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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
特別編1 希美香の恋
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希美香の恋 その26

 ここまで言ってしまったのだ。もう先輩の意志が覆ることはないだろう。

 希美香は、大粒の涙をぽたぽたと膝の上に重ねた手の上に落としていた。

 先輩の決断に従うことが、希美香にとっても最善の道なのだと自分に言い聞かせてみても、一向に涙が止まらない。

 お互いが心を寄せ合っていても実らない恋がこんなにも虚しいものだとは、今の今まで知らなかった。


「そうか。私の願いは叶えられんのか。残念だな。君になら、我が社を任せられると思ったのだが……。まあ、これ以上無理強いしてもしょうがない。だが、二人ともお互いが好きなんだろ? 遥と何があったかは知らんが、それと君たちのことは関係ないと思う私は、間違っているのか? 遥も結婚して親になり、随分大人になった。昔のことをいまだに根に持っているとは思えんのだが。遥には何も口出しはさせん。私が君たちを守る。大河内君、それでも、だめなのか? 」

「社長……。本当に申し訳ありません。すべて私の落ち度です。堂野君が私を嫌うのは最もなことなんです。今初めて知りましたが、彼は父親になったのですね。それならば尚のこと、家庭を守るためにも、私を受け入れることは出来ないでしょう。彼は悪くない。もちろん、希美香さんも何も悪くない。悪いのは私です。本当にすみません」


 先輩の背中が小刻みに震えているのがわかる。

 一度は結婚も考えた女性が、違う男性の子どもを産んだと知ったら、誰だって動揺するに違いない。

 先輩のこんな姿を見るのは辛すぎる。


「おじいちゃん。もうこれ以上、大河内先輩に結婚の話を押し付けないで。先輩もお兄ちゃんも、そしてお姉ちゃんも。本当に誰も悪くなんてないの。ただ、ただ……。人の心は、どうすることも出来ないから」


 自分の意志で好きになる人が決められたら、どれだけいいか。

 それができないから人は苦しむのだ。

 いつの間にか、知らないうちに恋に落ちてしまうから、人は傷つく。


「わかった。希美香がそれでいいのなら、私はもう何も言わない。大河内君、まあ、君も男として、越えてはいけない一線というものを持っているのだろう。だが、私はあきらめない。何十年かかってもいい。君の返事を待ち続けるつもりだ。この調子だと、希美香は本当に誰とも結婚しないで、仕事に打ち込むことになると思う。本人がそれでいいというのなら、それもいいだろう。そのうち、遥との間に立ちはだかるしこりがほぐれて、お互い歩み寄れる時がくるかもしれないからな。それと、大河内君、そして希美香。遥と柊は何があっても夫婦の絆を断ち切ることはない。大河内君が希美香とどうなろうが、あの二人は大丈夫だ。君の出現で、遥は一時的に嫉妬に狂うかもしれんが、それも自業自得。一瞬でも柊の手を離してしまったことへの報いだ。だから気にすることはない」


 思いがけない祖父の言葉に、希美香は泣きはらした目を見開き、先輩と顔を見合わせた。


「社長、話しの途中ですが、そろそろ役員会議の時刻が迫っております。会議終了後は、工場視察になっております」


 影武者に徹していた武本がタブレットを覗きながら、淡々と今後のスケジュールを告げる。


「わかった。では、私はこれで」

「社長、本当に申し訳ありませんでした」


 何度も頭を下げる先輩をよそに、厳しい表情をした祖父が立ち上がり、武本と共に社長室から出て行った。



「あの、先輩……」

「あ、蔵野、いや、希美香さんでしたね。そうか、私はあなたの先輩になるんだ……。で、なんでしょうか」


 先輩と二人きりになった部屋には、相変らず重い空気が横たわっていた。


「今日は、祖父があのようなことを言って、本当にすみませんでした」


 家の問題に先輩を巻き込んでしまったことに心が痛む。


「いや、いいですよ。気になさらないで下さい。それに、希美香さんが謝ることじゃない」

「それと。その……」

「何? ああ、もしかして、あのことかな? 」

「あ、はい。偽名を使っていたことです」

「蔵野さん、と名乗っていたことですね」

「はい。先輩を騙すつもりはなかったんです。ただ、仕事の便宜上、そうした方が他の従業員の方も仕事がやりやすいだろうと思って。特別扱いだけは絶対に避けたかった。本当にすみませんでした。ごめんなさい」

「そんなに謝らないで下さい。でもね、あなたらしいやり方だと思います。堂野姓を名乗った方が、厳しい人間関係から解放されることもあるだろうに、それでもあなたは荒波にもまれる道を選んだ。でも、堂野の妹であることだけは先に知っていたかった。そうすれば、こんなに苦しい思いをせずにすんだかもしれません。あ、いや、そんな深刻な顔をしないで下さい。もう二度と恋愛なんかしないと言っておきながら、すぐにあなたに心を奪われてしまった、そんな私が、一番情けないのです。社長は、すべてわかっていらっしゃるようでしたね」

「ええ。兄と姉の絆がどうのこうのとまで言ってましたね。でも私もそこは祖父の意見と同じです。このことが発覚しても、かえってあの二人の絆が強くなるだけのような気もします」

「そうですね。子どもさんもいるみたいですし、あの二人の間に入り込む余地は、もうどこにもありませんよ。それに、あなたのお姉さんの柊さんに対しては、なつかしさは感じると思いますが、昔のような感情はもうどこにもないです。本当に不思議です」


「でも……」

「そうですね……」


 先輩が希美香をじっと見て、ゆっくりと頷いた。

 希美香も彼に呼応するようにこくりと頷く。


 たとえ、彼が姉に対して昔のような感情はなくても、先輩との恋愛は成就させてはいけないのだ。

 先輩も男としてのプライドが決してそれを許さないだろう。

 短すぎる恋の終わりがすぐそこに見えてきたのを、希美香はいやでも受け止めざるを得なかった。


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