66.女優と母親と祭り寿司 その2
柊、ぼーっと立ってないで座れよ、と遥の声が聞こえて、慌てて腰を下ろす。
「ねえ、堂野君。来月発売のファッション・ユーに、あなたが載るって聞いてるけど……。本格的にモデルデビューなのかしら? 」
「いや、それはまだ……。読者モデルとして、少しだけ掲載される予定です。でも、今年の末に出る新刊雑誌の専属モデルとしての契約も決まったので、またお目にかかることがあるかもしれません」
「まあ、そうなの? おめでとう。あそこの出版社なら大手だから、デビューにはもってこいだわ。そうだ。年間購読の申し込みしなきゃ」
しぐれさんがおどけるようにしてうふふと笑い、肩をすぼめる。
ほとんどメイクもしていないのに、なんて透き通るような肌をしているんだろう。
一般人にはほとんど見かけないくらい小さな顔をしたしぐれさんがコロコロと表情を変え、周りのわたしたちまでもなごませてくれる。
「ところで、さっき雄ちゃんの後輩だっておっしゃってたけど、二人とも城川大学の学生さんってこと? 」
大きな目をよりいっそう大きくしてわたしと遥を見た後、先輩に問いかける。
雄ちゃんか。そうだよね。従妹って言ってたから、しぐれさんはそうやって先輩のことを呼ぶんだと不思議な感覚に陥る。
「そうだ。……二人とも、大学からの入学だ。俺と違って出来がいいんだぞ、この二人」
本田先輩が少しふざけたようにそんなことを言う。
わたしたちの通う城川大は幼稚園から大学院まであって、学生の三分の一くらいは、高校からエスカレーター式に大学に上がってくる。
幼稚園や小学部で入学した人の中には、運で入ったなどと謙遜して言う人もいるにはいるのだけれど……。
でも、中学、高校と節目ごとに学内進学試験もあるらしいし、学力が満たなければ退学もありうると聞く。
だから、外部受験生が特に優れているということはないと思っているのだが。
「す、すごいっ! 尊敬しちゃうわ。あたしは、あそこの高等部で挫折した口だから……。まあ、あの厳しい中高部で仕事しながら全うするなんてことは神業に近いものがあるんだけどね。あたしもちゃんと高校卒業して、大学に行きたかったなあ……」
「あらあら、しいちゃんったら。あなたは仕事を選んだんでしょ。私だって助言したはずよ。仕事はセーブして学校を続けなさいって。でもしいちゃんは意志を曲げなかった。仕事を頑張るって、そう言ったんだもの」
「そうだったわね。あの時はそう思ったのよね……」
「でもね、しいちゃん。もしどうしても大学に行きたいのなら、まだチャンスはあるわよ。通信教育で高校卒業も出来るって聞くしね。しいちゃんの人生だもの。目先のことに囚われないで、長いスタンスで考えればいいのよ。若いうちに勉強しておくのもいいかもしれないわ」
「おばさま。そんな真剣に言わないで。あたしには、そんな自由はないの。もう、三年先まで仕事が埋まってるのよ。身勝手なことは出来ない。それに、仕事も楽しいし。やだ、おばさまも、みんなも。そんな目で見ないで。大学に行きたいだなんて冗談だってば。ちょっと言ってみただけなんだから」
一瞬、しぐれさんが寂しげな表情を浮かべたように見えた。気のせいではないと思う。
この人は仕事のために高校を辞めたようだ。知らなかった事実が次々と明るみに出てくる。
それだけプロ意識が高かったのだろう。
何も考えずに、流れに任せてのほほんと生きてきたわたしには、しぐれさんの本当の心の中なんて、何もわからないのかもしれない。
「しいちゃんったら……」
小百合さんがしぐれさんを見る目も、少し悲しそうに見えた。
同じ仕事をする者同士にしかわからない何かが、二人の間に密かに流れているような気がした。
「あら、いやだ。せっかくの食事会でこんな話聞かせちゃって、ごめんなさいね。さあさあ、みなさん、召し上がれ。お腹すいたでしょ? 天ぷらも山盛りあるわよ。今夜はダイエットのことは忘れること。また明日からがんばればいいの。何も気にせずにモリモリ食べましょう! 」
小百合さんの掛け声で、今夜の会食が始まった。
それは、ごく普通のどこにでもある家族の夕食だ。
取り分けてもらった祭り寿司の酢加減がちょうどいい。
おばあちゃんの作ってくれるちらし寿司の味によく似ていると思った。
しいたけや薄焼き卵もどっさりのっていて、ダイナミックで食べ応えがあった。
天ぷらもサクサクして、とてもおいしかった。
食事が終わっても、お手伝いの人は現れず、小百合さんが率先して後片付けを取り仕切っているのだ。
手伝おうとしても、いいからいいからと調理場に入れてもらえなかった。
「さあ、若い人たち同士で、お酒でも飲みながら楽しみなさいな。ここは私に任せてね。そうそう、柊さんもゆっくりしていってね。今夜はここに泊まったらいいから。堂野君がここに来てくれて、ホントに良かったと思ってるの。おかげで、雄太郎もすっかり家にいるようになって。それまではあの子ったら、どこで何をしてるのか、さっぱりわからなかったんだもの」
小百合さんが、くしゃっと子どもみたいな笑顔になる。
先輩が家にいるようになって、嬉しくて仕方ないとでも言うように……。
申し訳ないと思いながらも、小百合さんの言葉に甘えて、みんなと一緒にリビングへ移動した。
リビングなんて言うから、てっきり普通の居間を想像してたけど、やはりここは本田邸。
大学の講義室がすっぽり入ってしまうのかと思えるくらい、広いホールのような部屋だった。
レトロな感じの板張りの床の中央には、毛足の長いラグが敷かれ、しぐれさんが足を崩して座っている。
わたしは胸の高鳴りを必死で押さえながら、こっちこっちと招かれるまま、彼女の横にそっと腰を下ろした。