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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 あこがれ
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5.商談成立 その1

 ポスターの写真撮影があった日は雨上がりの午後だった。

 関東圏だけでも二十店舗近くもある店の中で撮影地に選ばれたのは、戦前に先代が初めて出店した一号店だった。

 戦火は免れたが、戦後しばらくして建替えられ、それからすでに五十年以上は経っている古い建物になる。

 他に新しい店もたくさんあるのに、どうしてわざわざこんなところを選んだのかな、と遥と愚痴ったりもしたが、完成した作品を見ればそれは一目瞭然だった。

 ここでなくてはならなかったのだ。


 店の前の道がちょうどいい感じにぬれていて、そこはまるで古都の路地裏を思わせるような静寂感に、しっとりと包まれていた。

 遥が路上でたたずみ、空を見上げている……。

 ただそれだけのとてもシンプルな構図だ。他に誰もいない。

 その上、どこにも和菓子の写真は出てこないし、店の名前はもちろん、和菓子協会とわかるコピーすらない。

 ポスターの左下の片隅にホームページのアドレスがひっそりと書かれているだけだ。

 旅先のワンショットとでも思わせるような、ややノスタルジックな写真がそこにあるだけなのに、店内の接客スペースに貼ると、誰もが視線を奪われ、思わず見入ってしまうような魅惑的なポスターに仕上がっていたのだ。

 カメラが引き気味に遠景ごと遥を撮影しているので、顔ははっきりとわからない。

 ところがその右隅に、小さめではあるものの、まるで映画のポスターのようにきちんと彼の顔のアップが貼り付けられている。

 誰が見てもそれが遥だとわかるくらいに鮮明に写し出されていた。

 そこにいるのは間違いなくいつもの彼なのだけれど、被写体としての遥は、まぎれもなく見る人の心を捉えて離さないほどに印象深く、ポスターの中に存在感を露わにしていた。

 カメラマンが言うところのこの作品のコンセプトは、今どきの若者と和菓子のミスマッチなコラボレーション……なんだそうだ。

 全く意味不明な能書きをくどくどと聞かされ、結局理解できないままだったけれど、それが今になって大反響を巻き起こし、正直なところ、遥もわたしも実家の家族達もみんな面食らっていたのだった。

 ワイドショーで取り上げられたこともあって、店の売上は倍増し、遥が街を歩いていて声を掛けられたのも二度や三度ではない。


 そうだった。

 ファッション誌のモデルの仕事を依頼されて、断るのに困っているというのを、春休みに聞いたことがあったのだ。

 あまりにも普段の実生活にかけ離れた内容だったので、いつの間にか立ち消えになったのだろうなんて思っていたのに。なんてことだろう。

 どうせ冗談に決まっていると軽い気持でいたわたしは、いいアルバイトになるからためしに一回だけやってみれば、などと適当に調子よく言っていたのを思い出す。

 これは結構、遥にとっては深刻な事態なのかもしれない。


 何度も頭を下げて、真剣に頼み込む遥の前に座る二人の大人たち。

 そしてなかなか首を縦に振らない遥。

 両者、互いに譲らずという緊張関係を維持しながら、時間だけが過ぎていく。


「堂野さん。どうかお願いします。このとおりです」


 相手はなかなかしぶとい。

 あの強情でふてぶてしい遥を前に、全く怯む様子を見せない。


「こんなこと、あなたに言っても仕方ないのですが……。最近の出版業界は大変厳しいものがあります。ネットの普及にもその一因があると思いますが、なんと言っても、読者のニーズがさまざまなエリアに広がって、多種多様化を求められているんです。既存の有名モデルだけでは、読者はもう納得しないんです。自分達により近い存在。それでいて夢を持たせてくれるような、新しい人物の出現を渇望しているんです。自分達の身近に、いそうでいない、そんなモデルを、この業界は常に読者の皆様に提案し、広報しているわけです」

「はい……。でもそれは何も俺でなくてもいいのでは」

「いやいや。そこで、あなたなんですよ。堂野さんのようなタイプは、今時、逆に珍しいんじゃないかと思っています。作りこまれていない自然な姿がいいんです。それでいて知名度もある。即戦力として、是非とも私どもの出版社の力になって欲しいんです。今回、一回だけでいいんです。起爆剤として、あなたのそのほとばしるエネルギーをわけていただきたいんです」

「なんか、勘違いされてるみたいだけど。自分自身の価値なんてちっぽけなものです。起爆剤なんかになるわけないじゃないですか」

「いえ! あなたはご自分の持っている底知れぬ力に気付いていないだけです。あなた自身も知らない未知の堂野遥という人物を、本の中で目ざめさせてみましょうよ。ね? お願いしますっ! 」


 遥の上半身がかすかに揺れたように見えた。

 ついに相手の力説が遥の心を動かしたのだろうか。

 あれほどまでに頑なだった彼の態度が一瞬和らいだように感じたのは絶対に間違ってはいないだろう。


「ん……。困ったな。でも、そこまでおっしゃるのなら……」


 とうとう遥の鋼鉄の砦が解きほぐれ始めた。


「堂野さん、お願いします。そこをなんとか! 」

「……わかりました。あなたたちには、負けましたよ。ほんとうに一回だけですよ。それでもいいのなら」

「ど、ど、堂野さんっ! いいです。いいに決まってます! ああ、やったーー! 」


 黒ぶちメガネが身を乗り出し、もう逃がさないぞとばかりにテーブルの上の遥の手をがっしりとつかみ、握り締めた。

 そして強引に握手に持っていく。まさしく両国の調印が締結された瞬間だった。


「それと、俺、今ちょっと忙しいんで、そちらのスケジュールに合せられないかもしれませんけど。それでもいいのなら……」


 遥はすぐに黒ぶちメガネ氏から手を離し、再びけん制モードに入った。


「あ……。す、すみません。失礼しました」


 自分のハイテンションな行動に気付いたのか、黒ぶちメガネがあわてて腰を下ろし、またもや鎧をまとってしまった遥に、ご機嫌を伺うがごとくいとも簡単に頭を下げるのだ。

 その人は、あきらかに遥よりずっと年上であるにもかかわらず……。

 そしてすぐにさっきまでのテンションを復活させると、今度は笑顔攻撃で遥に詰め寄る。


「堂野さん、本当にありがとうございます! ええ、もちろん今回一回だけですので! こちらも、なるべく堂野さんのスケジュールに合せて撮影日程を組みますので、ご迷惑はおかけしないつもりです。明日かあさってのご都合のいい時間帯に改めて企画書を持って参りますので、もう一度打ち合わせをお願いしてもよろしいでしょうか。それと未成年ということなので、契約書にお身内の方のサインも頼んで頂きたいのですが」


 その瞬間、遥の肩がピクッと上がったように見えた。


「そうですか……。ご存知のように、親とは離れて暮らしてるんで、すぐにはサインをもらえないですけど」


 仕事を断る最良なきっかけを見つけたのだろう。

 遥は余裕綽々とばかりに、相手の出方を伺っている。

 郵送するにしても、手元に戻るまでに三日以上はかかるだろう。

 それに遥の両親がすんなりモデルの仕事を認めるかどうかもわからない。

 契約締結までに時間稼ぎができるのは、今の遥にとって、願ったり叶ったりの状況なのだろう。


「それなら大丈夫ですよ。おじいさまが朝日万葉堂の社長さんでいらっしゃるので、ご両親に了解を取っていただいて、社長さんにサインを頂ければ、こちらとしてはOKです」


 ああ言えばこう言うとはまさにこのことでは。

 うまくまるめ込まれた気がしないでもないけど、すでに商談成立ということなのだろう。

 遥はやれやれとでも言うように、大きく息を吸い、ふうーっと吐きだして椅子の背もたれに身を預けていた。


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