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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 あこがれ
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38.女神の降臨 その1

 希美香は時折鼻をすすりながらも顔を真っ直ぐに上げて、はっきりとした口調で話し始めた。


「あたし、大学に行かない……」


 そこにいた皆が怪訝そうなまなざしで一斉に希美香を見た。

 わたしもびっくりして横にいる彼女を見る。


 希美香は地元の県立高校に通っている三年生だ。

 わたしと遥の後輩になる。

 当時の遥に匹敵するくらい良い成績を維持している彼女は、ついこの間まで、自分も東京に出て大学に進学するのだと張り切っていたはずだ。

 なのにどうして? まだわたしには、希美香の話の真髄がつかめない。


「お、おい、希美香、大学行かないでどうするんだ。働くのか? 」


 俊介おじさんが慌てて問いただす。


「ううん、違う」


 希美香が大きく首を横に振る。


「希美香、急にどうしたの? あなたも遥と同じように、東京の大学に行くって言ってたじゃない。栄養士の勉強をするって。高校の先生だって、堂野さんに期待してるって言ってくれた。それなのに……。何かあったの? 費用の心配なら大丈夫よ。学資保険だってあるし。ねえ希美香、いったいどうするって言うの? 」


 綾子おばさんもさっきまでの遥への怒りはどこへやら、希美香の予想外な宣言に目を白黒させている。

 わたしだって彼女の本心が読めない。

 会うたびに早く女子大生になりたいと言っていたのは何だったのか。

 希美香はおばさんを真剣な目つきで見据えて言った。


「専門学校へ行く。調理の専門学校。……パティシエになる」 

「パティシエっ? 」


 そこにいたおばあちゃんを除く全員がそう叫んだ。

 父が遥の胸ぐらをつかんだ時からずっと泣いていたおばあちゃんは、涙を拭っていたエプロンの端から手を離し、小さな目をおもいっきり見開いてきょとんとしていた。

 そして、希美香を覗き込むようにして訊ねる。


「パーティー市営……? なんのパーティーだい? どこかの市がやってるのかい? あまり聞いたことがないね」


 よくあるおばあちゃんの聞き間違いだ。

 いつもならここでみんなして大笑いする場面なのだけど、今夜はそうはならなかった。

 当然だ。遥が少し肩を揺らした程度で、誰もクスリとも笑わない。

 おばあちゃんの予想外の勘違いをさらりと聞き流したあと、綾子おばさんが洋菓子を作る職人さんのことよと簡単に説明を添える。

 おばあちゃんは、へえそうかい、と言ってこくこくと頷いた。


 遥が希美香をチラッと横目で見た後、わたしと綾子おばさんに向かって全てを悟ったような視線を送り、フッと息を漏らす。

 とたん、遥の表情が急激に明るさを取り戻し笑顔まで見せるものだから、わたしはわけがわからず、ただただ遥を不思議そうに眺めることしか出来ない。


「希美香、それ、本気か? 本当にそれでいいのか? 」

「本気だよ。周りに流されて大学進学って決めてたけど。やっぱり違うって思った。一番やりたいことは何って、自問自答したら。やっと答えが出たの。だから、本気も本気」

「そうか。おまえには一生、足を向けて眠ることはできないな。恩に着る」


 えっ? いったいどういうこと? 

 希美香と遥のやりとりの奥にあるものを探ろうとするのだけど、まだ糸口は見つけられなかった。

 希美香のパティシエ宣言と、遥の急激な態度の軟化がどう結びつくというのだろう。


「えへへ……。だから言ったでしょ。あたしはお兄ちゃんとお姉ちゃんの味方だって。ね、お姉ちゃん」

「う、うん……」


 希美香の有無を言わせぬ自信に満ち溢れた言動にたじろぎながらも、風向きが変わってきたことはわたしにもわかった。


「でね、いろいろ調べたんだけど、東京のおじいちゃん家から通えるところに日本国内でも有名な調理の学校があるんだ。そこに行きたいと思ってる。それで将来は、朝日万葉堂の洋菓子部門でサポートしていけたらいいなって考えてるんだけどね。洋菓子のテクニックを取り入れた創作和菓子なんてのもやってみたいし……。でもまあ、厳しい先生方も多い学校だから、大学以上に大変だと思うけど。自分の大好きな道だからやっていけると思う。お願い、行かせて! 父さん、母さん、お願い! 」


 希美香が瞳を輝かせて、自分の未来を語っている。

 そうか。そういうことだったのか。やっと状況が見えてきた。

 泣き虫で甘えん坊だった希美香が、とてつもなくしっかりした高校三年生へと成長を遂げていたことに驚きを隠せない。

 でもその決断は決して恩着せがましいものではないとわかっている。

 

 希美香は小さい頃からお菓子作りが大好きで、うちの台所のオーブンは、彼女のためにあるようなものだったのだ。

 クッキーやケーキはもちろんのこと、上新粉や餡もうまく使って、季節の団子なども彼女の手にかかればお手の物だった。

 母もびっくりするほどの手際の良さで菓子類を作り上げ、味も抜群にいい。

 彼女がパティシエを希望するのは意外でもなんでもなかった。


 そして彼女の夢の先には、おばさんが心配している朝日万葉堂の跡継ぎ問題もきちんと組み込まれている。

 今の世の中、女性の後継者もなんら不都合はないはずだ。

 そんな希美香の勇気ある決断に敬意を表して、さっき遥が足を向けて眠れないなどと言ったのだろう。






※パティシエ……これはフランス語で男性の菓子職人を表す言葉ですが、日本では男女関係なくパティシエという用語を使用することが多くみられるため、文中でもそのまま使用しています。ちなみに女性形はパティシエールと表現するようです。




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