46.再会 その2
目の前で繰り広げられる恒例の乙女の儀式に、遥がやれやれとでもいうように首を振り、腕を組んで言った。
「おい、篠川。歓迎のあいさつはそれくらいにしてやってくれ。血行不良になって倒れたこいつを連れて帰るのは俺なんだから。お手柔らかに頼むよ……」
「やだ、堂野君! 久しぶり。なんか、元気そうね。うわーー。また一段とかっこよくなっちゃって」
やっとわたしを解放してくれた夢美が、再び抱きつかんばかりの勢いで今度は遥ににじり寄る。
「社交辞令はそれくらいにしてくれ」
「んもう、堂野君ったら何言ってるのよ。誰が見たって同じ事言うに決まってるって。中学の時とはなんか雰囲気が違うんだもん。ホント、大人っぽくなっちゃって、びっくり。って……。ちょっと声が大きかったかも……」
一通りの儀式を終えたわたしたちは、店のスタッフの少し冷たい視線に促されるように、あわててシートに腰を沈める。
夢美の横にわたしが並んで座り、遥はわたしの向かいに座った。
「ひいら、苦しかった? ごめんね。だって、嬉しくって。考えてもみてよ。あたしたちって、こうやって会うの、何年ぶり? 高校の時もあまり会えなかったから、二年近く顔を見てないかも。だから今日メールもらって、飛び上がるほど嬉しかったんだから」
座るなり、またマシンガンのようなトークが飛び出す。
自分の入り込む余地などどこにもないと悟ったのだろうか。
遥がため息と共にメニューを広げ、時おり醒めた視線をわたしと夢美によこして来る。
「そうそう、堂野君。ポスター、見たよ。すごく素敵だったー。短大の友達にも、このモデルの人、幼馴染なんだって、いっぱい自慢しちゃった。ふふふっ……」
柔らかく笑う夢美は、ほんのりピンク色の頬にえくぼを作りながら、手を口元に持っていく。
細くて長い指に短く切りそろえられた形のいい爪。
そこには淡い色のネイルが丁寧に施されていた。
声楽コースであっても音楽科に在籍しているとピアノも必須科目なのだろう。
爪が短めなのは仕方ない。
わたしが夢美の手をじっと見ていると、彼女がはっとしたようにその手を引っ込めてしまった。
えっ? 何?
今、瞬間に見えたキラっと光る物が気になる。
も、もしかして。その左手の薬指に輝いていたのは、ダイヤモンドの輝き?
「ゆ、夢ちゃん……。その指輪」
「あっ、これ? 」
夢美は恥ずかしそうに笑みを浮かべながら、ちらっと指を見せてくれた。そして。
「もらったの。……彼に」
ますます赤くなった頬を緩ませ、俯いて答えてくれた。
彼にもらったのだと。
わたしの脳内は夢美のひとことでパニックに陥る。
彼って誰? い、いつの間にそんなことになっていたのだろう。
知らなかったのだ。夢美にそんな彼氏がいるだなんて。
「ねえ、ひいら。堂野君も。あたしね、実はね。来年、短大を卒業したら、結婚することになったの」
「け、結婚? うそ、夢ちゃん、うそでしょ? 」
向かいに座る遥も目を見開いて驚いている。
「ううん。ほんとなの。おかしいでしょ? まだ子どもみたいなあたしが結婚だなんて……」
「そんなことないけど。でも、何も知らなかったから。わたし、ほんとに何も……」
「ひいら、ごめんね。夏休みになったら、彼と東京に行くつもりだったから、その時ひいらに会って、伝えようと思ってたの。彼のことも紹介しようって」
伏せ目がちになった夢美が、ぼつぼつと遠慮がちに話す。
「そっか。そうだったんだ。夢ちゃん、おめでとう。どおりで、なんだか大人っぽくなったような気がしてたんだ。美しさにますます磨きがかかったっていうか……。幸せオーラ出まくりって感じだよ」
「もう、ひいらったら……。そんなことないって。こんなに早く結婚して大丈夫なのって、短大の友達に本気で心配されてるんだから」
「でもいいな。結婚か……」
「ひいらったら、何言ってるのよ。ひいらの方こそ、びっくりするくらいきれいになってるんだもん。だってひいら、本物のモデルみたいだよ。スタイルも抜群だし。ってことは……。やっぱり、こちらの彼氏のお陰かな。ね、堂野君? 」
「おいおい、やめてくれよ。俺を巻き込むなよ」
突然話を振られた遥がうろたえる。
「あたし、西山第一高校の元合唱部の子と仲が良くてね。その子にいろいろ聞いたの。あなたたちが付き合っていることも」
「そうだったのか。まあ、そういうことで……。それより篠川、おめでとう。中学の知り合いの中では、篠川が一番にゴールインだな」
「ありがとう。どういうわけかこんなに早く決まっちゃって。でもね、堂野君。今あたしが言ったこと、お世辞でもなんでもないの。堂野君もホントはわかってるでしょ? ひいら、すごくきれいになったよね。そう思うでしょ? ね、堂野君」
夢美ったら。そんなにマジにならないでよ。遥だって困ってるよ。
「ははは……参ったな。そうだ篠川。こいつに言ってやってくれ。もうそれ以上きれいになるなって。誰かさんは全く自覚ないから、俺、ずっとハラハラし通しなんだ。世の中の男が、全員敵に見える」
ちょ、ちょっと、遥。なんてこと言うの。
いくら気心の知れた夢美だからって、何もそこまで言うことないのに。
今日の遥は、どこかおかしい。
「うわあっ、堂野君ったら。いつの間にそこまで、ひいらにぞっこんになっちゃったの? あなたたちこそ明日にでも結婚するべきだよ。それにしてもひいら。愛されてるね。まさか二人がこんなにラブラブだなんて思ってもみなかったから。だって昔は、けんかばかりしてたでしょ? こんなの想像できないって。あの頃のあたし、二人のそばにいて、ずっと気を揉んでたんだよ。お願いだから仲良くしてって」
「篠川。悪かった。昔は、俺が悪かったんだ。素直になれなかった。だから、もうそれくらいで勘弁してくれよ。……それより対策を練ったほうがいいぞ。藤村が来る前に」
わたしのことはともかく、ほんとうに夢美ときたらこんなに幸せそうできれいになって。
自分が充実してるから他人にも優しくなれるということを、身をもって証明してくれた。
でも、浮かれるのはここまでだ。
遥の言うようにここは念入りに対策を練る必要がある。
夢美一筋の藤村が結婚の事実にショックで倒れないようにしなければならない。
「ひいらからメールもらった時、初めは行くのやめようって思ったんだ。でも、このままずっと隠し通せることじゃないし、今までいっぱい誠意を見せてくれた藤村君にも、きちんと結婚のことを報告するべきじゃないかって、そう思って……」
そうか。そうだよね。いつまでもオブラートで包んだまま、ごまかしておけるものでもないし……。
夢美の決心は固そうだ。
あれこれ対策を練るより、真実をありのままぶつける方がいいのかもしれない。
最初は辛いかもしれないけど、これが現実なのだから、藤村が自ら乗り越えるしかないと思う。
「おい、そろそろ注文しに行こうぜ。ここに座っていたら、いつまでたってもコーヒーにありつけないぞ」
そうだった。ここはセルフサービスの店なのだ。
遥がさっと立ち上がり、カウンターに向かった。
結婚話で盛り上がっていた時とは正反対の沈んだ面持ちで、わたしと夢美も遥に続いた。