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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 あこがれ
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35.父さんの涙 その1

 どれくらいの間、二人は視線をぶつけ合っていたのだろう。

 あるいは、ほんの数秒間の出来事だったのかもしれない。

 その場から動けなくて、声も出せなくて……。

 まるでスローモーションの一場面のようなその光景を、わたしはただじっと傍観しているだけだった。


 遥の襟首をつかんでいた父の手が、ようやく離れる。

 すると今度は父が畳に手をついて、その広い背中を震わせるのだ。


「遥。おまえがどこの誰ともわからん相手だったらどれだけよかったか。思いっきりぶっ飛ばしてやって、二度と娘の前に姿を見せるなと、怒鳴ることもできただろうに。なんで遥なんだ。なんでおまえなんだ……」


 遥は半ば放心状態で、四つん這いになってうな垂れる父をじっと見ていた。


「子どもは、いつまでも子どものままじゃない。いつかは自分の手元から離れていく。そんなことはとっくにわかっているはずなのに、いざとなるとこのありさまだ。柊も遥も、まさかこんな形で親を裏切るようなことをするなんて、思ってもみなかった。こんなことなら、何が何でも反対するべきだった。柊を東京なんかに行かせるんじゃなかった」


 俊介おじさんは目をつぶり腕を組んで、父の話を黙って聞いている。


「なあ、遥。もう俺が何を言っても無駄なのか? 」


 父がゆっくりと腰を落とし、遥の正面に座って顔を上げた。

 泣いている。あの父が。涙をはらはらと流して、泣いていた。


「遥。なんで、柊なんだ。どうして柊と一緒にいる。おまえたちは、いつからそんなことになっていたのか。たとえ血はつながっていなくても、蔵城家と堂野家は立派に親戚同士なんだし、こそこそと付き合い、一緒に暮らし。そんな勝手なことが認められるとでも思うのか? 」


 遥は、膝の上に置いた両手のこぶしを、ぎゅっと握り締める。

 そうだ。父の言う通り、わたしたちはまぎれもなく親戚同士だった。

 でも、本当の家族ではない。血もつながっていない。

 子どもながらに、それだけはずっと自覚していたと思う。

 ふと気がついた時、目の前にいる遥はもう親戚の子なんかじゃなかった。

 好きで好きでたまらなくて、わたしのすべてを彼に受け止めて欲しくて、他の誰にも取られたくなくて。

 特別な存在になってしまっていた。

 そんな遥と、栗の木の下で夕日に見守られながら交わした将来の約束が、わたしの人生の全てだった。


「おじちゃん……。柊とは、もちろん親戚同士だ。けれど、俺の姉や妹でもない。家族でもない。昔から、そんな風に思ったことは一度もなかった。いつでも俺にとっては特別な異性だった。おじちゃんやおばちゃんに何と言われようと、親父とおふくろが何を言おうとも。俺の気持は変わらない。柊は、誰にも渡さない。俺のそばから離さない……」


 父はよほどびっくりしたのだろう。

 流れ落ちる涙を拭うことすらせず、ただ呆然と遥を見ていた。


「おじさん、柊のことは、俺が全て責任を持ちます。それでも甘いとおっしゃるのなら。大学も辞めて、仕事を見つけ、それで柊と……」


 急に敬語を使い始めた遥に父がわずかばかりに眉を動かし、反応を見せた。

 するとすかさず父の後方から怒声が飛ぶ。


「遥っ、おまえの領分は学生なんだ。大学を辞めるとか、そんな勝手なことは父さんが許さないぞ! 」


 今度は俊介おじさんが黙ってはいない。

 遥に掴み掛からんばかりの勢いでまくし立てる。


「俊介、もういい」


 父がおじさんの腕をつかんだ。


「もういいんだ。遥の気持はよくわかった。こいつ、おまえと同じだ。おまえが綾子さんをここに連れてきた時と、一寸たりとも違わない。頑固なところも、惚れたら最後、どこまでも突っ走るところも……。やっぱり遥は、おまえの子どもだよ」

「に、兄さん。何も子どもたちの前で、そこまで言わなくても……」


 父のあからさまな言葉に、おじさんは狼狽を隠せない。

 あたふたとしながら、元の場所に座り込む。

 なんだかおじさんが気の毒になってきた。

 父の口から出たとんでもない過去話に、わたしだって恥ずかしくなる。

 希美香も真っ赤な顔をしてもぞもぞして落ち着かない。

 そもそも、おじさんとおばさんにそんな時代があっただなんて、不思議な感じだ。

 おばさんと結婚するために、おじさんも今の遥みたいに必死になって、おばあちゃんや当時まだ生きていた遥のおじいちゃんに頼み込んだってことだろうか。


 こうやって時代は繰り返す。

 月日を経ても、人の営みは変わることはない。


「ああ、もういい。どうでもいい。あれこれ考えるのがばからしくなってきた。結局は、親の思うようにはならないってことだな。何も知らない他人が見れば、隣の息子とうちの娘が一緒になってはいけない理由はどこにもないと言われるのがおちだ。俺が間違っていたのかもしれない。親のエゴだったのかもな。遥。柊のことは、もうおまえに任せたよ。蔵城家のことは何も考えなくていいから。おまえたちのしたいようにすればいい。卒業後、東京で暮らしたけりゃ、そうすればいい。ああ、好きなようにすればいいんだ」


 したいように……すればいい。好きなようにすればいい。

 ほ、本当に? 

 言葉通りに受け止めてもいいのだろうか。


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