92.告白
次の日も、わたしの気持とは正反対に、空は真っ青に晴れ渡っていた。
昨夜は眠くて、二時間くらいしか勉強できなかったけど、なんとか国文学史と英米文学の試験を受けて、昼過ぎに学校の門を出た。
陽射しがきつい。校門前の花壇には、白と赤紫色のペチュニアが咲き乱れている。
奥にはミニヒマワリ。凛とした顔を一斉にこちらに向けている。
そういえば今朝のニュースで、気象予報士がようやく梅雨明けですと言っていたような気がする。
また巡ってきた夏に、大きくため息をつく。
折りたたみの日傘をバッグから出し、開きかけたところで、耳をつんざくような音に襲われた。
今、ここにいるのはわたしだけ。
と言うことは、プップッと短く二度聞こえたクラクションは、わたしに向けて送られたものだろうと気付かされる。
対向車線に停車している軽自動車は、実家で母が乗っているのと同じ車種の車だった。
確かにその車からクラクションが鳴ったように聞こえたのだが……。
やっぱりそうだ。運転席の窓から顔を出して、誰かがわたしを呼んでいる。
「柊。おい、ひーらぎー! 」
わたしは、思わずその人物に釘付けになった。
なんとその人は……。
あろうことか、遥だったのだ。
今日の天気に合わせたかのような陽気な笑顔で、こっちこっちと手招きをする。
連絡しても何も返事をくれなかった遥が……。
どういうわけか、そこに、いた。
「遥……。な、なんで? どうしてこんなところに? 」
わたしはまるで幽霊でも見ているような気分で、恐る恐る目の前の遥に訊ねる。
「待ってたんだよ。柊が出てくるのを」
遥は運転席から腕を伸ばして助手席のドアを開け、早く乗れと言う。
「ずっと、電話してたのに。メールだって、何度も何度も送ったのに……」
遥に促されるまま助手席に腰を下ろし、シートベルトを締める。
口をへの字に曲げて、溢れてくる涙を堪えながら、遥に向かって精一杯の苦情を申し立てた。
「電源切ってたからな。俺もおまえも、頭を冷やすいい機会だったろ? 」
エンジンをかけ、遥が車を発進させる。
母と一緒の。だけど色違いのこの車を、いとも簡単に遥が操る。
「わたし、わたし。遥のことが、心配で、心配で……。昨日も大学まで行って、ずっと遥のこと、 待ってたのに。それなのに、遥ったら、来ないんだもん」
とうとうこぼれ落ちてしまった大粒の涙を拭いながら、遥に訴える。
「そうだったのか? 昨日の試験、俺は行ってないよ。レポートで合格もらってたから、受けなくてもオッケーだったんだ」
「ええ? そうだったの? でも、いっぱい来てたけど……」
「ああ。昨日は、不合格だった奴だけ来てたはずだ。まあ、半分以上が不合格だったらしいけどな……。
俺のこと、そんなに心配してくれてたんだ。悪かったな」
「遥のバカ。心配するに決まってるじゃない! 夜通し街をふらついてるんじゃないか、事故に遭ったんじゃないかって、どれだけ心配したと思ってるのよ! 遥はこんな私の気持、ちっともわかってないんだから! 」
わたしは、この二日間の感情を、おもいっきりぶちまける。
「わかった。俺が、悪かった。だからもう泣くな」
反省している様子など微塵も見せずに、ハンドルを握り続ける。
おまけにその横顔は、憎たらしいことに、笑顔すら浮かべているではないか。
「柊、ごめん。もう機嫌直せよ。でも、最初に俺を不安にさせたのは、そっちなんだぞ。あいつのことはどうするんだ。まだ会う気なのか? 」
遥が急に語気を強める。あいつとはもちろん大河内のことだ。
わざとそんなことを訊いて、わたしを困らせようとしているに違いない。
「そんなわけないでしょ! わたしが大河内君と会うわけないじゃない! なんであの人と会わなきゃいけないの? 会う理由なんて、何もないし。遥ってば、わかってて、そんな風に、言うんだから……。ヒクッ。もう、遥なんて嫌いよ! 大っ嫌いっ! 」
「あははは! 嫌いで結構だよ」
わたしがこんなにも傷ついているというのに、遥ときたら、どうしてここまで陽気でいられるのだろう。
大笑いした挙句、嫌いで結構だなんて。いくらなんでもひどすぎる。
なんでこんな憎たらしい奴を好きになってしまったのだろう。
一生の不覚。後悔先に立たず。後の祭り。自業自得……。
ありったけの後悔用語を並べてみても、まだ足りない。
「でもな、柊……」
急に神妙な声になる遥を、そっと窺い見る。
どうしたのだろう。バカとか嫌いとか、ちょっと言いすぎたかもしれない。
それでも、久しぶりに間近で見る遥の横顔は、やっぱりドキッとするくらいきれいで、眩しくて……。
不覚にも遥に見とれていたら、突如彼がこっちを向いて、目が合って。
「俺は……」
とたん、遥の視線から、逃げられなくなる。
「な、何? 」
次の瞬間、遥の口元がふっと緩んだ。
そして、目に優しい光が宿って、わたしを包み込む。
「柊……」
「うん? 」
「何があっても、俺は柊が好きだから。誰よりも、柊を愛している。……迷惑か? 」
「あ……」
信号が赤から青に変わる。
遥の視線が再び前を向き車が発進しても、彼から目が離せない。
わたしはだらしなくぽかんと口を開けたまま瞬きもせずに、今聞いたばかりの遥の言葉を何度も何度も思い返していた。