44.俺、今、すんげぇ後悔してる その2
わたしは大急ぎで邪念を振り払い、会話の流れを軌道修正することに専念する。
「あのね、遥。今ふと思ったことがあるんだけど」
まだ少し赤い顔をした遥が、ゆっくりとこっちを見た。
「こうやって次々と仕事が舞い込むってことは、遥に何か隠された才能があるんじゃないかって思うんだ。わたしね、この頃、ちょとだけ目が良くなった気がするの。遥もそう思うでしょ? 」
「ん……。よく意味がわかんねえけど。つまり、視力が上がったってことか? なんだそれ」
「ちがうよ。視力は悪いままだよ。ずっとコンタクトレンズのお世話になってるんだもの。そうじゃなくて、美しい物や本物を見極める目が育ってきたってこと。だって遥がすっごくかっこよく見えるんだもの。贔屓目もあるかもしれないけど、客観的に見てもかなりイケメンに分類されると思うんだ。特に撮影のあった日なんかは、ドキドキしてまともに遥の顔が見られないくらいだもの。だからモデルとしてもきっとうまくいくと思う。人気急上昇で、成功間違いなし。そんな人がわたしのカレシだって思うと、ちょっと鼻が高いかも……」
そうだ。そんな風に考えると、遥がモデルとして活躍するのも悪くない。
遥はきょとんとしているけれど、今言った言葉だけでは足りないくらい、どんどん彼が素敵になっていく。
それに比べてわたしときたら……。
高校時代と全く変わらないし、以前やなっぺたちに言われたように、服装も地味なままだ。
遥がうっとりとした目でわたしを見つめることなんか、あったためしがない。
ただぼんやりとこっちを見てるだけっていうのは、たまにあるけれど。
あれ? これって軌道修正になっていないのでは。
さっきよりも脱線してしまったかもしれないと不安になる。
「おい、柊。聞いて呆れるぞ。恥ずかしげもなく、よくもまあ、そんなことが言えるな。俺に惚れすぎて思考回路がぶっ壊れたんじゃないのか? 」
わたしの言葉など嘘だとでも言うように、遥が苦言を吐く。
「そんなことない! 」
その証拠に、大学でも遥の噂を耳にすることだってあるし、遥とすれ違ったとたん振り向いて、かっこいいとつぶやいた人もいた。
よったんと沢木さんからも、あれ以来、遥を崇拝しきった褒め言葉を何度も頂戴している。
それに、それに。決して賢くはないけれど、わたしの頭はいつだってシュッと冴え渡っている。
思考回路はすこぶる良好だ。
「まあまあ、そんなに怒らなくても。でもな、俺のおやじも言ってたけど。そっちの方こそ、どんどん、その……。きれいになっていくぞ。夕べの藤村だって、おまえに見とれてたくらいだからな。だから余計に柊を一人にしておけないんだよ。もうたまんねーな。そこそこかわいいくらいで止まっておけよ」
「うそ……」
そんなの信じられない。わたしのどこがきれいなのかさっぱりわからない。
遥の方が、特上のひいき目をしているのだろう。
「嘘じゃない。柊より、その、きれいなやつは俺のまわりにはいない」
いやいや。遥こそ、1.5の視力がついに下降し始めたに違いない。
そんな見え透いたよいしょは必要ないとばかりに、わたしは遥の真意を探ろうとじっと彼を凝視してみた。
でもそこに偽りの表情は見つからない。
遥の真っ直ぐな視線が、わたしに向かって注がれているだけだった。
そっか。そうなんだ。
きれいだなんて……。生まれて初めて、遥に言われた。
「さーて。藤村に連絡するか。今夜なら時間取れそうだしな」
柊も誰か会いたい奴がいないのかと訊きながら、遥が携帯を開く。
そういえば、夢美とは大学に入ってから一度も会っていなかった。
高校からエスカレーター式に短期大学部の音楽科声楽コースに進んだ彼女は、自宅から短大に通っているはずだ。
連絡すれば会えるかもしれない。
「じゃあ、夢ちゃんに声かけてみようかな。でも、藤村が来るって知ったら来ないかもしれないね。だって夢ちゃん、藤村を何度もフッてるもん。気まずいかも」
「ああ、そうだったな。ちょっとキツイかもな。それより篠川は、俺達が付き合ってることを知ってるのか? 」
遥は夢美が自分のことを好きだったのも知っている。
藤村も交えてわたしと遥と夢美の四人は、哀しいかな、いびつな四角関係だったのだから。
「たぶん……知ってる。わたしから直接言ったわけじゃないけどね。前にメールもらった時、遥によろしくって書いてあった。ハートマーク付きで」
「そうか。まっ、いいんじゃね? うまくいけば、藤村に追い風になるかもしれないだろ? 」
「それはそうだけど……」
遥は軽くそんな風に言うけれど、夢美がそう簡単に心変わりするとも思えなかった。
わたしは複雑な気持を抱えたまま、夢美に連絡を取り始めた。
遥は藤村にダイレクトに電話で。
わたしは、メールで彼女の都合を聞いてみる。
「……じゃあ、夕方五時に駅前で。……おう。篠川が来るよう、なんとかうちのに頼み込んでもらうよ」
男子の会話は簡潔明瞭だ。特に遥は誰よりも会話が短い。
あっという間に約束を取り付け、携帯をパタンと閉じた。
でもちょっと恥ずかしかった。
うちのにって、それはわたしのことだ。
普段から藤村にそんな言い方をしているのだと思うと、胸の中がこそばゆく感じてしまう。
するとわたしの携帯も、すぐに返事を知らせるメロディーが鳴った。
藤村も遥も来ると正直に知らせたにもかかわらず、行く行くとかわいい絵文字までつけて瞬時にレスしてきたのだ。
心配するほどのことはなかったようで胸をなでおろした。
「柊……。俺、今、すんげぇ、後悔してる」
「ひ、ひゃあーっ! 」
わたしがもう一度夢美に簡単な返事を送り携帯を閉じると、目の前に遥の顔があってそんなことを言うものだから、驚きのあまり変な声を上げてしまった。
いったいどうしたというのだろう。何を後悔しているのか。
理解に苦しみ、首を傾げてキョトンとしていると、突然遥の手がわたしの首の後ろに添えられる。
「こんなことなら、とっとと東京に戻った方が良かった。ここじゃ、こんなことも、命がけだ……」
わたしの目をじっと見ながらそう言って、次の瞬間、遥の唇がわたしに重なってきた。
手元の携帯がぽとりと畳の上に転がり落ちる。
「ちょ、ちょっと……。ここは東京じゃ、ないんだ……か……ら……」
「黙って……」
言葉ごと何もかも遥にのみ込まれる。
身体をよじって抵抗を試みるも、遥はそれを許してくれなかった。
いつしかわたしも彼の首に手を回し、遥から注がれる無言の想いを、懸命に受け止めていた。
その時だった。
すっかり無防備になっていたわたしの耳に、あってはならない声が入り込んできたのは。