13.
「ヘンリック様は何を考えているのだか。マルグレットと二人きりで話をさせるわけがないだろう」
ステファンが顔を顰める。
二人が婚約していた時とは違うのだ。婚約解消している二人は既に赤の他人の男と女、しかもマルグレットはアベルという新しい婚約者と結婚の話を進めている最中。元婚約者と同室に二人きりにさせるわけにはいかない。
「そうお返ししても、どうしてもと何度も強くおっしゃられているようで」
「ねえ、お兄様同伴でよければという条件を付けてはいかが?」
まごつく使用人を見て、ヘンリックが簡単に帰る様子がないのだとマルグレットが察して提案する。
少なくない罪状からシュバルシェ家取り潰しが決定となり、婚姻関係を結ぼうとしていたパウマン家にもその影響が及んでいることは知っていた。ラウラが偽りの天命の番いであったことや魔の魔術師に操られていたことは考慮されているが、ヘンリックは取り調べ対象であり、取り調べの最中でもあることも知っている。監視されていることや他者に注目されていることを知りながらもマルグレットの元にやってきたということは……ただならぬ話、をするつもりなのだろう。
自分を傷つけたヘンリックと二人きりで会うつもりはマルグレットとて毛頭ない。ステファン同伴の条件をヘンリックが飲まなければ、会わなくてもいいだろうと思っている。
マルグレットの提案を、いや、しかしと渋っていたステファンだったが、最終的には受け入れた。
「条件を受け入れて彼が館に入るようなら、身体検査は慎重に。くれぐれも同じ過ちがないように」
ラウラが短剣を隠していた経緯があるので、ヘンリックの持ち物に注意せよという伝令も加える。ヘンリックは取り調べ対象故に現在魔力を封印されているので、注意すべきは物質的武器だ。
使用人は了承の意を示してからヘンリックを引き留めている門番の元に、『付き添い者同室ならば会談可能』という返事を伝えに行った。
ヘンリックからの応の返事を聞いて、マルグレットとステファンは書斎で応対することに決めた。ラウラとのやり取りの後、応接室での客人の迎え入れはマルグレットには辛いものがあったからだ。書斎の品々は既に荷物として収納や処分をされており、がらんとした空間に応接室からソファを運び入れてある。
兄妹はそこでヘンリックが案内されてくるのを待っていた。しばらくすると
「マルグレット! 会いたかった!」
顔色悪くやつれたヘンリックが応接室に通される。彼を見てマルグレットは密かに安堵の息を吐いた。
彼を見ても、何の感情も浮かばなかったのだ。恐怖も怒りも憎しみも愛情も。ただそこに『ヘンリックがいる』という認識だけだった。
にこりとも笑わないマルグレットの隣には、彼女を守るべく張り付くようなステファンの姿があり、以前習慣だった抱擁の挨拶をしようとしたヘンリックはかつて見たことのない二人の様子に違和を覚え、口を噤んで対席に座った。
沈黙が部屋を包んだが、口火を切ったのはマルグレットだった。
「ごきげんよう、ヘンリック様。この度はどのようなご用件でこちらに?」
「マルグレットには前のように俺の傍にいてほしいんだ。君を傷つけた責任を取らせてくれ。今の君を天命の番いである俺以外が娶るなどあり得ないだろう?」
「あり得ない、ですか」
早口で言い切ったヘンリックの言葉で、マルグレットの視線が下がる。確かにヘンリックの言う通りだろう。マルグレットはシュバルシェの悪意を受けた身と同情されてもなお、神の紋様を汚した人間として見られているのだ。
―――この国では。
「ご心配ありがとうございます。幸い、アベル様は私を、とおっしゃってくださりテスガルトへの移住も」
「アベル様は君への同情からそんなことを言ったんだっ! 魔術師を捕らえるために、君に魔道具を渡す必要もあったからな。今頃はきっと後悔されているはずだっ」
マルグレットの言葉を妨げてヘンリックが喚く。
アベルにマルグレットへの愛情は一片もないと断言するヘンリックに向かって、ステファンが不快気に口を開きかけたが、
「私はマルグレットを愛している。それに彼女との結婚を決めたことに後悔など何一つしていないのだがな」
いつ来館し入室したのか不機嫌な表情でアベルが戸口に立っており、先に反論した。
「早かったですね」
ステファンが驚いた様子もなくアベルに言う。ヘンリックがここに来たと言う連絡を耳にしてすぐに彼に向けて伝達していたのだろう。
「ちょうどこちらに向かっていたからね。ステファン殿、この後は私が」
視線を交わし、この先は自分が同伴すると伝える。ステファンはそれに同意して静かに退席した。
アベルが当然のようにステファンのいた場所、マルグレットの隣に座ったのでヘンリックは眉根を寄せて不快を示したが、それに気づいてもアベルは素知らぬ顔でヘンリックに問いかけた。
「マルグレットに何の用だ」
「俺は天命の番いであるマルグレットを迎えに来たんです」
「マルグレットとの婚約解消を受け入れたのは君だし、ラウラ嬢に愛を囁き婚約を決めたのも君だ。今さらじゃないか」
「それは……っあなたも詳細はご存知でしょう、俺が彼らに操られていたことをっ!」
マルグレットはアベルの口調が妙に尊大で冷たいように感じた。恐らくアベルはマルグレットを守ろうとするが故にその口調になっているのであろうが、今日の彼はどこかが違う。ヘンリック対するその言い方はアベルらしくなく、対するヘンリックもマルグレットに異常に執着しているようだ。
どうしてそこまで互いに敵対視するのかと首を傾げ、とりあえずはヘンリックに答えを返す。
「ヘンリック様が私をなぜ傷つけたのかは事情をお聞きし理解しております。けれど、私はもうヘンリック様とは婚約解消いたしましたし、この先はアベル様と共にと決めております」
彼を『自分を切りつけた犯人』と言わずに『婚約解消で心を傷つけた』という意味合いで伝える。ラウラは現場を押さえられたので言い逃れできなかったが、マルグレットの腕と背を傷つけたのは盗賊の一員であるという方針で調査がすすみ、結局は魔の魔術師が手を貸して『誰か』がグリーディ家に侵入したという結論になったはずだ。
その『誰か』が実はヘンリックであることをラウラも魔術師も言っていないようなので、マルグレットも口にしないという自分の決め事はそのまま押し通すつもりでいた。
「ですから、ヘンリック様が責任を取る必要はございません」
「いや、俺が責任を取るんだ」
「ヘンリック、なにを言っているのかっ!」
「マルグリットの番いは俺なのですっ!」
「お二人とも落ち着いてください」
感情をむき出しで口論を始めようとする二人に対してマルグレットは冷静だった。そしてヘンリックに視線を向けた。
「一体どうなされたのですか、ヘンリック様。責任を取るにしても、以前のヘンリック様ならそのような責任の取り方は致しません。己の失敗を受け入れ、自分の責任の取り方を考え、すべきことをし、終りまで筋を通す方法をしていたはずです」
「だから! 君が俺の天命の番いで……」
「私は神の子の登録を外されており、背の紋様は輝いておりません。背の紋様は今ではただの、痣なのです。ヘンリック様の天命の番いは私ではありません。それから先ほども申しましたが私はアベル様とのお話を進めております」
「自分でしたことの責任を取ろうと君をっ」
「ならば余計に今日のヘンリック様では責任は取れません。だってヘンリック様、私に謝っていないではないですか」
そこでヘンリックは、息を呑んで驚愕の表情に変えた。彼はそこで初めてマルグレットに対して会えた喜びと謝罪の方法を口にしたけれど、謝罪の言葉は一切口にしていないことを自覚したようだ。
「私を傷つけた責任を取るのであれば、私の知っているヘンリック様ならまずは行ったことに対する謝罪をされます。それから誰もが認める手段で責任を取ろうとするはずです。私を娶るという安直な方法の責任の取り方は決して致しません」
「マルグレット……」
「そのような安直な方法を取る方に、私への責任など取っていただきたくはありません」