77.天罰 その2
一方、しぐれさんに直接話しかけられた大河内は完全に舞い上がっているようだった。
わたしは大河内が余計な口を挟まないように、先手を打つ。
「あっ、いや、そうじゃなくて。映画の感想を……」
わたしが差し障りのない返事をしようと口を開いた矢先のことだった。
「は、はい。お、大河内大輔と申します。蔵城とは中学時代の同級生なんです。僕が彼女を誘って、映画を観ました。まさかこんなところで雪見しぐれさんにお会いできるなんて、光栄です。本当に信じられない……」
大河内が口を滑らせてしまったのだ。同級生だと。僕が誘って映画を観た……と。
もう、絶体絶命だ。
ハンカチのおかげでしぐれさんに気付かれずに済んだのに、せっかくの苦労も水の泡。
もしこのことが遥の耳に入ったらと思うと、恐ろしさのあまり、震えが止まらなくなった。
ああ、もうおしまいだ。
「柊さんの同級生の方? そう……。あの、はじめまして」
しぐれさんが大河内に向かって握手を求めようと右手を伸ばしたとたん、横に控えていたマネージャーらしき人が、そろそろ行きましょうと彼女と大河内の間に割って入る。
「わかった。あともう少しだけ待って」
無理やり話を中断させられそうになり少し不機嫌になったしぐれさんが、その人を押しのけるようにして進み出る。
「ねえねえ、柊さんの周りの男性って、なんだかとても素敵な方ばかりよね」
「そ、それは……」
大河内が一般的にみて、素敵だと評価されるのはわかる。
でも、だからと言って、うんと素直に頷くわけにはいかない。
大河内が遥と同等だなんて思いたくないからだ。
わたしにとっての一番は、誰が何と言おうと遥なのだから。
「そうだわ! おおこうちさん……だったかしら? よろしかったら今夜のパーティーにあなたもいらっしゃいません? 柊さんの同級生ってことは、堂野君ともお知り合いよね? ならちょうどいいじゃない。是非そうなさって。ね。是非……」
「あ、ありがとうございます。でも、僕なんかがおじゃましてもいいんでしょうか」
「もちろんよ。柊さんからもお願いして。ね? 是非、一緒に来ていただいてね」
どういうわけか、しぐれさんが大河内に何度も来てくれと念を押す。
それだけはだめだ。いくらしぐれさんの望みでも、それだけは……。
幸い、ちょうどここでタイムリミットが訪れた。
わたしの返事を待たずして、しぐれさんはさっきの人に、半ば強引に連れていかれてしまったのだ。
大河内も社交辞令だと思ったのだろう。それ以上この話をすることはなかった。
「大河内君、今日はご苦労。こちらが君の彼女かね? 」
しぐれさんを見送っていたスタッフのうちの一人が戻ってきて、大河内に話しかける。
「館長、今日はいろいろとご配慮いただき、ありがとうございました。それと、はっきり言わせていただきますが。彼女はただの友人ですから。さっきの主任もそうですが、彼女とか、もう勘弁してくださいよ……」
大河内が困惑の表情を浮かべ、彼らしいソフトな言い回しで、しかしはっきりと抗議する。
この人が館長さんのようだ。
館長という堅い言葉のイメージとは少しかけ離れた感じの、小柄で穏やかそうな人だった。
さっき会った主任さんの方がよっぽど館長らしい堂々とした風貌を備えていた気がする。
「ははは! そんな細かいことを言うな。しかしこちらのお嬢さん、雪見しぐれさんとお知り合いとは、こりゃあ、参った。大河内君の人脈はすごいな。それでは少し時間を頂いて、今夜の映画の感想を伺うとするか」
温厚そうな中にも確固たる芯を持った人なのだろう。
仕事となると一転して、きびきびとした態度で話を進めていく。
さすがホールの管理の総長たる人物だ。
無駄な時間は微塵もなく、要点を抑えた質問で、あっと言う間に話が終わった。
大河内はその後もホールの雑用が残っていたため、幸いわたしは一人で駅に向うことが出来た。
送れなくてゴメンと謝ってくれた大河内だが、もうこれで彼と会うこともないだろうと、どこかすっきりした気分になったのも事実だ。
ただ、さっきのしぐれさんとの予期せぬ対面は、大きな計算違いだったが……。
帰り道の途中で携帯の電源をオフにしたままだったのを思い出し、あわててオンにして着信を確認する。
なんてことだろう。二時間程前から十個のメールと電話を三回受信している。
送信者はもちろん。……遥だ。
内容を表示したとたん……。心臓が暴れ出し、携帯を持つ手が小刻みに震えた。
今夜どうしても連れて行きたいところがあるから、八時にここへ……と今いる駅の近くのヘアーサロンの場所が記されていた。
最後に届いたメールにいたっては、一文字一文字に殺気を感じるほど、遥の激しい怒りが画面から伝わってくる。
遥の連絡を無視し続けていたわたしに、怒り狂っているに違いない。
ど、どうしよう……。遥に合せる顔がない。
その上、大河内と一緒だったと知られたら……。
今すぐにでも東京から姿を消した方が身のためかもしれないけれど、そうもいかない。
時計を見るとまさしく八時ちょうどだ。
さっきから気になっていた点と点が、これでようやく繋がる。
遥の言っていた謎のプレゼントは、しぐれさんのパーティーへの招待のことだったのだろう。
そこに連れて行くことが、遥のわたしへのプレゼントだったのだ。
なんで、よりによって今日なのだろう。
ついさっき、パーティーの主役のしぐれさんと会ったばかりだ。
これはまさしく、わたしに下った天罰なのかもしれない。
遥に指示されたカットサロンは迷いようのないほどわかりやすいメイン通りにあった。
まばゆいばかりのイルミネーションで建物全体が照らされている。
店の前で携帯を片手に、明らかに落ち着きのない様子でわたしを待っている遥の姿が見える。
わたしは深呼吸を繰り返し覚悟を決めると、遥のところに大急ぎで駆け寄った。