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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
特別編1 希美香の恋
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希美香の恋 その37

 いたずらっこで気難しい兄と優しくおっとりした姉が、中学生の時、ここで将来を誓い合ったらしい。

 姉からその話を聞いたとき、声も出ないくらい驚愕したことを思い出す。

 そんな子ども同士が、よくもまあ、結婚の約束なんかをしたものだとあきれたりもしたが、事実は小説よりも奇なりというではないか。

 それにしても、あの兄がどんな顔をして姉にプロポーズしたのか、いまだに想像すらできない。

 その場に立ち会っていなかったのが今でも悔やまれる。


 紆余曲折を経て、二人はその誓いを見事に成就させた。

 今では、人もうらやむほどの仲の良さを見せつけながら、愛情に満ちた暮らしを営んでいる。

 この栗園は、人を幸せにする何かが宿っているのかもしれない。

 ふとそう思った。



「堂野さん」


 景色を眺めていたはずの先輩が突然こちらに視線を向け、改まった声で話しかけてきた。

 希美香はあわてて背筋を伸ばし、はいと答えた。


「あなたとはもう二度と会うことはないだろうと思っていました。けれど先日、あのような形で電車内でお会いして、そして今日もまた、こうやってあなたと一緒にいる」


 希美香は少しどぎまぎしながら指先で草の葉を撫で、そうですね、と相槌を打った。


「まさか、今日まであなたがこちらに滞在しているなんて思ってもみませんでしたから、公園で走っている堂野さんを見た時は、世の中にはよく似た方がいるんだなあと、のん気に構えていました。あなた本人だと気付くのに、随分時間がかかってしまった。あと十秒、気付くのが遅れたら、こうやって話すこともなかったというわけです」

「本当に、おっしゃるとおりです。私だって、まさか先輩がいらっしゃるなんて思いもしないから、音楽聴きながら、ひたすら腕を振って懸命に走っていました。それも、こんなカッコウで……」


 希美香は、今の女子高生なら絶対に見向きもしないであろう流行遅れのトレーニングウェアーを着ている自分が恥ずかしくなり、全身を隠すように腕で身体を抱え、苦笑いを浮かべた。


「着替えも何も持たずに帰って来たのでしょ? それに、運動するのにおしゃれは必要ありませんから。にしても、本当に不思議ですね。仕事熱心なあなたのことだ。翌日には、東京に戻ったのだろうと、勝手にそう思っていましたよ」


 先輩の言い分はよくわかる。本来の自分なら、絶対にそうしていたに違いないからだ。

 こんなに長期間仕事を休むなんてことは、希美香にしてみれば、いまだかつてない大事件だ。


「ふふふ。それには私自身が一番びっくりしているんです。あんなに仕事のことしか考えていなかった私が、職場にも祖父にも無断で家出同然のことをして、欠勤を続けているんですよ。あ、私って、生まれて初めて世の中や家族に反抗してるって、そう思いました。恥ずかしながら、こんな歳になって、やっと反抗期がやってきたみたいです。中学生に逆戻りです」

「タイムスリップですね」

「そんないいものじゃないですって。ただのわがまま娘です」


 先輩と目が合い、思わずくすっと笑ってしまった。

 同じタイムスリップなら、反抗期なんかじゃなくて、先輩と初めて出会った頃の初々しい気持ちに戻ることができればよかったのに。

 あの頃、ちゃんと先輩に告白していれば、もしかしたらバラ色のうきうき学生生活が送れていたかもしれない、なんてね。

 まあ、無理だとは思うけれど……。


「それで、ここで栗拾いをしながら、いっぱいいろいろなことを考えました。これからのこと、朝日万葉堂のこと、そして、私自身のこと。本当にいろんなことを考えました」

「堂野さんにとって、必要な一週間だったのですね……」

「はい。帰って来てよかったです。仕事から離れてみて、自分がどうすればいいのかがはっきりと見えてきました」


 希美香をじっと見ている先輩が、深く頷いた。

 こんな独りよがりな自分の話を真剣に受け止めてくれる人がいるというだけで、希美香は心強くなれる気がした。


「先輩、私……。今夜、東京に戻ります。私、やっぱりあの仕事が好きなんです。粉や餡子の匂いが恋しくて仕方ないんです。そして、堂野希美香として、しっかりと地に足をつけて歩いていくつもりです」


 希美香はきっぱりと言い切った。


「え? それでは、従業員の方々にも、本当のことを? 」

「はい。そのつもりです。頼りなくて、どうしようもなく情けない跡継ぎですけど、祖父に教えを請い、従業員の皆さんの仕事ぶりを見習って、いっぱい経験を重ねていきたいと思っています。もう逃げも隠れもしません。堂々と生きていきます」

「そうですか。あなたらしいな」

「はい。私らしく生きていきたいです。自分らしく……」


 偽名を使っていただけで、直接誰かに危害を加えたり、損失を与えたりしたわけではないけれど、周囲を欺いていたことには変わりない。

 事実を暴露すれば、従業員からはそっぽを向かれ、非難を浴びるだろうことも想定内だ。

 もしかしたら社長である祖父も非難の対象になる可能性がある。

 けれど、時間がかかってでも信頼を取り戻していきたいし、そうするのが自分の務めであるのだとわかっている。

 そして、より一層、厳しく接して欲しいと思う。

 決して、社長の孫としてちやほやされることを望んでいるわけではないからだ。


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