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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
特別編1 希美香の恋
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希美香の恋 その35

 冷たい風が吹き抜ける。

 急に思い立って実家に身を寄せたあの日とはうって変わって、あまりの寒さに首をすくめる。

 誰もいない公園のベンチは、薄着の希美香には少しばかり厳しい環境だった。


 衣類を何も持たずに帰省したため、あの日以来、ほとんど着のみ着のままの日々を過ごしている。

 今は高校時代に愛用していたジャージ姿だ。

 裏地のない薄手のパーカージャケットでは、木枯らしを完全にシャットアウトすることは難しい。

 そうだ、あそこなら暖かいのにと裏山の栗園を思い浮かべる。

 あの丘なら、南側の斜面にきっと日だまりが出来ていて、こんなに寒くはないだろうと思いを馳せる。

 そこに行かなかった自分をほんの少し悔いた。


 ふるさとの地に戻って、もうすぐ一週間だ。

 始めは驚いた顔をしていた両親も、祖母も、そして、隣に住む蔵城家の人々も、希美香を問いただすこともなく、静かに迎え入れてくれた。

 あとでわかったことだが、姉が両親にあらましを伝えてくれていたらしい。

 もし実家に戻ってきたなら、何も言わず、彼女を受け入れて欲しいと、姉が泣きながら母に電話してきたという。

 だからと言って、実家に滞在していて居心地がいいわけではなかった。

 まるで壊れ物に触るかのように気遣う親族に、逆に無愛想に接してしまう自分がいた。

 祖父から希美香の結婚について打診があった時、非常に乗り気だった母は、そのことに責任を感じているのか、誰よりも憔悴しきっているようだった。

 が、もちろん相手が大河内先輩であることは知らされていないようで、好きでもない人と無理に結婚する必要はないからと、的外れなことを言ってなぐさめてくれる。

 そんな中、何かと優しく話しかけてくる祖母には、返事をするのも億劫で、冷たく当たってしまう。

 そして決まって自己嫌悪に陥るのだ。


 工房には体調不良ということで姉から欠勤届けが出され受理されていた。

 今までならば、たとえ三十九度の熱があっても休まなかった希美香にとって、これもまた許しがたいことだった。

 これは、完全に自分勝手な無断欠勤だ。

 結果、主任や他の従業員に多大な迷惑をかけてしまった事実は消せない。

 ただし、この一週間で希美香なりの結論を見出せたと思う。

 今日の夕方には東京に戻る決心もついた。

 祖父にも、そして工房の従業員にも、心から自分の不祥事を詫びて、一からやり直そうと決めたのだ。


 先輩もそろそろ海外へ飛び立った頃だろうか。

 彼の電話番号もメールアドレスも消去してしまったため、こちらから連絡を取ることは不可能だ。

 それでもスマホから目が離せない自分がおかしくなる。

 少なくとも数日間は、同じ故郷の空の下に彼がいたはずなのに、彼からの連絡は何もない。

 当然だ。

 本当にすべてが終わってしまった、ということなのだろう。

 電車で偶然彼と会ったことは、別に赤い糸で結ばれていたわけでも何でもなかったと、皮肉にも証明されたのだ。


 夏祭り会場でもあるこの役場跡地の公園のベンチは、大きく育ったクスノキが周囲を覆い、せっかくの太陽が遮断されてしまう位置にあるため、余計に寒さがこたえるのだろう。

 希美香は立ち上がり大きく伸びをし、軽くランニングを始めた。

 公園内を一周もすれば体が温まるはずだ。

 その後は家に帰り、祖母が作ってくれた栗ご飯と煮物の昼食を食べて、今日こそ東京に戻ろう。

 イヤホンを耳にあて、お気に入りの洋楽を聴きながら、リズムよく走る。

 次第に心が軽やかになる。

 やっぱりふるさとの空気は、どんなに病んだ心も元気にしてくれる魔法の薬だと思った。



「……さん」


 誰かが呼んだような気がした。

 振り返ってみたが誰もいない。

 風が木を揺らせた音なのだろう。

 希美香は気を取り直し再び走り始める。

 あと半周ほどで公園ともさよならだ。

 子どもの頃から走り回っていたこの公園も、今ではあの当時よりぐっと狭くなったように思える。

 公園が伸び縮みするはずもなく、大人になった自分の目線と、木々の成長が、狭くなったなどと錯覚を起させる原因なのかもしれない。


「堂野さん……」


 今度こそ、はっきりと聞こえた。

 誰かが呼んでいる。

 希美香はイヤホンを外し、後を振り返った。





「ほお……。ここが蔵城園、なのですね」


 その人が感嘆のため息と共に、周囲を見回しながらそう言った。


「そうです。まだ少し実が落ちているんです。こっちに帰ってきてからは、ほぼ毎日、残った栗を拾い集めていました」


 希美香はくすっと笑いながら肩をすくめた。

 さっき走っている時に呼び止められたのは、なんとあの大河内先輩だったのだ。

 本当に腰を抜かすほどびっくりした。

 声は上ずるし、あまり走っていないのに息が上がるしで、さんざんな状態だった。


 そして彼が言った。

 明日から旅に出るので、今日は故郷の思い出の地を巡っているのだと。

 彼は蔵城園を見たいとも言った。

 栗を使った朝日万葉堂の和菓子の味が今でも忘れられないとそう言ってくれた。

 希美香は彼を案内し、開ききったススキの穂が揺れる道を歩いて、この小高い丘まで登ってきた。

 やはりここは暖かい。

 緩やかな傾斜にちょうど柔らかい下草が生えそろっている場所が見つかった。

 その日だまりに先輩と並んで腰を下ろした。


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