54.胸騒ぎ その1
大河内は嘘つきではないし、乱暴な性格でもない。
それは誰もが認めることでわたしも異存はない。
だからと言って、たとえ友達としてであっても、こうやって二人きりで会うのは絶対に良くないことだと思う。
遥だって許すわけがない。
でも、でも……。遥に知られないようにすれば、大丈夫かもしれない……。
きっとそうだ。
いくら付き合っているからといっても、わたしの身の回りで起こったこと全てを遥に知らせる義務はないはずだ。
たまになら、たとえ相手が男性であっても、こうやって会って話をするくらいなら許されるような気はする。
現にやなっぺは、男性の友人が十本の指では足りないくらい、たくさんいるみたいだ。
そこには同性同士の友情と全く変わらないものが存在するのだと、かつて彼女が力説していたのを思い出す。
がしかし、時には男性の方がやなっぺに恋心を抱き、友情がこわれそうになったこともあったらしい。
やなっぺもその彼に酬いるべく一歩踏み出そうと努力してみたけど、彼女の心の中の想い人の存在が、それを邪魔する。
藤村以外の男性を恋人として受け入れられないのであれば、初めから誤解を招くような言動は控えることで、男性との友情を勝ち得てきたやなっぺ。
彼女は今でもそうやって、さまざまな男性たちと友人としての付き合いを続けているのだ。
男女間の友情は努力次第によっては成り立つのだと、身を持って証明してくれた。
「そうだ。今日は君に渡したいものがあって……」
大河内が足元に置いた大きなスポーツバックの中を覗き込むようにして言った。
「あった。これ……。試写会のチケット。今度一緒に行こうよ。もちろん、昔、君が好きだった雪見しぐれが主演なんだ。ラブストーリーの王道だよね。この映画」
原作本と一緒にチケットをテーブルに並べて、大河内が笑顔になる。
わたしはそのチケットから目が離せなくなった。
恋のつりがね草。
なんと、そのタイトルは、去年から今か今かと首を長くして公開を待っていた、今一番気になる日本映画だったのだ。
遥はこの手の映画はあまり好まないので、たとえ一人でも封切直後に映画館に足を運ぶつもりだった。
大河内は、わたしが雪見しぐれのファンだったことも憶えていてくれたようだ。
子どもの頃からモデルをやっていた雪見しぐれは、今ではホームドラマや学園ドラマの出演経験を経て、トップスターへの階段を駆け上がっていく真っ最中の女優だ。
わたしよりたったの一学年、年上なだけなのに、落ち着いた風貌と卓越した演技力は各界に定評がある。
この作品が、試写会で誰よりも先に観れるだなんて……。何としても行きたい。
でも、誘ってくれる相手は、嘘か真かこんなわたしのことを好きだと言う大河内なのだ。
いくら遥に内緒でこっそりと観に行くとしても、それは許されないこと。
わたしの良心が大きく揺れ動く。
ああ、どうしよう。どうしたらいいのか。
「よかったら、この本も一緒に貸すよ。僕はいつも、原作本を読んでから映画を観るようにしてるからね。もしかして、もう読んだ? 」
「ううん。まだ読んでない。だけど、大河内君。わたし、大河内君と……」
一緒に行くわけにはいかないよと、やや後ろ髪を引かれる思いで言いながら、本とチケットを大河内に押し返す。
そう、これでいいんだと納得しながら……。
「そうか。やっぱりそうだよな。蔵城。君にそんな気遣いをさせるだなんて、僕はやっぱり、友人としても失格なのかもしれないな」
「大河内君、そんなことないよ。誘ってもらって嬉しかった。でも、一緒には行けないし」
「君の言うとおりだ。じゃあ今回は……。僕は行かないよ。誰か友だちを誘って行けばいい。それならいいだろ? 」
「で、でも。大河内君も観たかったんじゃない? だから、二枚とももらうわけにはいかないよ」
「ああ、そのことなら気にしないで。まだチケットの余分があるかもしれないし、もらった人にまた訊いてみるよ。だから心配後無用。遠慮なく受け取って欲しい」
いったい大河内がどんなルートを使ってこのチケットを手に入れたのかは知らないが、貴重なものには違いない。
「なんだか、申し訳ないな。きっと余分なんてないんじゃない? 大河内君こそ、誰か他の人を誘って行けばいいのに」
「いいんだ。僕が誘いたかったのは、蔵城だけだから。だから僕が行けなくても、君が楽しんでくれればそれでいいんだ。それに、このチケットは僕のバイト先の上司がくれたものだから、君は何も遠慮する必要はない。金銭のやり取りも全くないしね。後日、映画の感想だけでも聞かせてもらえたらそれでいいから」
「感想? 」
何か嫌な予感がする。面倒なことに巻き込まれることだけは勘弁願いたい。
もう今夜で大河内と会うのは最後にしたいと思っているのだから。
「あっ、そんなに堅苦しく考えないで。おもしろかったかそうでなかったか、感動したかしなかったか。その程度でいいんだ」
「ほんとに? 」
「うん。それで十分。友だちにも訊いてもらえると助かる。でもさ、堂野はこういった恋愛物は見ないだろ? そんな気がするんだけど」
「ええ? まあ、そうだけど……。どうしてわかったの? 」
「なんとなく。っていうか、男はあまり見ないと思うよ。僕みたいなのは、少数派かもしれない」
「へえ、そうなんだ」
「堂野とはどんな映画を観るの? 」
「あ、いや。彼とは、その……。ほとんど映画なんて観に行かないよ。ていうか、行ったことないかも。子ども時代を除いて……」
「そっか。意外だな。ハリウッドのアクションものとかも観に行かない? 」
「うん、行かないよ」
「なんかそういうの、堂野っぽい気がするな」
地元から遠く離れた東京の地で、こうやって、昔の遥のことを知っている人としゃべっているのは、なんだか不思議な気分だ。
それが大河内の口から出たものであっても、ちょっぴり嬉しい気分になる。