34.遥と父さんと その2
「遥……。あ、あなたたち、もう帰ってきたのね。それにしても素早い行動だこと」
おばさんがテーブルの上の自分の手を見ながら落ち着きなく言った。
「おばちゃん、ただいま。そ、その、今朝はごめんなさい。お茶も出さないで……。わたし、とても失礼なことしちゃったなって、後からそう思って……」
朝の失態をあれこれ思い出して、ぎこちない態度になってしまう。
「いいのよ、そんなこと気にしないで。あの状況でお茶をいただくなんて、到底無理な話だし。それに、もっと失礼なことを、このバカ息子がやってるんだから、柊ちゃん、気にしないで」
「おばちゃん……」
「そんなことより、柊ちゃんのご両親になんてお詫びしたらいいのか。私、申し訳なくて、ほんとに心苦しくて……。私も娘を持つ親よ。たとえよく知る相手だとしても、こんなことが明るみに出たら、相手の男に逆上するのはあたりまえのこと」
「そうなんだ……」
だからこそ両親に本当のことが言えなかったのだ。
「今日あったことを、おばあちゃんに話してたの。そしたらどう? おばあちゃん、全部知ってたじゃない。こんな大事なこと、親に何も言わないで、勝手に同棲までして。ほんと、遥には失望したわ」
朝早くから家を出て東京までやって来た挙句、目を覆いたくなるような光景に出くわしてしまったおばさんの疲労は、相当なものなのだろう。
目の下の隈がおばさんの心労をはっきりと物語っている。
「綾子さん、あんたの気持ちはわかるよ。……けどね、この子達、親には言いにくかったんだよ。二人のおかれてる立場がわかってるだけに、簡単には口にできなかったんだろうね」
おばあちゃんがわたしと遥を交互に見ながら、かばうようにそう言ってくれた。
「でも遥も柊も。おまえたちもいけないよ。あれほど先に籍を入れろと言ったのに、どうして今の若い子たちは、手順をきちんと踏めないのかね……」
大学入試前のまだ高校生の時、おばあちゃんにそう言われたのを昨日のことのように思い出す。
籍を入れてから東京へ行けと、確かにそう言われた。
でも、いくらなんでもそれは気が早すぎるといって、遥もあきれていた。
真っ先におばあちゃんに二人のことを知らせたのは間違いだったと、後悔していた。
「ばあちゃん、心配かけてごめん……」
いつもは口の悪い遥も、今夜ばかりは、おばあちゃんには何も言い返さない。
わたしだって同じだ。言い訳するつもりはない。
頭をたれるようにして俯く。
「でもまあ、ちっとも悪い話じゃないんだからね……。二人とも、もう立派な大人なんだし。遥と柊が一緒になってくれれば、それはご先祖様が一番喜んでくれるんだから。これで本当の血縁関係が結ばれることになるし、蔵城家の養子になったおじいちゃんが誰よりも願っていたことだからね。私がいいと言ったんだ。お前たちは堂々としてればいいんだよ」
「おばあちゃん、ありがと。あ、あの……。今ごろ、だけど。おばあちゃん、ただいま……」
そんな間抜けな挨拶をするわたしに、ほんと柊はおもしろい子だねえとおばあちゃんが目を細める。
いつものおばあちゃんだ。目の奥が、きゅっと熱くなった。
遥といえばムスッとしたまま、みんなから離れたところで壁にもたれるようにして膝を立てて座っている。
綾子おばさんとは一瞬たりとも目も合わそうとしない。
すると、希美香が息を切らせ、ドタドタと部屋に駆け込んできた。
「みんな呼んできたから。ねえねえ、あたしもここにいていいでしょ? 母さん、お願い! 」
綾子おばさんは眉をひそめ、ためらいの表情を見せる。
けれど、わたしの横に貼りつくようにして座った希美香を見て、あきらめたようにため息をつき、もう、仕方ないわね、いいわよと頷く。
しばらくすると、わたしの両親と俊介おじさんが厳しい顔つきで部屋に入ってきた。
そして……。
「はるかっ! い、いったいどういうことなんだ! 柊と一緒に暮しているだと? お、おまえってやつは……。俺の納得のいくように、きちんと説明しろっ! 」
真っ先に怒鳴ったのは……。
わたしの父だった。
そんな父の剣幕に一番驚いていたのは、遥の父親である俊介おじさん。
おじさんも怒ってるって聞いていたのに、真っ赤な顔をして怒鳴っている父に圧倒されたのか、逆に恐縮しきった様子でおろおろしているのだ。
ただならぬ父の逆上に遥も覚悟をきめたのだろう。
素早くその場に正座すると、深く頭を下げた。
わたしも遥と同じように頭を下げ、父から下る審判を待った。
「おじちゃん、ごめん……。柊と一緒にいるのは本当なんだ。俺のわがままからこんなことになった。柊は悪くないから……。だから……。俺だけを責めるなり殴るなり、なんでも気の済むようにやってくれたらいい」
遥は膝の下の畳に向かって、搾り出すように声を発した。
父は、乱暴に遥の両肩を掴んで起き上がらせると、シャツの襟首を持って、今にも殴らんばかりに至近距離で遥を睨みつける。
父の目は真っ赤に血走り、額の血管がくっきりと浮き出ていた。
遥はそんな父を真っ直ぐに見て、唇を一文字に引き結ぶ。
決して後ずさることなく、目の前の父に身をゆだね、覚悟を決めているように見えた。
そして、父の怒りに震えた右のこぶしが、今この瞬間にも遥の顔面を直撃しようとしていた。