95.約束が叶う日
「ふふふ。柊さん、わかったわ。ごめんなさいね、あなたたちを疑うようなこと言っちゃって。ならば。やっぱり結婚は認められない。もちろん同棲も」
「牧田さん……」
抑揚のない声で遥がつぶやく。
「デビューするなりスキャンダルまみれは勘弁して欲しいわ。でもね、柊さんのことはまだ誰にも知られてなし、ここに通うのは大目に見ようと思ってる。堂野君、それじゃあ、だめかしら? 」
遥はそのまま黙り込んでしまった。
わたしもなんて返事をすればいいのかわからない。
遥に寄り添い、じっと俯いていることしか出来なかった。
でもよく考えてみればわかること。
これからモデルデビューしようとしている人物が、事務所の斡旋したマンションで新婚生活を送るなんて、どう考えてもありえない話だ。
いくら世間知らずなわたしでも、それくらい理解できる。
多分遥だって、そこに気付かないはずがない。
ということは……。もしかして、遥は。確信犯なのだろうか。
「あ……。そんなもんですか。やっぱり無理ですよね? 」
「そうね。デビューしたての新人が、学生でありながら、妻帯者……。なんてことは、やっぱり、ありえないわね」
「わかりました。俺もこんなことくらいでごねたりしませんよ。おっしゃるとおり、ここは俺一人で住みます。結婚ももう少し時間を置くことにします。事務所に迷惑はかけません。ただし、前にも言ってますが、この先どんなことがあっても、決してこいつとの関係は切れませんから。その条件あっての仕事の契約だと認識してていいですよね? 」
どういうわけか牧田さんの意見をすんなり受け入れた遥が、今度は逆に条件を提示している。
「えっ? ああ、そうね。そうだったわね。もちろん、かまわないわ。あなたは男性だし、柊さんは一般人。駆け出しのあなたに、そこまでマスコミも突っ込んでこないでしょう。女性モデルのデビューだと、いろいろと難しいんだけど。男性の場合、彼女がいる方が人気が上がったりすることもたまにあるから、その辺は臨機応変に対処するつもりよ」
「ありがとうございます」
牧田さんに頭を下げる遥の横顔は、思いのほか柔らかい。
そして、まるで計算しつくしたかのような特上の笑顔を貼り付けて牧田さんに微笑んでみせる遥は、すでにプロのモデルとしての風格すら感じられるほど、見事な振る舞いだった。
「そうそう、言っておくけど。あたしは基本、あなたたちの味方だから。ね? 」
遥のスマイルに気をよくしたのだろうか。
牧田さんがウィンクまでして、おどけてみせる。
事務所にも近くて交通の便もいいこのマンションが。
とうとう遥の新しい住まいになることに決定した。
あの忘れもしないパーティーの夜から三日目。
お互いを許し合ったわたしたちは、久しぶりにアパートで一緒に過ごすことになった。
ベッドの中で腕枕をしてもらいながら、始終機嫌のいい遥に疑問をぶつけてみる。
「ねえ、遥。結婚の話はどうなったの? もう少し時間を置くって、どれくらい? あのマンションに住んでる間は、その……。結婚はまだしないってことだよね? 」
事務所の方針で立ち消えになったとはいえ、あの結婚宣言の行方が気になって仕方ないのだ。
「俺は今すぐにでも結婚したいけどな。でもまあ、結果は予想どおりだったというわけだ。あれは賭けだった。却下されるのは百も承知で、結婚のことを牧田さんにぶつけてみたんだ」
「ええ? そうなの? だめだとわかってるなら、結婚するなんて言わなきゃよかったのに。わたし、恥ずかしかった。だって、あんなことまで訊かれたんだよ? 」
わたしは遥に背中を向けて、頬を膨らませる。
「あははは。悪かったな、柊。まあ、俺たちみたいな学生が結婚を急ぐ理由は、牧田さんの指摘どおりのことが多いだろうしな。でもこれで、少なくとも柊との関係は維持できる確約を得られたってわけだ。これはすごい収穫だと思わないか? 」
腕枕をしていない方の手が伸びて、わたしをくるりと反転させた。
「牧田さん、言ったよな? せめて半年後にしてくれって」
確かに牧田さんはそう言った。結婚は一年後か、せめて半年後にして欲しいと。
横になったまま遥と向かい合わせになったわたしは、遥の目を見てこくっと頷いた。
「じゃあ、結婚は半年後だ。春になったら籍を入れよう。もう結婚については、誰にも文句を言わせない」
薄明かりの下で、遥がニヤリと笑う。
なんという策士家なのだろう。
わたしが遥に会えないというだけで涙に暮れている間に、このデビュー目前の新人モデルは、今後の身のフリ方をあれこれシミュレーションしていたというわけだ。
人生経験豊かな、あの牧田さんですら翻弄させるほどのこの男。
やはりただ者ではない。
「遥。遥ってやっぱりすごいよ」
わたしは遥の背中に手を回し、ぎゅっと抱きついた。
「いいか、柊。よく聞いておけよ。俺をそうさせるのは、柊なんだからな。こうやって大切な人を抱きとめておくためなら、なんだってする。俺の能力以上の力も発揮してみせる。ああ、柊といると、マジで命がいくつあっても足りないよ」
首の下にある遥の右腕が、わたしの頭を抱き寄せる。
その瞬間、車の中で言いそびれたあの言葉が脳裏をよぎった。
今なら言える。言えそうな気がする。
わたしは、遥の胸に顔をくっつけたまま彼に訊ねた。
「遥、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
そうだ。たっぷりと極上の甘さを添えて、遥が好きだと言ってやろう。
それはもう、聞いてる方が恥ずかしくなるくらいに、思いのたけを込めて……。
「なんだ? 」
遥の声が胸から伝わる。
「あのね、車の中で言いかけたこと、あったでしょ? もう一度、ちゃんと言いたいの。お願い、言わせて」
「はあ? そんなもの、あったか? 俺は別にどっちでもいいよ。聞いても、聞かなくても。それより、なあ……」
遥の熱い吐息が額にかかった。
「は、遥……。ま、待ってよ。あのね、わたしね、遥が……。あ……」
俺は別にどっちでもいいって、いくらなんでもそれはないよ。
どうして、この人はいつもこうなのか……。
彼の潤んだ瞳が、私だけをじっと見つめている。
その目に出会うと、もう身動きが取れなくなるので、思わず目を背けてしまった。
そしてわたしの耳元で、なあ、柊、いいだろ、と甘えた声でささやく。
やなっぺ、教えて欲しい。
本当に世の中の男ってみんな同じなの?
やっぱり、遥だけが特別、変な人なんじゃないの?
人の話を聞かない悪いやつの顔を見てやろうと顔を合わせた瞬間。
わたしの唇は瞬く間に彼に覆い尽くされ、甘くそして時に激しい吐息と共に、二人だけの濃密な世界に導かれていった。
12/23 16:50 にコメントを下さった方。
どうも、ありがとうございます。
こんぺいとうを気に入っていただけて、とても嬉しいです。
こうやってコメントをいただけると、とても励みになりますよ~。
これからも更新がんばりますね♪