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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 あこがれ
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39.女神の降臨 その2

「希美香。あなたの希望はわかった。今すぐには返事は出来ないけど。お父さんと学校の先生ともよく話し合って決めましょう。でもまあ、なんと言うか、父は大喜びだわね。だって、おじいちゃんはそこの学校の講師として、何度か教鞭を取っているはずだもの……」


 希美香がこぼれんばかりの笑顔を見せて綾子おばさんに抱きついたのは、その直後だった。

 もう、本当にこの子ったら……と不服そうにつぶやきながらも、おばさんの目はどこか安堵の様相に包まれているように見えた。

 綾子おばさんが寝ている卓の様子を見に行くといって部屋を出た時、時計の針はすでに真夜中の零時を指していた。

 今夜の話し合いは、ここで一区切りのようだ。

 みんながわらわらと立ち上がり、大きく伸びをする。

 おばあちゃんが、わたしと遥の寝床を母屋の客間に作ろうかと言ってくれたけど、父の一言で家に戻って自分の部屋で眠ることになってしまった。

 もちろん遥とは別々に過ごすことが前提だ。

 二人の付き合いは認めるが、俺の目の前では好きなようにはさせんなどと言って、父がここぞとばかりにまた声を荒げる。

 ところがわたしが父に反論しようとすると、遥が目配せをするのだ。

 今夜は父の言うとおりにしろと。

 わたしはしぶしぶ遥に、じゃあ、また明日と告げて、母と一緒に家にとぼとぼと戻った。


 次の日、雨の音で目を覚ますと、ここは実家だったと改めて実感する。

 東京のアパートの天井の上は上階の住人の部屋になっているので、屋根に当たる雨の音など全く聞こえない。

 外に出て初めて雨が降っていることに気付き、慌てて傘を取りに帰ることも多い。

 両親はもうすでに起きていて、父はいつものように茶の間で新聞を広げていた。


「母さん、父さん、おはよう」

「あら、柊、おはよう。よく眠れた? 今朝は雨がひどかったでしょ? 」

「うん。雨の音で目が覚めた。でもなつかしい……。やっぱり家はいいな」

「ホントにこの子ったらのん気なこと言っちゃって。母さんも父さんも、あなたたちのこと、どれだけ心配したか。もうね、何が起こったのかよくわからなくて、頭の中がこんがらがってるんだから。こんなに急に娘の結婚話になっちゃうんだもの。ほんと、寝耳に水。それも相手はあの子……。いやいや、まさかそんなことあるはずないって、誰でもそう思うわよ。大学卒業したら、駅前の写真館で柊のおめかしした写真を撮ってもらって、お見合いさせて。そんなことしか考えてなかったから。お父さんなんて夕べ、ほとんど寝てないのよ」


 母の声にかぶさるように、これみよがしに父の咳払いが聞こえる。

 相変らず父は新聞をじっと見たまま、私と目を合わそうともしない。

 まだ怒っているのだ。

 もうこれは絶対に怒りのオーラを全身にまとっているに違いない。

 時折訪れる静寂の中にもピリピリとした気配が容赦なく襲ってくるのだ。


「朝ごはん出来てるわよ。そうそう、はる君もここに呼ぶ? あの子、向こうで気まずい思いをしてるんじゃない? 」


 はる君という母の声にピクンと反応した父が、ようやく新聞から顔を上げ、こちらを見た。


「遥を呼べ。いろいろ訊きたいこともあるからな」


 父の声が、朝の空気を一瞬にして凍り付かせる。

 遥にこれ以上何を訊くというのだろう。

 胃の辺りがぎゅっとしぼられるような痛みに襲われた。

 朝からののしり合い、挙句の果て、つかみ合いの大げんか……なんてことは、出来れば遠慮してもらいたい。

 ためらいながらもポケットから携帯を取り出し、遥の番号を画面に呼び出した。

 そして通話ボタンを押し、応答を待つ。


 昨夜以来、綾子おばさんに完全に無視されている遥は、おばあちゃんの用意してくれた母屋の寝床で、夜を明かしたようだ。

 起きぬけの機嫌の悪そうな顔で、雨の中、傘もささずうちの土間にバタバタと駆け込んできた。

 雨のしずくが髪を伝い、遥の長いまつげを濡らしている。

 見慣れているはずの彼の横顔を視線の端に捉えた時、またひとつ心臓がトクンと鳴った。


「おはよー。はる君、ご飯できてるわよー! 」


 台所から普段通りの母の大きな声が響く。


「ああ……。今行くよ」


 遥はわたしから受け取ったタオルで濡れた髪を拭きながら、ボソッと覇気のない返事をした。

 四人掛けの食卓テーブルで、わたしの横に遥が座りその前に母が座って給仕をしてくれる。

 先に朝食を済ませている父が隣の茶の間から台所にやってきて、わたしの前に座った。

 これは相当気まずい。

 想像以上に険悪な空気がテーブル上に漂っている。

 こうやって食事をすることは何も今朝が初めてではない。

 子どもの頃はもうひとつ椅子を並べて、毎日のように遥と希美香を交えて五人で食事をしていたのだから。

 茶碗をテーブルに置く時のコトリという音と、味噌汁をすする音しかしない。

 何か話題を振らなくてはと思うのだが、今朝のこの四人に共通の話題など、そう簡単に見つかるとも思えない。

 横目でちらっと遥を見ると、もう茶碗のご飯が空になっていた。

 何も言わずに母がそれを受け取ると、二膳目を軽くよそって遥に差し出した。


「いっぱい食べなさい」

「どうも……」


 遥がそう言って軽く頭を下げて、茶碗を受け取る。

 父は……といえば。腕を組み、誰もいない茶の間の空間に、漠然と視線を彷徨わせている。


「お父さん、コーヒーでも淹れましょうか? 」


 母のその言葉が引き金になり、ようやく父が、その閉じられていた重い口を開いた。

 まずはわざとらしい咳払いをひとつ。そして……。


「遥、柊。おまえたち、式は……いつ挙げるんだ」


 湯飲みに入ったお茶をすすっていた遥が、まるでコントのワンシーンのように、絶妙のタイミングでぶはっとそれをふきだした。


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