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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 ぜつぼう
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96.衝撃 その1

 前期試験も無事終わり、待望の夏休みを迎えていた。

 わたしは名誉挽回のために、たっぷりとこの夏の二ヶ月間を実家で過ごそうと決めたのだ。

 父の目の届くところにいる事で、信頼を勝ち得ようという作戦だ。


 遥は、といえば。

 夏休みの前半は演劇サークルの夏公演にかかりっきりで、後半は雑誌の撮影の仕事が入る予定だ。

 結局遥と一緒に過ごせたのは、試験中だけだった。

 自由が特権の学生であるはずなのに、予定に縛られ身動きが取れない現状に打ちのめされる日が続く。


 帰省してからはアルバイト三昧の毎日を送っている。

 ひとつは塾講師の短期バイトで、中学生の夏期講習を担当している。

 もうひとつは図書館のアルバイトだ。

 司書の勉強にもなるので、願ったり叶ったりの貴重な時間でもある。

 というわけで、わたしも遥に負けず劣らず、多忙な日々を過ごしているわけだが、仕事中は彼のことを思い出す暇もなく、寂しさを忘れる点では助かっている。


 猛暑の中、エアコンの効いた図書館のバイトは、文句のつけようのないほどありがたい職場環境だと思う。

 返却された本を書棚にもどし、蔵書のチェックと入荷した新刊の詳細をパソコンへ入力するのがおもな仕事だ。

 もちろん本のメンテナンスも業務の合間に組み込まれている。

 表紙の補修や落書きのチェックも見逃せない。

 推理小説の犯人にご丁寧に丸がつけられていたり、展開部分が切り取られていたり、挿絵に色が塗られていたり、電話中のメモ代わりにされたり……。

 信じられないような破損の数々も、見つけ次第担当上司に報告して、補修しなければならない。


 気の遠くなるような作業が続く。

 書棚への返却は、台車のようなワゴンに載せて運ぶのでそんなに重くはない。

 パソコンへの入力もマニュアルどおりにすればいいのですぐに覚えられた。


 名作といわれる昔の本から最近のベストセラーまで、いろいろ出会えるおかげで、今後読んでみたい本のタイトルで携帯のメモ欄がどんどん埋まっていく。

 図書館でバイトをするようになってから、突然、英米文学の翻訳本にはまってしまい、同じタイトルの違った訳を読み比べるおもしろさにも目覚めてしまった。


 大学で翻訳を専門にしている教授の講義を受けていたせいもあるけど、毎日膨大な本に囲まれている環境が、ますます翻訳に興味を抱くようになってしまった一因のような気がする。

 お気に入りの作品を原語で読んで、自分なりの翻訳をしてみたいとも思うようになった。

 英語はとても好きな科目だ。中学高校と、英語だけはいつもいい成績をもらっていた。

 地元の難関私大の英文科も受かっていたのだけど、卒業したあと何をしたいのかと考えた時、英語を活かした自分の将来像が何も浮かばなかったので、遥と同じ大学の国文科を選択した……という経緯がある。


 国語の教員免許をとって、地元の中学か高校で教師をしながら、遥のお嫁さんになる、なんて少女のような夢を漠然と描いていたのだが、今ごろになって、英文科に行かなかったことを少し後悔している自分がいるのだ。

 やっと今、ほんとうに将来やりたいことが見えてきたような気がする。

 国文学だけが文学じゃない。たとえ英米文学であってもそれは同じだと思う。

 作者の意図をどれだけ正確に、言葉も国も違う読者に伝えるのか。

 それには、英語をより正しく理解した上で、作者のねらいから逸れることなく、センスのある翻訳文を作り上げていく力を必要とされる。

 ただ英文和訳をすればいいというものではない。

 原作者になり変って、小説としての体裁を整えつつ、読者を惹きつける文章を生み出さなければならない。

 考えれば考えるほど奥が深い分野だ。

 だからこそ、生涯のライフワークとして、翻訳に携わってみたいと本気で思うのかもしれない。

 それには今のわたしの英語力ではまだまだ太刀打ちできないとわかっている。

 日本の作者の本もたくさん読んで、美しく説得力のある文章を学ぶことも必要不可欠だ。

 何としてもやってみたい。やりたいのだ。


 そんなわたしの将来の夢について、いつも仕事を丁寧に教えてくれる司書の江島さんに話してみたところ、とてもいいアドバイスをもらった。

 まずは絵本を研究してみればいいのでは……と教えてくれたのだ。

 それからというもの、休憩時間に絵本コーナーに行っては海外秀作絵本なるものを片っ端から見て、原語本を照らし合わせるという作業を続けている。

 絵本なんて、小学校の低学年以来、全く読む機会がなかったというのに、いつの間にかぐいぐいと内容に惹きこまれ、絵の美しさもさることながら、躍動感のある翻訳文に、心を鷲づかみにされているのだ。

 子どもの頃に読んだ絵本の多くが、翻訳本だったというのも驚きだった。

 まだ日本の子どもたちに知られていない作品を自分で発掘して翻訳できたら、どれだけ楽しいだろう。


 このわくわくする気持を早く遥に知らせたくてたまらなくなる。

 司書の江島さんは、今年でもう三十歳になるんだそうだ。

 図書館という職場の性格上、職員にも年長者が多く、ときめくような出会いなど皆無に等しいと言う。

 残念ながら、まだまだ当分独身生活が続きそうだと、声を潜めて自虐的に言う割には、普段は明るく気さくな人だ。

 本という恋人がどっさりいるから退屈してる暇がないらしい。

 決して負け惜しみでなく、本気でそんな風に言っているところが頼もしくもあり、好感が持てる。


 確かに江島さんの言うとおりかもしれない。

 もうかれこれ二週間ほど遥に会ってないけれど、本に囲まれていると昼間は寂しさなんてすっかり忘れて、この環境にすっかり馴染んでいる自分がいるのにふと気付くのだ。


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