78.真紅のドレス その1
「柊、おまえ……。いったい、どこに行っていたんだ。携帯も繋がらないし、何かあったんじゃないかと思って、アパートまで覗きに行ったんだぞ。本当に人騒がせな……」
スーツをかっちりと着こなした遥が腕を組み、引き攣り顔のわたしにチクチクと説教をする。
これはもう、完全に怒っている。取り付く島も無いほどに。
ただし、心配していた疑いの眼差しは、今のところ、どこにも見当たらない。
連絡が取れなかったことだけを責めている。
そして、誰と何をしていたのかまでは追求してこなかった。
わたしが考えすぎだったのかもしれない。
多忙なしぐれさんのことだ。知り合ったばかりの遥に、わざわざ映画の試写会でわたしに会ったなどと告げ口する暇などないのだろう。
助かった。
でも、やっぱり。後ろめたさは隠せない。
勘の鋭い遥のことだ。わたしの態度の微妙な変化に気付いてしまうのも時間の問題なのかもしれない。
気をつけなければ。
いつもどおり普通にしていればいい。
超能力者でもあるまいし、わたしが黙ってさえいれば、大河内と会ったことなど遥に見破られるはずがない。
そう。冷静に、普段どおりにしていればいい。
チケットを返そうと思ったら、不可抗力であのような状況に巻き込まれただけ。
何も悪いことはしていないのだから、びくびくする必要は微塵もない。
だって、わたしの愛する人は、誰が何と言おうと、遥、ただひとりだけなのだから。
自分に暗示をかけるようにして、心を落ち着かせる。
「ごめんね、遥。講義が終わった後、本屋さんに行ってたんだ……」
彼の目を見ながら謝る。
「本屋? 」
「うん。ほら、マナーモードでもブーって響くでしょ? 迷惑になったらいけないと思って電源切ってた。そして、さっきまでそれすら忘れてて」
「それで? 」
「あわてて携帯をチェックしたってわけ。ホントにごめんね。たまたまこの近くの本屋さんが品揃えがいいって友だちに聞いていたから。偶然にもそこにいたってわけ。ああ、よかった。遥が知らせてくれた時刻に間に合って」
変に思われなかっただろうか。
大河内と待ち合わせをした本屋が結構有名な大手の書店だったので、咄嗟に思いついた嘘もうまくまとまった気がするのだけど。
「そういうことなら、しょーがないな。まあ俺も、時間の余裕を持って知らせなかったのが悪いんだし。とにもかくにも、間に合ってよかったよ、まったく。そんなことより早く! せっかく、珍しいところに連れてってやろうと思ってたのに。柊が来ないんじゃ、どうしようもないからな。ハラハラさせるなよ」
カットサロンはもう閉店しているが、貸切の札がかかり、中でスタッフが動き回っているのが見える。
「本田先輩のお母さんの口利きで、ここを紹介してもらったんだ」
「ええ? 小百合さんに? 」
「ああ、そうだ。ドレスもしぐれさんのを借りてきてる。今から、パーティーとやらに行くぞ」
遥が先導して店に入り、中に案内される。
やはり、思ったとおりだった。あのパティーに行くのだ。
でも遥は、わたしがこの話をすでに知っているなどとは夢にも思っていないはずだ。
一応ここで驚かないと、話が噛み合わなくなる。
「ぱ、パーティー? パーティーって、その、なんだろ……」
しまった。うまく驚けない。
すでに知ってしまっていることを、知らないふりするのがこんなに難しいとは、今日まで考えたこともなかった。
「柊? 何、きょろきょろしてんだよ。店の人、みんな待っててくれたんだぞ。あとで、ちゃんと礼を言っておけよ。それにしても……。さっきからなんか変だな。なあ、柊。何かあった? 」
遥が次第に疑わしげな目を向けてくる。
「え? な、何もないってば。なかなか連絡取れなくて、申し訳なかったなって、それだけだよ」
わたしを覗き込んでくる遥の視線に、なぜかたじろいでしまう。
彼の目を真っ直ぐに見ることができない。
あああ、だめだ。なんでもっと自然にふるまえないのだろう。
これじゃあ、今までわたしは悪いことをしてましたって、宣伝しているようなものだ。
こんなことになるなら、わたしも遥と一緒に演劇サークルに入って、芝居の練習をしておくべきだった……などと後悔してみても、今さら時間を巻き戻すことは出来ない。
ただひたすら、知らぬ存ぜぬを通すしか、わたしに残された道はないのだ。
「本当に? 何もないのか? 」
「うん……。ただ、パーティーって聞いて、びっくりしただけ」
「そうか、俺の思い過ごしか……」
なんとか納得してくれたようだ。
わたしはこっそりと安堵のため息をついた。
「柊、しぐれさん主演の映画完成披露パーティーが、今夜この近くのホテルであるんだ。監督やいろいろな来賓を招待してると聞いている。あんまり気乗りしない集まりだけど、本田先輩までスタッフの一員として借り出されているんだ。俺も終わった後の片付けを頼まれているから、どうしても顔を出さなきゃならない。で、しぐれさん。柊に絶対来て欲しいと言ってくれている。どういうわけか、柊のことが気に入ったみたいで、先輩にいろいろ訊いてくるらしいぞ」
そうなんだ。しぐれさん、わたしのことを気に入ってくれているんだ。
本来なら光栄すぎて、歓喜乱舞するところなんだろうけど、大河内と一緒にいるところを見られているだけに、手放しで喜べないところが苦しい。