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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 あこがれ
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26.二人の母 その1

 目を泳がせながら呆然と立ち尽くす母と、床に座り込んでうな垂れる綾子おばさんを台所に残したまま、わたしと遥は大急ぎで顔を洗い、パジャマから普段着に着替えた。

 何も考えられなかった。ひたすら機械的に体を動かし、身なりを整えるのが精一杯だった。

 背中の後方で母のため息が聞こえる。

 その横でおばさんが、どうして、どうしてと震える声で何度もつぶやいていた。


 居間であり、勉強部屋でもある寝室の隣の四畳半の和室に母たちを呼び寄せ、四人で向かい合って座った。

 テーブル代わりのこたつは壁側に寄せたままなので、膝と膝をつき合わせるような格好になった。

 母の顔には少し赤みが戻ってきているが、隣に座る綾子おばさんは、顔面蒼白のまま誰とも目を合わせず、俯き加減で視線を彷徨わせていた。


「突然来るんだな……。電話くらいしろよ」


 胡坐をかいて座る遥は、とてつもなく気まずい空気の中、平然とした面持ちでぬけぬけとそんなことを言う。

 まるで綾子おばさんをたしなめているようでもある。

 でも。遥の言うとおり、せめて三十分前にでも連絡をもらえたなら、このような形での最悪な鉢合わせは避けられたかもしれない。

 遥の引越し先が決まるまで、ベッドを預かってるとでも言えば済む話だ。


「はる君。言葉を返すようだけど……」


 答えたのはおばさんではなく、母だった。


「娘の家に来るのに、いちいち電話しなくちゃいけないのかしら? 私が柊の携帯番号の控えを持ってくるのを忘れてしまってね。だって、私はまだ、携帯は持ってないでしょ? それで、はる君に柊の番号を教えてもらおうと思って、綾子さんに連絡してもらったのよ。でも、はる君の携帯にも繋がらなかった……」


 遥は、ハッとして何かに気付いたようにして立ち上がった。

 そして隣の部屋に行き、ベッドの脇に置いてある昨日はいていたジーンズを手にする。

 ポケットから携帯を取り出し、すぐさま、チッと舌打ちをした。


「充電すんの、忘れてたよ……」


 必要最少限しか携帯を使わない遥は、充電の間隔もわたしよりずっと長い。

 まだ大丈夫だと思っている間に充電切れになることは今回が初めてではない。

 あれほど口を酸っぱくして充電するように言っていたのに。

 なかなか実行してくれない遥にハラハラする毎日だった。


「それじゃあ、はる君。そして柊も。この状況はいったいどういうことなのか、きちんと説明してもらおうかしら。言うまでもないことだけど、あなたたちはもう、五、六歳の小さな子供じゃない。小学校の四年生くらいからは一緒に寝ることもなかったはずよ。そんな二人が同じベッドから起きだして来るってことは、きっとちゃんとした大義名分があるんでしょうね? 」


 母の歯に衣着せぬ物言いは、ますます磨きを掛けて健在だった。


「母さん、ごめん……。遥とは、遥とは……。その……」


 もうごらんの通りですとしか言いようがない。

 取りあえず今は謝ることしか考えられない。

 これがわたしの精一杯の母たちへの誠意の表し方なのだから。

 すると遥がわたしを覗き込み、不思議そうな顔をする。


「柊、なんで謝る? おばさんに何か悪いことでもしたのか? 違うだろ? 」


 そんなこと言われても困る。

 もちろん、直接誰かに迷惑をかけたというわけではないけれど。

 物事の道理というか、道徳というか。

 そういうところが欠けていただろうことは、わたしにだって充分理解できる。

 そして、それぞれの両親にも遥との付き合いを内緒にしていたのだ。

 謝らなければならない材料はいっぱい揃っている。

 それでも遥は怯まなかった。


「おばちゃん。おばちゃんやおじちゃんに何も知らせなかったことは悪かったと思ってる。でも、俺も柊も、遊びや思いつきで一緒にいるんじゃない。真剣に付き合っているんだ。一緒に暮してもうすぐ二ヶ月になる。大学卒業して就職して……。そして、結婚するつもりだ。柊と」


 遥はきっぱりとそう言い切った。

 そして遥を穴が開くほど見つめる母たちがいた。

 どうしたんだろう。涙が勝手にこぼれてくる。

 今は泣いてる場合じゃないというのに。


「そ、そうだったの? はる君がそこまで考えているだなんて、知らなかったから……。でも、結婚まで決めてるんだったら、こうなる前にきちんと話して欲しかったわ。親としては当然の言い分だと思うけど。違うかしら? ただ、あなたたちは仲はいいけど、こういった関係に進展するなんて、全く想像すらできなかったから……」


 母は、本当に何も気付いていなかったんだ。

 わたしは何が何でも二人の関係を隠し通すなんて強い意志はなかったけど、こういうことってとにかくすごく恥ずかしいし、なかなか自分からは言い出せなかった。

 自分自身のことなのに、すべて遥にまかせっきりで、自分からは何も行動を起こさなかったのだ。

 こうなる前に、きちんと筋道を通さなかったわたしが悪い。

 今頃そんな大切なことに気付くだなんて……。

 二十歳になっても中身はまだ子供のままだということを証明したにすぎない。

 本当に情けない話だ。


 でも遥が時々、それとなく二人の関係をアピールしていたように思ったのに、それすらスルーだなんて、わたしたち親子そろって相当マイペースな性格の持ち主なのかもしれない。


「おばちゃん……。どうか俺達のこと、このまま見守っていて欲しい。柊のこと、大事にする。一生守っていくつもりだ。だから……」


 遥が真っ直ぐに母を見て、自分の気持を伝えている。

 いつも甘い言葉は何も言ってくれないけど、こんなにもわたしのことを思っていてくれたんだと改めて気付かされる。

 そんな風に考えるだけで、胸が締め付けられて、とめどなく涙が流れてしまった。


「もう、はる君ったら。知らない間に、こんなにしっかりしちゃって……」


 そう言って、母が涙ぐみ、鼻をすすった時だった。

 パチンと乾いた音が耳をつんざく。

 綾子おばさんが突然遥の前に膝立ちで擦り寄って行き、右手を振り上げて、彼の頬を思いっきり引っ叩いたのだ。


「お、おふくろ……」


 遥も驚きのあまり、目を見開いている。

 綾子おばさんが遥をぶつなんて生まれて初めて見た。

 いや、遥に限らず自分の子供に手を上げたのは、これが初めてではないかと思う。

 すると、おばさんの目から大粒の涙がポトポトとしたたり落ちていく。

 おばさんは涙を拭おうとはせず、叩いた右手を左手で握りしめたまま遥に何か言いたげな視線を向けていた。


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