56.焼き鳥の串にはご用心 その1
大河内と一緒にいたカフェから、やなっぺと待ち合わせをしている駅まで、電車を使って十五分ほどだ。
混んでいる車両は避けたつもりだったが、それでも空いている座席は皆無で、奥のドア近くに押しやられる。
時折り窓ガラスに映りこむ自分の姿にハッとしながらも、今日ばかりは凝視してしまう。
今まで大河内と一緒だったことを絶対に悟られてはいけないからだ。
髪を撫で、まばたきを繰り返し、深呼吸も忘れない。
何もなかったのだと自分に言い聞かせ、馴染みの駅で降りた。
やなっぺのメールを受信してから、あと数分で三十分になる。
改札を出たところでぐるりと辺りを見回し、やなっぺの姿を探した。
百五十センチそこそこの身長で小柄なやなっぺは、人ごみに紛れるとたちまち見失ってしまう。
夜が更けても乗降客の絶えないこの駅で、やなっぺを探すのは一苦労だ。
スーツ姿のサラリーマン集団の後側で、ぴょんぴょんと跳ねて手を振っている人が見えた。
短めのパーマヘアが、耳の横でぴょこぴょこと踊る。
やっと見つけた。あんなところにいた。
本当に二人分なの? と疑いたくなるくらいパンパンにふくらんだ袋には、焼き鳥屋のネームがこれみよがしに赤色で大きく印字されていた。
やなっぺはその重そうな袋をぶらりぶらりと振り子のように揺らしながら、わたしの隣を歩く。
「柊、遅かったじゃん……」
裾をくるくると折り曲げたジーンズに白いコットンのキャミソール姿のやなっぺが、ぼそっとつぶやいた。
「やなっぺこそ、早すぎたんじゃない? 今がちょうど約束の三十分後だよ」
決して遅刻はしていない。
それでもやなっぺは、何かいつもと違うと感じているのだろうか。
「そりゃあそうだけど。だって、柊はいつも待ち合わせしたら早目に来るでしょ? だからさ。あたしもがんばって早く来たんだ。バイト、忙しかった? 」
「あっ、いや、そういうわけじゃないけど。ちょっと、いろいろと、その、立て込んでて……」
「ふーん。いろいろ、か……」
どこか腑に落ちないような目をして、やなっぺがわたしの頭の上から足の先までをじーっと眺める。
「やだ、やなっぺ、どうしたの? わたし、どこかおかしい? 」
親友の視線が突き刺さるような感触を覚える。
「うーーん。フツーだと、思うけどね。でも。ちょっとだけ、いつもと違う。……なんかさ、色っぽくなったっていうか。堂野と離れ離れになって寂しいなんて言ってたわりには、ずいぶん元気そうだし」
「そ、そうかな」
これは危ない。さっきの大河内の告白で、舞い上がってしまった自分を隠し切れていないのだろうか。
慎重にしないと見破られるのも時間の問題だ。
「ねえねえ、何かいいことあった? そうだ。もしかして、堂野も家にいるとか。あたしって、実はおじゃま虫? 」
「もう、やなっぺったら。わたしは、その……。いつもどおりだけど。色っぽいとか、そんなのありえないし。それに、遥はいないよ。前にも言ったでしょ。彼はバイトもサークルも目が回るほど忙しいって」
「そっか。じゃあ、あたしの気のせいかも。まあ、柊は幸せ者だからね。堂野はあのとおり、以前にも増して柊にぞっこんなんだし。あああ、でも残念。堂野にも聞きたかったな。藤村のあんなことやこんなこと……」
やなっぺはつまらなそうに口を尖らせ、かかとの高いサンダルを履いたつま先で、器用に小さな石をコンと蹴った。
わたしのアパートが見えてきた頃にはやなっぺは何もしゃべらなくなり、時折りため息をつくばかりで二人して黙々と階段を上がっていった。
「で、藤村だけど。どうだった? あいつ、変わりない? 元気でやってる? 」
我が家で一番大きな器にまだまだ山盛りになっている焼き鳥を前に、ようやくいつもの様子に戻ったやなっぺが頬杖をついたまま本題を切り出す。
「うーーん。そうだね、変わりないと思うけど……」
わたしはウーロン茶を片手に答えた。
もちろん、わたしとやなっぺが向かい合っているテーブルは、年がら年中出しっぱなしのこたつだ。
その上には、やなっぺが次々と空にしたビールのアルミ缶が、ボーリングのピンのように整然と三角を作って並んでいた。
そう。藤村自身には何も変わりはない。いつものようにのっぽでひょうきんなままだった。
変わったのは、彼の周囲。彼の初恋の人だけだ。
「けどって、何? 」
わたしの言葉尻の含みを嗅ぎつけたやなっぺが、すぐさま訊き返す。
「終わったんだ。夢ちゃんとのこと……」
それまでとろんとした目で、今にも眠ってしまいそうだったやなっぺが、急にしゃきっと背筋を正した。
藤村が夢美のことをずっと引きずっているのは、やなっぺも知っている。
「終わったって……。どういう意味? あいつ、懲りずにまた彼女に告ったの? 」
「ちがうの。実はね、夢ちゃん……。結婚するんだ。短大の先生と」
「ふーーん。結婚ね……。って、ええええっ! け、結婚? 」
やなっぺ。いくらびっくりしたからって、食べ終わった焼き鳥の串の先端を、わたしに向けるのは危険ではないでしょうか。
竹串と言っても立派に凶器ですから。
「か、彼女、あたしたちと同い年だよね? なのにもう結婚って早くない? すごい。すごいよ! 」
だから、やなっぺ……。
わたしの目の前で、串を指揮棒のようにクルクル振り回すのは危ないってさっきから言ってるんだけど。