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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 あこがれ
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29.決断の時 その2

「帰る? 帰るって、どこに? 」


 一瞬、不安がよぎる。

 サークルメンバーの誰かの家に身を寄せると決めたのだろうか。

 

「ばあちゃんのいるところ。俺達の生まれたところ……。とっとと帰って、話しつけてこないとな。でないと、今夜にでも親父(おやじ)さん、ここに怒鳴り込んでくるぞ」

「わたしたちの家に帰るの? 」


 遥は確かに実家に帰ると言った。

 けれどまだ不安はぬぐえない。

 彼がここからいなくなってしまうことが怖いのだ。


「ああ。あそこが俺たちの家。俺たちの始まりはあそこなんだ」


 遥がわたしの頬を撫でる。

 さっき泣いたから、きっと涙のあとがついている。

 それに化粧だってまだしていない。

 遥じゃなかったら、誰にも見せられない顔だ。


「俺、生きて東京に戻ってこれるのかな……。お袋の一発もきつかったけど、柊の親父さんのは、あんなのでは済まないだろうな。俺の親父も、どんな態度に出るのか……」


 わたしの目をじっと見ながら、遥が薄っすらと微笑む。

 父は本当に遥を殴るのだろうか。

 でも父ならやりかねない。


 わたしが小学校の低学年の頃だったと思う。

 遥と希美香の三人でかくれんぼをしていて家の屋根に上がったことがあった。

 その時、すごい剣幕の父に引きずり降ろされ、おもいっきり引っ叩かれたのを思い出す。

 落ちたら死んでしまうだろうと怒鳴りながら、目にいっぱい涙を溜めた父が、わたしの頬を叩いたのだ。

 もちろん痛くて悲しくて、その後数日は父が大嫌いになったけど、その時、母が言っていた。

 わたしのことが心配でたまらなかったから叱ったのだと。

 屋根から落ちて命を落とした人は、住んでいる村にも過去にいたらしい。

 母まで真剣な眼差しで、こんこんとわたしを諭す。

 そんな父のことだ。

 遥にも本気でぶつかってくるに違いない。


 わたしはさっきおばさんに叩かれた遥の頬にそっと手を合わせる。

 右に比べると左の頬がまだ赤い。

 遥だけが悪いわけじゃないのに彼がすべての罪を背負ってくれた……。

 一緒に暮らすことを同意した時点で、わたしも同罪のはずだ。

 こうしていると、遥の痛みがわたしの指先を通じて、じんじんと伝わってくるような気がする。


 黙ってこっちを見ている遥と目を合わせる。

 やっぱりわたしはこの人が好きなんだと思う。

 この人の声も、顔も、身体も、そしてもちろん心の中も、全部好きだ。

 そんなに見つめられるとどうしていいかわからなくなる。

 じっとお互いを見ているだけで、どきどきと胸が鳴って、呼吸をするのも苦しくなってしまう。


 すると、遥の頬に触れていたわたしの手にふいに彼の手が重なった。

 遥の顔がすっと目の前に近付いてきて、熱い吐息と共に彼の唇がわたしを覆いつくす。

 たった今、綾子おばさんに一緒にいてはいけないと言われたばかりなのに、二人を乗せた小船は瞬く間に岸壁を離れ、濃密な霧に包まれた大海原へと漕ぎ出してしまった。

 わたしはその小船から降りようとは思わなかった。

 振り落とされないようにしっかりとしがみつき、自らその道を選び取る。

 そんなわたしが意外だったのか、ふと力を緩めた遥が目を細め、何かつぶやいた。

 とても小さな声で。

 とても優しい声で。

 そして、向こうに行こうと言って、隣の寝室へと導かれて行く。

 えっ、何、聞こえないよ、さっき言ったこと、もう一度言って、と頼んだのを最後に、わたしの意識は深い海の底に引きずり込まれていった。 




「柊……。そろそろ行こうか」


 どれくらいそうしていたのだろう。

 遥の身体の下に組み敷かれたまま、乱れたわたしの髪を指ですくようにして、遥が言った。


「そうだね。そろそろ行かなきゃね……。でも、もう少し、こうしていたい。お願い、もう少し……」


 彼の首の後ろに手を回し、しがみつく。

 そして、再び彼の息遣いが荒々しくなっていくのを全身で受け止めていく。

 離れたくなかった。

 ずっとこうして彼に抱かれていたかった。

 けれど。時は止まってはくれない。

 彼とのかけがえのないこの時は、無情にも次第に終わりへと近づいていく。

 おもむろに起き上がった遥に手を引かれて身体を起こし、お互い無言のまま風呂場に向かいシャワーをあびる。

 急いで衣服を身につけ、今日初めての口紅をひいた。


 大きめのボストンバッグを戸袋から出して荷造りをする。

 でも……。二人分の着替えを一緒のバッグに入れるのはよくないのではと思いなおす。

 家で待っている家族たちの気持をこれ以上逆なでするようなことは出来るだけ避けなければならない。

 わたしはふうっとため息をつき、改めて小ぶりなバックを二つ用意した。


(すぐる)に会うのも久しぶりだしな。あいつの好きなアニメの対戦カードを買って、敵地に乗り込むとするか……」


 遥の気持はついに揺らぐことはなかった。

 とうとうわたしが一番恐れていた日が来てしまったのだ。

 遥の決断力の素早さは今に始まったことじゃないけれど、それにしても急な帰省だ。

 バイトはちょうどシフトに組み込まれていなかったからよかったとしても、本当に月曜日までにここに戻ってこられるのだろうか。

 二泊の予定で荷造りをしているが、もし滞在が延びたとしても心配はない。

 向こうにも服くらい、何着かある。

 そう、何も心配することなんて……ない。


 ああ、それにしても気が重い。

 父のことが気になって仕方ない。

 きっと怒ってるだろうな。

 高校の時、髪を少し染めただけでも不良扱いにされたことがある。

 遥と一緒に住んでるなんて言おうものなら、遥だけでなくわたしの命もこの先、生き長らえる補償はどこにもない。

 出て行けーっ、勘当だ! と門前払いされる可能性だってある。


 でもわたしの相手はあの遥だ。

 父も大好きな遥だ。

 案外拍子抜けするくらい喜んでくれるかもしれない。

 いやいや、いくら相手が遥でも、わたしのやったことは許されないこと。

 怒られるのは当然。

 そんなアットホームなドラマの台本が、そう簡単に用意されているとは思えない。


 複雑な気持ちを抱えたまま、わたしと遥は、日が西に傾きかけた頃アパートを出た。

 そしておみやげのお菓子と夕食用の弁当を買って新幹線に乗り込む。

 もちろん卓のカードも袋に入っている。

 もしかしたら母たちも乗っているかもしれないときょろきょろと車内を見回したが、どこにも姿はなかった。

 家で卓が待っているから早目に東京を発ったのだろうか。

 いや、綾子おばさんの実家での用事もそこそこに、二人は大事件の審判を仰ぐため、予定より急いで家に帰ったというのが答えだろう。

 新幹線から降りて在来線に乗り換え、実家の最寄の駅に付いた頃は、もう八時を過ぎていた。

 あたりは真っ暗だ。小さい頃から慣れ親しんだ家までの道のりを真っ直ぐに歩いて行く。

 繋いだ手をぎゅっと握ると、遥が驚いたように目を丸くしてこっちを見た。

 わたしは何があってもこの手は離さないと、心に誓った。

 遥と一緒に生きていくと決めたのだから。


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