4.
「マルグレット、大丈夫か」
マルグレットが目を開けたら目前に心配顔の兄のステファンが、彼の横には涙を流して安堵の息を吐いた母の姿があった。今いる場所がベッドの上と理解して起き上がろうとしたが、左腕と背中に強烈な痛みを感じて顔を顰め、そしてぼんやりと思い出す。
―――これは『天命の番い』ヘンリックに切られた傷の痛みだ、と。
「三日も目を覚まさず、熱も下がらなくて。医師からは覚悟をと言われていたが、良かった」
兄や母、二人の歓喜の声で慌てて駆け付けた父。その三人の姿を見てマルグレットは心が温かくなり涙ぐんだ。しかし、それはすぐに複雑な心情にとって代わる。なぜなら事の始まり、自分を切りつけたのは愛しているヘンリックだったこと、その彼に『お前がいる限り、俺に幸せはこない』と言われたことを思い出したからだ。
“番い”の取り消しを神殿に申請もせずに“番い”の命を奪おうとした。彼にそう決意させるほど、自分は憎まれていた。
その事実にマルグレットは瞳を曇らせたが、家族は彼女の意識回復を喜び合い、その変化に気付かなかった。ひとしきり賑やかな会話が交わされ、その後
「なあ、マルグレット。お前を襲ったのは誰だ?」
ステファンは妹を労わりながらも犯人の追及を行った。この質問に対してマルグレットは口元を引き締める。
意識をなくしてしまったのでヘンリックが捕まったのか、それとも逃れたのかがマルグレットにはわからない。ヘンリックから受けた仕打ちはこれ以上ないほど彼女の心を傷つけていたが、それでも彼を愛していた。だからヘンリックの行為は誰にも言わずにいようと心に決め。
「……知らない、人。お金の場所を問われて、答えなかったら切られたの」
マルグレットは小声でそう答えた。
自分を襲ったのは以前アベルから聞いた巷を騒がせている盗賊だと匂わせて黙る。ヘンリックもまた盗賊の仕業とみせるために、得意である魔術を使わず剣で切りつけたのだろうから。
マルグレットの返事に、自分が布いた警備の隙間を縫って妹が傷を負ったことに苛立ったステファンが舌打ちした。
「そうか。となればやはり例の盗賊どもか。警備人を増やしたが凶暴なだけではなく魔力があそこまで高い仲間もいたとは」
「魔力が高いっ……盗賊だったのですか」
犯人が“魔術使い”であることが知れているとわかり、マルグレットの声は少し上擦ってしまった。その情報からヘンリックが疑われてしまう可能性があるからだ。
「お前を切った剣は魔剣だったし、お前の部屋には音が漏れない符陣が張ってあった。魔術警備の者が言うには、どちらも強力な魔術だったらしい」
マルグレットの“盗賊”という単語に微塵も不信を抱かない兄を見て、ヘンリックは警備人に姿を見られることもなく、この館から逃げたことを彼女は悟った。あの晩、寝室で逃げ惑いながらマルグレットはヘンリックに向けて物を投げたり助けを求めて叫んだりしていたが、階下の警備人達どころか使用人さえも来なかった。ヘンリックほどの魔術の使い手なら『遮音の魔法』など簡単に扱えるだろうから当然だ。盗賊には魔術師もいたようだから、マルグレットが口を開かない限り“マルグレットを切りつけた犯人”はその魔術師となり、ヘンリックに目が向くことは無い。
それにしても何故あの時彼は、自分を確実に殺さなかったのだろうか、とマルグレットは思う。
天命の番いを殺すことに迷いなどないと見ればわかるほどの冷たい瞳をしていたのに。彼があの時止めを刺していれば、いま感じているこの心の痛み、血を吐く思いなどしなくても済んだのに―――
長くて重い溜息を吐くマルグレットを、家族は傷による痛みと会話で疲労が増したと解釈し、
「ゆっくりおやすみ」
マルグレットの額にキスをして退室した。
それから数日、マルグレットはベッドでの生活を強いられた。安静はマルグレットの傷を少しずつ癒やし、しばらくすれば歩けるようにまでになった。
左腕の切り傷が癒合するほど時間が過ぎてもヘンリックがマルグレットの元に一度も姿を見せなかった。両親やステファンはそれを怪しんでいたが、見舞いに来ない理由を知っているマルグレットは
「お仕事が相変わらず忙しいのね」
平静を装い、笑顔でそう言っていた。