97.衝撃 その2
昨日の晩、遥がまるでホームシックにかかったみたいな内容のメールを送ってきた。
八月の末にはなんとか都合をつけて、こっちに帰って来ると言ってくれたのだ。
やっと会えるんだと思うと、わたしまで遥のホームシックがうつってしまったのか、いつになく甘い文面のメールを返してしまった。
すると、とんでもない返事が間をおかずに返ってくる。
早く柊に会いたい、キスしたい、抱きしめたい……などと、とても人に見せられるようなものではない、恥ずかしいことこの上ない赤裸々な文が、携帯の画面いっぱいに乱れ舞う。
でもこっちに帰って来たとしても、ベタベタできる場所が用意されているわけではないのも事実だ。
婚約はしていても、父の目があるかぎり、ずっと一緒にいるわけにはいかないのだから。
彼の欲望が叶うことはまずない。いったいどうするつもりだろう。
なんだか遥が気の毒になってくる。
今朝、食卓を囲んでいる時に、遥が早くこっちに帰りたがっていると両親に言ったら、案の定、父におもいっきりギロっと睨まれた。
それでも母は、はる君がいつ帰ってきてもいいように、客用布団を干しておかないと……なんて言うものだから、ますます父が不機嫌になったのは、言うまでもない。
単身赴任の夫を持つと、きっとこんな感じよ、だとか、こっちに帰って来たら、柊の部屋に泊まってもらったらいいからね、だとか……。
挙句、いつまでもそんな態度じゃ、はる君に嫌われるわよと、母の父に向けた攻撃は日増しに激しくなっていく。
どいつもこいつも、遥、遥、遥。何が遥だ、などとブツブツ文句を言う父に対して、ただひたすら、ごめんねと心の中で謝ることしかできない。
最近の図書館の充実ぶりには、目を見張る物がある。
本の数も増えているが、設備も年々すごいことになってきている。
音楽や映像も鑑賞できるし、漫画や雑誌までもがすべて網羅され、誰でも手にとって読めるようになっているのだ。
書店では袋がかぶせてあったり、ひもが掛けられていたりで、内容を見定めるための立ち読みもままならない。
無料で、おまけに座って読むことが出来るものだから、それを知った人たちは、新たなレクリエーションの場を見つけたかのように、足しげく図書館に通い始めることになる。
ハードカバーの本の表紙はもちろんのこと、雑誌類は紙質が弱いものが多いので、透明フィルムを貼り付けたり専用のビニールカバーをつけたりする。
これがまた、大変な労力を必要とするのだ。
いろいろある仕事の中でもこの作業が一番手間がかかるかもしれない。
空気が入らないように、しわにならないように。
丁寧にフィルムを密着させる作業は、何度やっても難しい。
江島さんの素早く丁寧な仕事ぶりに、いつも見とれてしまう。
でもそんなのん気にしている暇はない。
次から次へと送り込まれてくる新刊に、常に追い立てられているのが現状だ。
今、その作業の真っ最中だ。
大衆向けの週刊誌に専用のビニールカバーを取り付けていた江島さんが話しかけてきた。
「ねえねえ蔵城さん。この人知ってる? 」
「え? 誰ですか? 」
わたしはどれどれと覗き込むようにして、江島さんに体を傾けた。
知的な笑みを浮かべるその人は、なんと女優の雪見しぐれだった。
江島さんが指差す先にはしぐれさんの小さな写真があったのだ。
「あっ、知ってます」
わたしはさらっとそれだけ言って、すぐに自分の作業に戻った。
あまりいろいろ話すと、余計なことまで言ってしまいそうだから、慎重にならざるを得ない。
しぐれさんがこういった類の雑誌に載るのは、何も今回が初めてではない。
新作映画が封切りになった時など、アップ画像で表紙を飾ることさえある。
「へえ……。新しい恋、ロマンス発覚、だって。お相手はデビュー間近のモデル……。ふーん。えっと、なんだって……」
ロマンスって……。しぐれさんが誰かとデートをして、スクープされたのだろうか。
江島さんは見出しの文を興味深げに読み上げる。
「あっ、このお相手知ってるわ。ほら、いっとき有名になったでしょ? ここの町出身の、堂野遥だって。彼女は年下好みだったのね。うふふ。蔵城さんは、この堂野遥って人と同い年くらいよね? 彼のこと知ってる? 」
「えっ? 」
わたしは作業の手を止めて、江島さんを見た。
どうして江島さんの口から遥の名前が出てくるのだろう。
ありえない場面に心臓がどくどくと、急に早鐘を打ち始める。
「蔵城さん、大丈夫? どうしたの? 」
「あ、ああ……。なんでもないです。それより、その週刊誌。ちょっと見せてもらってもいいですか? 」
わたしは江島さんから週刊誌を受け取り、しぐれさんと遥の名前が印刷された活字を、穴が開くほど見続けた。
遥としぐれさんに、いったい何があったというのだろうか。
これはきっと何かの間違いだ。
こんなでたらめを公言するこの週刊誌にただただあきれるばかりだった。
が、しかし。
しばらくの間、作業台の上に置いた生々しい週刊誌から目を離すことが出来なかった。