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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 あこがれ
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45.再会 その1

「俺だ。入るぞ。……遥、もう出かけるのか? 」

 

 入るぞと言ってから、ほんの少し間をあけて、作業服を着た父が部屋の襖戸を開けた。


「いいや、まだ」


 寝転がって携帯を見ている遥が、いかにもだるそうに返事をする。

 一抹の不自然さはぬぐい切れなかったが、遥の機転の速さはそれはもう見事だとしか言いようがない。

 わたしの家はかなり古い。人が廊下を歩くたび、どこかがぎしぎしと音を立てるのだ。

 それは床だったり、柱だったり、あるいは窓枠だったりする。

 長年の経験で、部屋に近付く人の気配というものをキャッチするすべだけは、遥もわたしも体にしみついている。

 最悪の事態だけは無事回避できたはず……だ。

 今の遥との戯れは絶対に見られていない、いや、気付かれていないと思う。


「何時に出るんだ」


 心なしか、父の声が冷たく感じる。


「夕方の五時に藤村や同級生と待ち合わせしてる。何か用? 」


 あくまでも携帯を見ているそぶりを崩さず、何事もなかったかのようにそっけなく父に答えている。


「じゃぁ、ちょっと手伝え。これ以上雨が続くと心配だ。田んぼを見に行くぞ。草取りもしないとな。除草剤は極力控えてるから手作業なのはおまえも知ってるだろ? ぼちぼちおまえにも、田んぼのことを引き継いでいかないとな」

「……わかった」


 何か不穏な空気でも感じ取ったのだろうか。

 遥が携帯を閉じて起き上がり、やや強張った顔で戸口に立っている父さんを見上げる。


「遥。言っとくが……。俺が何も気付いてないと思ったら大間違いだからな」


 父の尖った視線が、わたしと遥を交互に突き刺す。

 な、なんだろう。何も気付いてないと思ったらって、それって……。

 も、もしかして、今ここで遥と抱き合っていたことがバレているとでもいうのだろうか。

 肩をいからせながら部屋から出て行った父の後姿を見ながら、遥が大きくため息をついた。


「ふうー。親父さんには敵わねーな。なあ、柊。こっちが外の気配に気付くように、向こうも中のことが手に取るようにわかるんじゃないか? 」

「ええ? そんなあ……」

「まあ、仲が悪いとこを見せるよりは、いいんじゃねえの? 」

「それはそうだけど。でも……」


 遥は簡単に言うけれど。

 さっきのことを気付かれたと思うだけで恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。

 今からどうやって父と顔を合わせろと言うのだろう。

 わたしたちの一挙手一投足は、すべて父の手の中にあるのかもしれない。

 父の包囲網はとてつもなく強靭だ。


 米作りは、父と俊介おじさんが会社の休みの日を使って作業を続けている。

 今では自宅用と近所で頼まれている分くらいしか作っていないけど、昨今の無農薬ブームで分けて欲しいという人が増えて、次第に仕事量が増えているらしい。

 野菜と果樹の世話は、おばあちゃんと母が担当している。

 田植えや稲刈りの時は、家族総出で田んぼに出ることもある。

 綾子おばさんは、会社を辞めてからは花作りに目覚め、庭や家庭菜園の一角にあるビニールハウスで種から苗を育て、世界中の珍しい花も栽培している。

 直売所に卸してそれを心待ちにして買ってくれる人もいるらしい。

 村の自治会や、ボランティアを率先して引き受けているのも綾子おばさんだ。

 うちと、おばあちゃんと、隣の堂野家とで、バランスよく仕事の作業分担が出来ていると思う。

 将来は、わたしも何かを担わなくてはいけないとわかっているのだけど。

 でも、田んぼ仕事だけは……勘弁してほしい。


「柊、おまえも一緒に来いよ」


 遥が田んぼに一緒に行こうと誘い、わたしの手をぐいっとひっぱった。

 い、いやだなあ。わたしは家で本でも読んでいようと思っていたのに。


「わたしは行かないよ。だって、くつがドロドロになるし、カエルとかヘビも出るし……」

「んなもん、あたりまえだろ。家の周りにもいっぱいいるし。さあ、つべこべ言わず、着替えれば? 」


 どうしたというのだろう。

 突如はしゃぐように準備を始める遥に、思わず目を見張った。

 遥だってつい最近までは、田んぼの仕事をあれほど嫌がっていたのだ。

 突然の心境の変化だろうか。

 父の用意した超ダサい作業服の上に、半透明の雨がっぱを身につけたこの目の前の男が、実はファッション誌の読者モデルだなんて、誰が信じるだろう。

 わたしは重い腰を上げ、高校時代の紺の体操服を引っ張り出して、嫌々ながらも着替えを済ませる。

 あとは遥と同じ雨がっぱを着て、長靴を履けば準備完了だ。

 大股でつかつかとあぜ道を歩いていく前方の怪しい二人の男性に引き離されないように、わたしは小雨の中を小走りになりながら、必死になってついて行った。


 昼食をはさんで、夕方まで田んぼの仕事に精を出したわたしと遥は、今、父の運転する車に乗って、駅前の待ち合わせ場所に向っていた。

 雨は幾分小止みになったものの、日の長くなった六月の夕方とは思えないほどあたりは暗く、灰色の雨雲が低く垂れ込めていた。

 せっかくセットし直した髪も、たちまち湿気を含み、ぼわっと乱れる。

 でもこの時期の雨こそが農作物にとっては天からの恵となるのだから、グチばかりも言ってられない。

 ため池にたっぷり雨水をためておくことで、夏の日照り続きの間も水不足の心配をしなくて済む。

 これから梅雨の末期にかけての集中豪雨と台風の直撃さえなければ、秋の収穫は大方保障されたようなものだと父がハンドルを握りながら言った。


「二人とも、あまり遅くなるなよ。遥、柊を頼んだぞ」


 ロータリーで車から降り、父の車がビルの角を曲がって見えなくなるまで、その場で見送っていた。

 駅まで送ってもらったのは、大学受験で上京する時以来だ。

 あの時は老朽化のため工事中だった駅ビルが、今や再開発事業で近代的に整備され、以前に比べて乗降客も増えているという。

 新しい街の顔となった駅前のおしゃれなコーヒーショップが本日の待ち合わせ場所だ。

 店の外にも椅子とテーブルが並べられ、その一角だけは、まるでパリのシャンゼリゼ通りのオープンカフェのような光景に見える。

 と言ってもフランスに行ったことがないので、知ったかぶりと言われても言い返す言葉は見つからない。

 どうせ藤村はいつものように遅れて来るだろうからと、遥がわたしの後方を歩く。

 その方が夢美を探すのに都合がいいだろうと彼が提案したのだ。

 すると、やっぱり。

 わたしの姿をいち早く見つけた夢美が、奥のボックス席から立ち上がって手を振っている。

 わたしも両手を降りながら、彼女のそばに駆け寄った。


「あーん、ひいら! ほんっとに久しぶり! 」


 夢美が、窒息しそうなほど強く抱きしめてくる。

 わたしだって嬉しい。

 負けないくらいしっかりと夢美を抱きしめて、わたしたちは再会を喜び合った。


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