55.胸騒ぎ その2
遥と大河内は、同じクラスになったことは一度もなかったはずなのに、不思議な事にお互いをよくリサーチしている。
大河内は生徒会長だったから、いろんな同級生情報をまんべんなく把握しているのかもしれない。
遥は大河内だけをターゲットにして、完全にライバル視していた。
まるでプラスとマイナス。
全くの両極端に位置する二人のように見えるけど、実は根本的な部分が似ているのではないかと薄々気付いてはいた。
リーダーシップがあって、人望も厚く、同性だけでなく異性にも人気がある。
いや、そのもてっぷりは、二人とも尋常ではなかった。
なのに、女性にだらしないわけでもなく、しっかりと自分を持っていて、とにかく何事にも一途だ。
わたしがいなければ、案外この二人は、すんなりと打ち溶け合えたのかもしれないと、ふとそんな風に思った。
「それと、これは僕の携帯番号とアドレス。この試写会の会場、ちょっとわかりにくいところにあるんだ。よく似た名前のホールが近くにあるから、それも気をつけて。もし迷ったら遠慮なく電話してくれたらいい」
本にはさんであるしおりに、さりげなく彼の携帯番号とメールアドレスが書き込まれる。
でも大河内はわたしのアドレスを聞き出そうとはしなかった。
たったそれだけのことだけど、なんだかほっとする自分がいる。
一時はどうなるかと思ったが、わたしとこれからも会って話をしたいと言っていたことは、どうやらあきらめてくれたようだ。
やっぱり、昔のままの大河内だ。
最後はちゃんとわきまえた態度を示してくれるところが何とも彼らしくて、好感がもてる。
「大河内君、本当にもらってもいいのかな? 」
そこまで言ってくれる大河内に対して、頭ごなしにチケットはいらないとは言えない。
もう一度念を押してみた。
「いいに決まってるだろ? 本当に観たいと思ってくれる人の手に渡るのが一番。さあ、早くカバンにしまって。氷が融けてる。アイスコーヒーが水っぽくなってしまうよ」
大河内が本とチケットをこちらに向かってぐいっと押してくる。
わたしはありがとうと言って小さく会釈をすると、それを手に取り、カバンにしまった。
ちょっと薄まったアイスコーヒーを飲み終えた時、壁にかかったアンティークの仕掛け時計がオルゴールの音色を響かせて、九時を知らせた。
それとほぼ同時に、カバンの中でわたしの携帯がブルルルっと震える。
きっとやなっぺだ。ちょっとごめんねと言って、大河内の前で携帯を取り出し開いた。
あと、三十分くらいで
そっちに行ける。
焼き鳥持参で行くからね!
柊は飲み物の準備、
よろしくーー!
そんなおいしそうな文面のメールを、つい頬を緩ませて眺めていたわたしは、目の前の大河内が不信感でいっぱいの顔をしてこっちを見ているのに気付いた。
「大河内君……。ごめんね。今夜、友だちがうちに泊まりにくるから、その連絡が入ってたんだ」
「泊まりに? もしかして。……堂野か? 」
無表情になった大河内の眉がぴくっと上がる。
「違うよ。遥はバイトがあるし、サークルも忙しいから、あまり頻繁に会えないんだ」
「そうなんだ……」
「なので、今のメールは高校時代の親友から。もちろん、女の子だよ。焼き鳥を買って来てくれるんだって。そうだ、試写会、彼女を誘ってみようかな」
みるみる大河内の表情が明るくなってくる。
「あっ、それいいね。是非そうしてみて。それにしても、メールの相手が堂野じゃなくてよかった。バイト帰りの君をここまで迎えに来て、僕と一緒のところを見られたら、それってやっぱり気まずいよね」
「うん。それは、ちょっと困るかも……。でもね、たまたま大河内君とバイト先で会ったんだよって説明すればわかってくれると思う。機嫌は悪くなるけどね」
「あーー。よかった。命拾いしたよ」
「そうだね……」
大河内が胸に手を当てて、本気で安堵している様子に思わずクスッと笑ってしまった。
「あっ、蔵城が笑った」
「やだ。そんなにじろじろ見ないでよ。だって、大河内君ったら、本当にほっとした顔してるんだもの。なんだかおかしくて」
「君の笑顔を見ると、心が落ち着く。さっき僕があんなことを言ってしまったから……。君の心の重荷になってしまったんじゃないかって、心配だったんだ」
「大河内君……」
「ほら、またそんな顔になる。僕はこの通り、大丈夫だから。君に気持を伝えられてよかったと思ってる。君が幸せなら、僕も幸せだ……ということにしておくよ。さーて。こんなことはしていられない。君の友だちを待たせたら悪いよね。僕はここからバスだけど、君は? 」
「電車。わたしの住んでる街の駅で、友だちと待ち合わせしてるんだ」
「そうか。それじゃあ、ここでお別れだね。僕はバス待ちの間、ここで時間をつぶすよ」
「わかった。大河内君、今夜はいろいろとありがと。そうだ。本はどうやって返せばいのかな? 」
わたしは一番大事なことを聞き忘れていたことに気付く。
「それなら、また君の店に顔を出すから。その時にでも返してくれればいいよ。急がないから、ゆっくり読んで」
「わ、わかった。それじゃあ……」
また店に顔を出す? 大河内が?
一瞬、嫌な予感がしたけど、やなっぺのことが気になるわたしは、アイスコーヒーの代金をそっとテーブルに載せて、とにかく席を立った。
店の出入り口のドアのところで何気なく後を振り返る。
別に名残惜しくて大河内を見ようと思ったわけではない。
なのに、じっとこちらを見つめる熱いまなざしと視線がぶつかり、わたしの心臓が驚きのあまり、どくんと大きく跳ね、少し後ろめたい気持ちになっていった。