轄である修道院。そこは生涯独り身となることを決意した女性が外界との関わりを完全に断ち、神に身も心も捧げる場所だ。
「私は婚約解消をした女で、腕と背中には醜い傷痕がある。神の子も外されて、神の怒りに関わってしまうかもしれない。そんな私を迎えてくれるお方などいるはずがないわ。それに私がいるとグリーディ家に悪い影響しか……」
噂を聞いてからは外に出ることを極力避けていたが、マルグレットがこのまま館に留まっていてもグリーディ家に多大なる迷惑が及んでしまう。グリーディ家から離れて修道院で神に祈りを捧げれば贖罪をしている証明となり、グリーディ家への被害も少なくて済むとマルグレットは思ったのだ。しかし兄の考えは異なったようで。
「そんなこと、許すわけがないだろう!」
顔を顰めて一喝したステファンは、額に手を添えながら深呼吸をして息を整えた。
「修道院なんてとんでもない。俺だけじゃなくて父さんも母さんもお前を手放す気は無いぞ。だいたいお前がグリーディ家を出て行く理由など、どこにもない。それに……お前に結婚の申し込みがあった」
「私にっ?」
マルグレットは驚きの声を上げた。この国の者ならば、紋様を無くした女の話を耳にしていないはずないだろうに。『神を冒涜した』と言われる女を娶ろうなどと思う男性なんて―――なんて酔狂な。
「まあ、そこだけで驚くな。その相手というのがアベル・ジェライト様なんだ」
「あ……ア、ベル、さま?」
驚き過ぎて今度は声が震えて掠れてしまった。
王位継承権は『王族で紋様を持ち、実力がある者』という決まりがあるので、紋様登録をしていないアベルは王位継承からは外れている。それでもアベルは王族の一員。ヘンリックとの婚約は紋様がある故に身分差はさほど問題視されなかったが、アベルは王族であり多大なる魔力を持ち魔術師の中でも高名で、一般人に近いマルグレットとの身分差は明白だ。しかも、マルグレットは神の子を外された人間でもある。
―――それなのに、アベル様が?
「どうして……私?」
「申し入れの際、アベル様はずっとお前を好いていたと言っていたが」
マルグレットはヘンリックと以前交わした会話を思い出す。アベルは部下に慕われていて、ヘンリックも常にアベルに対して尊敬の念を抱いていた。そんなアベルは商家の娘であるマルグレットに対してさえ会えばいつも声を掛けてくれて、傷を負った時には花を持って何度も見舞いに来てくれた。
そんな優しい心根を持つアベルの姿をマルグレットは思い返した。
―――婚約解消した知人の女性をかわいそうと思って軽く口にした話が、大きくなっただけなのかもしれない。アベル様はお優しいから、それを否定できずにいるのかも……
「一度、アベル様とお話をさせていただきたいわ」
「そうだな。アベル様とお前は一度膝を突き合わせて話し合った方が良いと思う」
そう言って、ステファンは瞳を伏せた妹の頭を一撫でした。