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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 あこがれ
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8.帰るなんて言うなよ その1

 この白っぽいマンションの五階に遥の住んでいる部屋がある。

 同じ間取りの部屋が、縦も横も均等な区分でずらっと並んでいるのだ。

 堂野、とマジックペンで書かれただけの簡易なプラスチックの表札を確認して、鍵を開けて中に入った。

 ずっと窓を閉め切っていたせいか、たちまちムッとした空気に取り囲まれる。

 電灯のスイッチは、確か、玄関の左側にあったはずだ。

 暗がりの中、手探りでごそごそと見つけ出し、パチっと明かりを()けた。

 玄関の真上と、たった一つの部屋の明かりが連動して点く。

 玄関から、ひと目で部屋中が見渡せる。やっぱり遥はまだ帰っていなかった。

 真っ直ぐに部屋を横切り、半畳程の狭いベランダに干してあるTシャツと靴下を取り入れた。

 少し重めの夜風が、部屋の中に流れ込む。しばらくの間、サッシを開けたままにしておくのがよさそうだ。

 よどんだ空気がみるみる外の新鮮な空気と入れ替わっていった。


 彼が今朝まで着ていたのだろうか。

 ベッドの上に、ハーフパンツが脱いだ形のままそこに置き去りにされていた。

 フローリングの床にはDVDや舞台関連のタウン誌、そしてなにやら難しそうな経済の分厚い本が、あちこちに散らばっている。

 遥のノートパソコンは最新型で、コンパクトながらもDVDも見れる優れものだ。

 一緒に住めば、うちにあるビデオデッキとも、もうお別れなのかもしれない。

 いつも小綺麗にしているのに、どうしたのだろう。

 今朝はよほどあわてていたのか、小さなキッチンのシンクには、グラスや茶碗が使ったまま洗いもせず放置されていた。

 炊飯器のご飯も空っぽだ。

 小型の冷蔵庫もその役割を放棄したかのように何も入っていない。

 ミネラルウォーターが一本だけ、ごろんところがっていた。

 スーパーに寄って来て本当によかった。

 手早く食器を洗い、うちにあるのと色違いの布巾でさっと拭き小さな食器棚にしまった。

 続いて炊飯器に米を二合だけセットする。

 おばあちゃんの家で皆が集まってご飯を食べる時は、いつも一升くらい炊いていたのを思い出す。

 それに比べればとても少ない。二人だけだと、二合でも余ってしまうのだろう。 

 次に鍋の準備に取り掛かる。

 材料の野菜を洗って適当に切り、ザルに盛り付けた。

 今夜は遥の好物の寄せ鍋だ。

 おばあちゃん特製の肉団子が大好きだった彼のために、鶏ひき肉に秘伝の調味料とネギやしょうがを混ぜ込んで、よくこねて冷蔵庫に入れた。

 床に散らかっている物を片付け、折りたたみ式のミニテーブルを広げる。

 シンク下からカセットコンロを取り出し、これまたおばあちゃん秘伝のレシピで作ったスープを入れた鍋を載せ、ふたをした。

 よーし。これで準備は完璧だ。

 あとは、遥が帰ってくるのを待つだけ。

 カレシに鍵を渡されたカノジョは、皆、こんな風にして彼の帰りを待っているのだろうか。

 単身赴任の夫宅に週末に訪れる世話焼き女房……ってのも、こんな感じなのかもしれない。

 なんだか新婚ごっこのような感じがして、思いのほかこの状況を楽しんでいる自分がいる。

 彼が今夜また、一緒に住もうと言ってくれたならば、今度は間違いなく、うんと返事をするだろう。

 もう絶対に迷ったりしない。そして彼を拒んだりもしない。

 遥と共に生きていこうと決めたのだから……。


 時計を見るともう十時になっていた。

 テレビをつけても、初回を見逃した連続ドラマはなんとなく見る気がしない。

 だからといって、報道番組という気分でもない。

 バラエティーも選択肢にはない。

 リモコンを画面に向け、すぐにまた電源を落とした。

 ほんとうに遅い。遥ったら、いったいどこで何をしてるのか。

 あれだけ気合の入った服装で出かけたくらいだもの、かなり込み入った内容の話し合いでもあるのだろう。

 メールしたって、どうせ読んでくれないし、繋がらないことも多い。

 電源をオフにしているのは、いつものことだ。

 それに、わたしがここに来てることも彼は知らない。

 今夜帰ってこなかったとしても、それは仕方のないこと。遥に罪は無い。

 泊まる覚悟で来てるので、何時まででも彼の帰りを待つつもりだ。

 お腹もすいたけど、我慢我慢。

 だからお願い。早く。少しでも早く、わたしの元に帰ってきて欲しい。


 玄関ドアの向こうでガサガサと音がする。人の気配だ。

 ぼんやりとした意識のまま目を開け、上半身を起こして身構えた。

 あろうことか、いつの間にかベッドにもたれて、うたた寝をしてしまったのだ。

 時刻は深夜の一時。遥が帰ってきたのかもしれない。

 ふらつきながらもなんとか立ち上がり、鍵を中から開錠しようと、サムターンに手を掛けた。

 するとほぼ同時に外側から鍵が差し込まれた音がして、ドアがガチャッと開く。


「ひ、ひいらぎっ! 」


 それは、まぎれもなく。目の前に立っているのは、やっぱり遥だった。ずっと待ち焦がれていたわたしの愛する人だ。


「遥、お帰り。へへへ。わたし、勝手に来ちゃった。びっくりした? 」


 でも笑顔でいられるのもそこまで。

 わたしは自分の目を疑った。

 もう一人別の人が、遥の肩にしなだれかかるようにして立っているのが……見えたのだ。


 誰だろう。 

 あ。

 オンナ……。

 女の人だ。


 長い髪が顔に覆いかぶさり、誰だかよくわからないが間違いなく女の人がそこにいた。

 その人が、手で髪をかき上げた瞬間、きれいな横顔のラインがくっきりと浮かび上がる。

 わたしは、はあーっと肩で大きく息を吸い込んだ。

 その人は、あろうことか演劇サークルの里中先輩だったのだ。

 三人で玄関のところで向き合ったまま、しばらくそこに立ちすくんでいた。


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