33.遥と父さんと その1
「はい? ……どなたですか? 」
奥の方から、いかにも懐疑心にまみれた声が聞こえる。
希美香だ。
いつもなら勝手に中まで入っていくのに、今夜は生まれて初めて、おばあちゃんの家の門に設置してあるブザーを押した。
インターフォンでもチャイムでもない。
最近ではめったに押されることのない古びた丸い形のブザーだ。
門の右側のかなり高い位置につけられたブザーは、押すとギシっとした鈍い感触が指先に伝わる。
でも、壊れてはいない。まだまだ現役活躍中の昭和家電だった。
玄関の引き戸を開けて恐る恐る顔を出したのは、やはり遥の妹の希美香だった。
わたしがブザーを押したので、引き戸に近い位置に立っていた遥が先に希美香に見つかってしまった。
「お、お兄ちゃん……。えっ? お姉ちゃんも一緒なの? なんで? やだ、大変だ。かあさーん! お兄ちゃんたちが帰ってきたよーーー」
家の奥に向って希美香が大声で叫ぶ。
そして、もう一度わたしたちの方へ向き直ると、意味ありげに口元をにやっとさせた。
手を腰に当て、さも得意げに胸を張って話し始めるのだ。
「さっき、母さんに聞いたよ……。お兄ちゃんたち、デキテルんだって? それって、ホント? ねえねえ、どうなの? 」
いきなりの先制パンチになすすべもない。
わたしも遥も無言のまま希美香をそっと窺い見ることしか出来ない。
「へへへへ……。やっぱりそうなんだ。なるほどね。実は、あたしさ。前から二人は怪しいと思ってたんだから」
「き、希美ちゃん……」
ここにも関係を見抜いていた人がいたみたいだ。
なんてことだろう。うまく隠し通せていると思っていたのは、当人のみだったというわけだ。
「だってお兄ちゃんとお姉ちゃんったら、時々見つめ合ってるんだもの。二人の邪魔になったら悪いと思って、あたしなりに遠慮してきたんだよ。あたしって、なんてよく出来た妹なんだろ。それにお兄ちゃんのお姉ちゃんスキスキ大好き光線、もうバレバレだし。お姉ちゃん、愛されてるね! 」
希美ちゃん、そんなことないってば……と口に出かかったところで、遥が一歩前に出た。
「希美香。おまえ、いい加減にしろよ……」
凄みのある声で、呻くように希美香をけん制する。
怒りの超大爆発、一歩手前に差し掛かった遥は、威圧的な目で希美香を睨みつけた。
今回の怒り度合いはレベル五くらい。
言っとくけど、最大級だ。
悪いことは言わないから、挑発はそれくらいにしといた方が身のためだよと希美香に目で訴える。
けれど……。
「お姉ちゃん、心配いらないって」
希美香が余裕綽々な顔でそう言った。
そして、兄である遥を真ん前に見据えながら話を続ける。
「あたし、お兄ちゃんの脅しなんて、もう怖くもなんともないもんね。あとでゆっくり、二人の話、聞かせてもらうからさ。ってことで、早く中に入りなよ。さあ、お姉ちゃんも早く」
「う、うん」
わたしは家に入るための一歩がなかなか踏み出せないでいた。
「そうだ……。あのね、先に言っとくけど。父さん……。お兄ちゃんのこと、かなり怒ってるから。そんな風に育てた覚えはないってね。でもね、あたしは二人の味方だからね。まあ、がんばりなよ……」
希美香が声をひそめて教えてくれたその内容は、ああ、やっぱり、というものだったけど、今それを聞かされると、ますます緊張度が高まる。
ご親切にも現況を知らせてくれてありがとうと心の中でひそかに毒づいた。
「希美ちゃん。はい、これ」
これ以上、親たちに会う前に修羅場話を聞かされるのは心臓に悪いので、ここはさっさとおみやげのアイスを渡すに限ると判断した。
「希美ちゃんの好きな、カップアイスもあるからね」
わたしは遥と並んで靴を脱いで、怖々(こわごわ)廊下に足を踏み入れた。
わたしたちの前をとことこと歩きながら袋の中のアイスを物色している希美香も、もう高校三年になる。
わたしと遥のこともすべて理解できる年齢だ。
にしても、わたしたち、本当に見つめ合ったりなんかしたのだろうか。
家族がいるところでそのような振る舞いをした記憶は一切なかったと言い切れる。
それに、遥に冷たく睨まれたことはよくあるけど、スキスキ光線を向けてくれていただなんて、絶対にありえない。
これだけは自信をもって言える。
ってことは……。もしかして、希美香にカマをかけられたのだろうか。
ああ、でも、なんて気が重いんだろう。
おじさんはかなり怒っているらしい。
ならば、わたしの父もそれ相応に、いや予想を大幅に上回る怒りを爆発させているかもしれない。
だめだだめだ。それ以上は今は考えない方がいい。
でないと、ここからすぐにでも逃げ出したくなってしまうではないか。
ますますどこか遠くに雲隠れしたくなる。
遥は、大丈夫だろうか。もう心構えはできているのか……。
わたしの横を歩く遥は、いつもと変わらない。
遥はいつだって、強い。どんな時でも、取り乱したりしない。
遥についていればきっと大丈夫だと、わたしは自分自身に言い聞かせた。
おばあちゃんの部屋に入ると、そこには今朝会ったばかりの綾子おばさんが、おばあちゃんとこたつのテーブルをはさんで、向かい合って座っていた。
「母さん、新婚さんを連れてきたよーー! 」
希美香が大きなアイスの袋を振り回しながら、陽気にそんなことを言う。
「希美香、ふざけるんじゃありません! 」
「んもう、母さんったら頭が固いんだから。別にいいじゃん。どうせ将来、お兄ちゃんとお姉ちゃん、結婚するんだし」
「いいから、あなたは黙って! それより、隣のおじさんとおばさんを呼んできて! 早くっ! 」
ふん、母さんのわからずやと捨て台詞を残し、希美香がどしどしと床を響かせながら部屋を出て行った。