79.真紅のドレス その2
今からここで着飾って、パーティー会場のあるホテルへ連れて行かれるのだろう。
本当に、何も関係のないわたしなんかが行ってもいいのだろうかと不安になる
それに、しぐれさんのドレスって言うけれど、彼女はわたしより五センチくらい背が高い。
胸の大きさだって……。完全に負けている。
サイズが合わないと思うんだけど、どうするのだろう。
「伊藤小百合が女優の目で見た、確かな見立てらしい。ここにある二着を持って行けと言われた。ロングの方はヒールの高いくつで裾を合わせろってさ。さあ、どっちにする? 」
黒の膝丈のシンプルなワンピースと真紅のIラインのロングドレスが、店の奥にあるフィッティングルームのような小部屋に吊るされていた。
すると、店のチーフを名乗る女性が、真紅のドレスをわたしの肩のラインに合わせ鏡を覗き込んでくる。
「こちらがお似合いじゃないでしょうか。雪見さまの方が少し背が高くていらっしゃるけど、お客さまもとてもスタイルがよろしいから……」
胸元にたっぷりドレープがとってあり、少し大きく開きすぎのような感じがするが、プロの目は侮れない。
自分で言うのもなんだが、とても似合っている……と思う。
まさかこんな大胆なドレスがわたしに似合うだなんて信じられないのだけど、このドレスを着た自分を想像するだけで、気分が高揚してくるのがわかる。
「こ、これでお願いします……」
なんだか恥ずかしくて、とても小さな声になってしまった。
チーフがにっこりと微笑み返してくれたので、なんとか気を取り直し、鏡の前の椅子に身体を小さくして座った。
まず、ヘアメイクから。衣装に合わせて、イメージを作り上げるらしい。
とにかく早くしないとパーティーに間に合わないので、もう一人のアシスタントと二人がかりで頭全体にカーラーを巻かれ、メイクを施される。
つけまつ毛は小さくカットされ、両方の目尻の上に部分的に接着しているのが見えた。
そのままべったりとまつ毛のラインに沿って貼り付けるのかと思っていたので、小さく切ってしまうのが意外だった。
わたしのまつ毛は、そのままでも十分な長さと量があるので、全部貼り付ける必用はないと説明してくれた。
そんなの初めて聞いた。いつも遥の長いまつ毛がうらやましかったので、たとえお世辞でも、そんな風に言ってもらえて嬉しい。
どんどん、メイクが出来上がっていく。
見たこともないような数々のメイク道具に驚いている間も、スタイリストたちの手は止まらない。
正面の鏡に写る自分の姿を見るのが照れくさくて、つい、目をそらしてしまった。
「さあ、これで完成です」
最後にドレスと同色の口紅を引き終えると、メイクをしていたチーフがわたしの後ろに回りこみ、鏡を一緒に見ながらウェーブの出た髪を手で軽く押さえるようにしてセットの具合を確かめる。
「いかがでしょう。お気に召されましたでしょうか? 」
後方の椅子に座り、うとうとと舟をこぎながら待っていた遥もそばにやって来て、目を丸くしている。
「ほぉーっ。いつもの柊じゃないみたいだな。たまには、そんなのもいいんじゃないの? 」
いいのか悪いのか。どっちにでもとれるような感想を言う。
やっぱり遥はどんな時でも遥だ。
こんな時くらい、うそでもいいから、きれいだよって言ってくれてもいいのに。
「堂野さんも鼻が高いのではないでしょうか。ほんとうに彼女はお美しいですわよ。小顔でいらっしゃるし、肌もきめ細やかでお化粧ののりもとてもいいので……。薄めのメイクでも十分に華やいで見えますから」
ほ、ほんとうに?
高校時代はもちろんのこと、大学生になってからも美しいなんて形容詞とは全く無縁な生活を送っていたので、耳を疑ってしまう。
東京の街ではよくあるモデルの路上スカウトにも、これまで全く声をかけられたことがないのに。
プロのメイクテクニックで、ここまで変身できるのだ。
鏡の中のわたしは、まるで別人のようだ。見違えるようにきれいに見える。
大急ぎでドレスに着替え、用意してもらっていた靴やバッグを合わせる。
レース地のシルバーのラメが輝くストールを肩に掛け、遥の手配したタクシーに二人で乗り込んだのは、その数分後だった。
五分ほどで会場になっている老舗ホテルに到着し、遥に引き摺られるようにしてすでにパーティーが始まっている大広間の前まで連れてこられた。
そこはちょうど結婚式の披露宴が行われるようなところで、すでに百人くらいの人が自由なスタイルで立食を楽しんでいた。
紺のシースルーのドレスを身にまとったしぐれさんが、会場の奥の方で大勢の人に囲まれていた。
きっと関係者との挨拶が長引いているのだろう。
わたしなんかとしゃべっている暇はなさそうだ。
この調子だとさっきのことを詮索される可能性も低い。
わたしはようやくホッと胸を撫で下ろし、このまま何事もなく平穏に時が過ぎてくれますようにと祈った。
慣れないドレスとヒールの高いフォーマルシューズのせいで、身動きがとれないわたしは、壁際で動かぬ置物と化し、人間観察に勤しむ。
どこを見回しても、わたしのような一般人は見当たらない。やはり場違いな気がする。
時折り前を横切っていく人が、怪訝そうな顔をして、こっちを見る。
不安になって、隣にいるはずの遥の名前を呼び、彼の腕にすがろうとしたのだが。
いない。
遥が消えた。
ついさっきまでそこにいたはずなのに、彼の姿がどこにも見えなくなってしまったのだ。