27.二人の母 その2
「はるかっ! あなたの言ってることが、世間で通用すると思ってるの? 柊ちゃんと結婚するってことが、どんなことかわかって言ってるの? 」
遥と同じ目をしたおばさんが、いまだかつて見たことのないような取り乱しようで、遥に食ってかかる。
「柊ちゃんは、蔵城家の跡取り娘。遥は朝日万葉堂の跡取り息子。そんな二人が、どうやって結婚生活を築いていけるというの? 柊ちゃんには、将来養子をとって、蔵城家の代々の土地を守る義務があるわ。遥には東京で父の店を助ける義務がある。いい年して、そんなこともわからないの? 」
驚いたのはわたしたちだけではなかった。母があわてて、遥とおばさんの間に入る。
「綾子さん! まあまあ、ちょっと落ち着きなさいよ。あなたの言いたいことはわかったわ。もちろんこの子たちが背負ってる物はいろいろあるけれど。それをするかしないか、選ぶ権利というのも、この子たちは持っていると思うの。幸い私も夫もすこぶる元気だから、まだまだ現役で畑仕事も米作りもがんばれそうだし、柊に頼ろうだなんてこれっぽっちも思ってないわ。この子の選ぶ道を応援してやるのが親の努めだと思ってる。もし二人の気持ちが本物ならば、祝福してやりたいと思うのよ。だめかしら? 」
母は、おばさんの背中をさすりながら、なだめるようにそう言った。
わたしたちのことを認めてくれる母には感謝の気持ちしかない。
綾子おばさんは結婚後も仕事を続けていたので、遥は乳児の頃からうちに預けられていた。
わたしの少し後に生まれた遥は、首が据わって間もなくの頃、先にお座りを始めたわたしと一緒に母とおばあちゃんに育てられたと聞いている。
三才になった時に、わたしは幼稚園へ、遥は保育園に通うようになるまで、自宅で過ごしていたのだ。
母にとって遥は、自分の子どもと同然なのだろう。
どんなに憎まれ口をたたこうとも、母が遥を見つめる瞳は昔と同じで温かい。
「ねえ、綾子さん。この子たちがこうなったのも、自然な成り行きなのかもしれないわね。東京で知り合いも少なくて、お互い頼り合ううちに、心が寄り添ってしまったのかしら。でも、だからと言って、この状況はまずいわね。いくら将来は結婚するって言っても、学生の分際で同棲だなんて……。このまま見過ごすわけにはいかないわ」
「母さん。結果的にはその……わたしたち同居してるんだし、同棲って言われても仕方ないけど。でもね、今までだって同じところに住んでいたし、同じ物を食べて、同じ学校に行って、一緒に勉強して……。東京に出て来てからの方が、いつも遥と離れ離れで、会えない日がほとんどで。わたし、寂しかったの。だから、だから」
「柊の気持ちも、わからないこともないけど……。だからってこんな軽率な行動をしてもいいってことにはならないわ」
母の言い分はもっともだと思う。
学費も住居費用も両親に出してもらっているわたしが、こんな身勝手なことをしていいわけがない。
「おばちゃん、柊は悪くないから。俺がこいつに一緒に住もうって言ったんだ。もう柊と離れて暮すことなんて出来ないんだ」
遥は叩かれた頬をさすりながら、わたしをかばってくれる。
でも遥ときたら、さっきからどさくさに紛れて、とんでもなくわたしを喜ばせるようなことばかり言ってるような気がする。
そのたびに母が、あららーーとか、まあーとか言って目をまるくしているのだ。
わたしだって遥と一緒の気持ちだ。
何があっても、遥とはもう絶対に離れられない。
「はる君。あなたの口からそんな言葉が聞けるなんて、とても信じられないんだけど。今夜は嵐でもくるんじゃないかしら。ねえねえ、ちょっと訊いてもいい? 」
「えっ? な、なに? 」
母の唐突な質問に、遥が怪訝そうに眉を吊り上げ、身構えた。
「いやだ。そんなにびっくりしないでよ。驚いているのはこっちの方なんだから。ねえ、はる君。柊のどこがいいの? 二人が付き合うようになったきっかけは何? いつから? どっちが先に付き合おうって言ったの? 」
「…………」
硬く口を引き結んだままの遥が、ぎょっとしたように母を見た。
「ねえ、教えてちょうだいよ。娘を持った母親として、そこが一番気になるところだもの」
母ときたら、いったい何を言い出すのやら。
今ここでそんな質問をされても、答えられるはずがない。
綾子おばさんだって黙っているけど、きっと心の中は穏やかじゃないはずだ。
でも遥は母の執拗な質問攻撃についに観念したのか、閉ざした口を開き始めた。
「どこがいいって……。今更そんなこと訊かれても……。なんでこいつじゃなきゃだめなのか、俺にもわからなくて……。で、中三の時に俺から柊に言った。その……。将来、結婚しようって……」
遥はさも照れくさそうに何度もため息をついた後、誰もいない壁の方に向き直った。
「ちゅ、中三? ほんとにほんとなの? えらく早いプロポーズだわね。まだ二人とも子どもじゃない! ということは、その時には、もう付き合っていたのよね」
「……いや、そういうわけじゃないけど」
視線を下に落としながら遥が小さな声で答える。
「付き合うと言っても、柊とはいつも一緒だし、その辺の区別はあまりなかったと思う。ただ気持を伝えただけで……」
「まあ、普通そうだわね。だって、中学生だもの。ああ、私って母親失格だわ。本当に全く気付かなかった。柊ったらそんなこと一言も言わないし。まあ、そんなことあるわけないって思ってたから、疑う余地もなかったんだけどね」
「……わたしは、知ってたわ」
突然顔を上げたおばさんが、ゆっくりとわたしと遥の顔を見て、話を続ける。
「高校一年生くらいだったかしら。あなた達の通ってた学校のある駅前のスーパーに行った時、遥と柊ちゃんが一緒に駅に向っているところを見たの。まさか私が普段行かないその店にいるなんて思ってなかったのね。あなたたち、手をつないで歩いていたわ。ぴったりと身体を寄せ合ってね。その後、よく注意してみれば、あなたたちがお互いに想い合っていることはすぐにわかった。だから、東京に出るって聞いた時、一人暮らしをさせたくなかったの。こうなることは目に見えていたから……」
おばさん……。わたしたちのこと、わかっていたんだ。
家と高校はかなり離れていたので、誰も見てない時、遥と手を繋いで歩いたこともあった。
東京に出てくる前に、しきりにおばさんの実家に下宿するよう勧めていたのは、わたしたちの関係に気付いていたからだと今さらながら納得する。
「遥、あなたの気持ちはよくわかった。柊ちゃんのことが本当に好きだってことも。でもね、遥がやったことの責任は重いのよ。親がずっとそばで見張っておくわけにもいかないし、何を言ったところで聞く耳を持たないだろうから、実際問題、何も手立てはないんだけど……。あのね、ひとつだけ言っておきたいことがあるの。柊ちゃんもよく聞いて」
否定とも肯定ともとれるおばさんの言葉にじっと聞き入る。
「もし……。もしもの話だけど。柊ちゃんが、その、妊娠したらどうするの? 言ってることの意味、わかるわよね? 」
「あっ……」
遥が隣で呻くような声を漏らした。
わたしの心臓がドキドキと勝手に鳴り始める。
全身にありえないほどの緊張感が走り、おばさんの目から思わず視線を逸らせてしまった。