53.ずっと好きだったんだ その2
大河内の話になると遥の顔色が変わるのは今も同じだ。
もちろん、わたしからその話を持ち出すことはもうないけれど、この前藤村たちと会った時に夢美の口から大河内の話がぽろっと出た時も、あきらかに遥の様子がおかしかったし、実家で妹の希美香が、かっこいい生徒会長の話として食卓の話題に出しただけで、いつの間にか部屋からいなくなるほど徹底的に嫌っているのだ。
もしも、今こうやって大河内と一緒にいることが遥の耳に入ったなら……。
考えただけでもおぞましい。
ここが東京でよかったと思う。
幸い、バイト先周辺では知っている人に見られる可能性はほとんどない。
「えっ? 蔵城、ちょっと待って! 君が僕のことを……って。それ、どういうこと? もっと詳しく話してくれないかな? 」
突如活気付いた大河内が、テーブル越しに身を乗り出してくる。
大河内にとって、否定的なことばかり並べたつもりなのに、どうしたというのだろう。
「あの、だから、わたしが大河内君のことを好きなんじゃないかって、遥が誤解してたことがあったって話なんだけど……」
そう。あくまでも誤解。
わたしが大河内に特別な感情を抱いたことなんて一度もない。
「それって、根も葉もない堂野の思い込みなの? それとも、何か根拠があってのこと? そこのところ、少し気になるなあ……」
まさかこの話に大河内がここまで興味を示すとは思わなかった。
わたしったら、どこか視点がずれてしまったのだろうか。
言わなくてもいいことまでしゃべってしまったのだとしたら、結果、墓穴を掘ってしまった可能性がある。
これは困ったことになった。
「少なくとも中二の頃は、君も僕のことをそんなに悪く思ってなかったよね。毎日、学校でいろいろな話をして、お互いの趣味嗜好にも、かなりの共通点があった。興味本位で僕に近寄ってくる他の女の子と君は、確かに何かが違ってたんだ。何も気取らず、君とは自然に話せた。あの頃、君に僕の気持ちを告げてたら、蔵城はきっと受け止めてくれてたんじゃないかと思う。これはうぬぼれでも何でもないんだ……」
大河内はそう言ったあと、口元をきりっと引き結んだ。確かに彼の言ったとおりかもしれない。
中二のあの頃は、まだ遥のことを好きだと自覚していなかったはずだ。
そんな時に、大河内に気持を告げられていたなら……。
とまどいながらも、彼の気持ちを受け入れていたかもしれない。
わたしの人生は、今とは違ったものになっていたとも考えられる。
「そ、そうかもしれないね……。中二の時、大河内君と仲良くなれて、毎日が楽しかったのは本当だよ。テレビの話も尽きなかったし、宿題のわからないところもとても丁寧に教えてくれたりもしたよね」
「ああ、そうだったね」
「わたし、遥や藤村以外の男の子と話す機会があまりなかったから」
「藤村、か。そういえば彼も君と親しそうだったね」
「うん。でも、あの二人と違って、大河内君が何でも知ってて、女の子のわたしにも優しくて。こんな男の子もいるんだってびっくりしたのを憶えてる」
「ドラマも同じのを見てて、次の週の展開を予想したりもしたよね。君の書いた中学生物語も読ませてもらったし。本当に中学生が書いたのってくらいうまかった。小説家になったら僕が君の一番目のファンになるって言ったよね。憶えてる? 」
「あ……。今の今まで忘れてた。大河内君、そんなこと、よく憶えてるね」
「そりゃあね。君との出来事はどんな小さいことでも忘れられないよ。今でも小説とか書いてるの? 」
「たまに日記みたいなのは書くけど。もう小説とかは書いてない。今は書くより読むほうが楽しくて」
そういえばそんな恥ずかしい物語を書いていたなと思い出す。
幼い頃に両親を亡くした少女が、お金持ちの家に引き取られて、中学生なのに政略結婚に巻き込まれるという、とんでもない筋書きの物語だったはずだ。
文芸読書部で、主人公は中学生であることと逆境に負けずに未来を切り開く展開という課題が与えられて、原稿用紙五十枚くらいの当事の自分にしては超大作を書き上げ、満足していた記憶が蘇る。
それを大河内に読んでもらっただなんて。すっかり忘れていた自分にあきれる。
が、しかし。
君との出来事はどんな小さいことでも忘れられない、とか聞くと、少し背筋が寒くなった。
「そうか。もう書いてないのか。残念だなあ……」
「うん」
「ああ、あの頃に戻りたいよ。毎日君に会えて、いっぱい話も出来て。僕の人生で一番充実してた時期だった気がする。そして、君にきちんと僕の気持を伝えておくべきだったと、悔やんでも悔やみきれない」
「で、でも……。今はもうわたし達、中学生じゃないし。過去にもどることはできない」
「もちろん、過去には戻れない。ただ君が当時、僕と一緒にいて楽しいと思っていてくれていたなら、とても嬉しい。それだけでも心の拠り所になる」
「もちろん。それはわたしも否定しないよ。楽しい中学生活だった……」
「だから付き合うのは無理でも、たまにこうやって話すのはいいだろ? 堂野の気にさわるようなことはしない。誓うよ。だから。また会って欲しい。蔵城、お願いだ。頼む」
わたしはぽかんと口を開けたまま、整ったきれいな顔をしかめて懇願する大河内の様子を、ぼんやりと網膜に写し出していた。