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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
特別編1 希美香の恋
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希美香の恋 その20

「希美香、ここに座りなさい」


 仕事から家に帰ると簡単な晩御飯を済ませ、こそこそと風呂場に向かおうとしたのだが、やはり捕まってしまった。

 祖父の不気味なまでに静かな怒りが、希美香の胸にグサッと突き刺さる。


「おじいちゃん、今朝は、その、ごめんなさい」


 とりあえず謝るのが先だ。無断外泊をしたことには変わり無いのだから。


「わしは、おまえのことを信じているからな。もう大人なんだし、細かいことは言いたくない」

「うん……」

「ただし、自由と好き勝手を履き違えるな。おまえのやっていることは、好き勝手だ。無責任な行動だからだ。自由は責任を伴なう。それでだ。今日、おまえの両親にも電話で話したのだが、そろそろ将来のことも考えてはどうかと思っている」

「将来のこと? それなら考えているよ。おじいちゃんが先代から受け継いだ朝日万葉堂をしっかりと守っていくから。それじゃあ、だめなの? 」


 そう決めたから、東京に出てきて修行に励んでいるのだけど。


「いや、それでいい。おまえがそう言ってくれるなら、わしも嬉しいよ。だがな、おまえ一人だけじゃ、そこで終わってしまう。その後は、どうするんだ? 誰に引き継ぐんだ? 」

「それは……。そうだ、卓がいるじゃない。あの子が引き継げばいいと思う。卓は私に似て、和菓子が大好きだし。それに楓もいるよ。ね、いい考えでしょ? 」

「卓や楓が大きくなって、そうしたいと言えば、それもいい。でもそうじゃなくて、もっと根本的なことだ。希美香、結婚のことは、どう考えているんだ? 」

「へ? け、け、結婚? 」


 あまりにも突飛な話に、希美香は目を白黒させた。


「ふむ。結婚だ。おまえももう二十三だ。おばあさんは二十でここに嫁いできた。そろそろおまえも結婚を考えてもいい年頃だろ? 」

「や、やだーーー。おじいちゃんったら、何を言い出すのか。私、結婚なんて、しないよ。だって仕事だけをやり遂げるつもりなんだもの。そんな浮ついた気持ちでは、仕事に身が入らないし……」

「そうだ。そのとおりだ。今のおまえがそうだろ? 浮ついていないと言えるのか? おまえは嘘がつけない。夕べも男と一緒だったんだろ? 朝の電話の時、すぐそばに男がいたはずだ。違うか? TY商事の大河内君と仕事をした後、誰かは知らんが、おまえは男と会っていた」


 祖父がどこか寂しげな目を向けながら、一言一言、かみ締めるように話した。

 先輩と仕事をしていたことはすでに知られていたようだ。

 秘書にでも訊けば、何でもわかるのだろう。


「おじいちゃん……。そんなことない。それは違うよ。会ってたのは、ただの友だちだってば。女の子の友だち。そうそう、一度ここにも遊びに来た、ゆみりんって子。おじいちゃんも知ってるでしょ? 」

「ああ、あの子か。憶えているぞ。礼儀正しい子だったな。けど、おまえはその子と一緒じゃなかった。ずっと希美香を見ていたおじいちゃんは、なぜか、おまえのことがよくわかってしまうんだ。男と付き合うなとは言わない。が、黙って外泊までするとなると、もう放ってはおけないんだよ。遥のことで、おまえもマスコミの怖さを知ったはずだ。朝日万葉堂の跡取りとして、一部財界でもおまえのことがささやかれることがある。専門学校を卒業したあと、いったいどこで修行しているのか、しばしば訊ねられるんだ。すでに工房で働いているとは言えず、わしも困っている。どうだ、そろそろ堂野希美香として世間に公にして、結婚を考えてみないか? おまえが今付き合っている男がいいと言うのなら、それもいいだろう。明日にでもここに連れてきなさい。話がしたい」


 祖父の勘は間違いなく当たっている。

 まさしく大河内先輩と危機一髪のところで、妨害するように電話をかけてきたのも、祖父だった。

 あの電話がなければ、祖父の言うところの男が、先輩になっていた可能性はある。


「おじいちゃん! だから、誰とも付き合っていないって。本当に、彼氏なんていないよ。何なら、探偵でも何でもつけてよ。誰もいないって、証明できるから。何なら携帯だって開示できる。今の私は、仕事のことしか考えられない。時々お兄ちゃんちに行って、楓に会って。お姉ちゃんのおいしい料理をご馳走になって。それだけで、仕事を頑張ろうって、そう思えるんだ。だから、本当に、誰ともつき合ってなんかいないよ」


 そうだ。正真正銘、天に誓って、彼氏はいないと言える。

 大河内先輩とも何もなかった。

 おじいちゃんが心配しているようなことは、全面回避できたと胸を張って言える。


「そこまで言うのなら、おまえの言うことを信じるしかないな。わしも歳を取った。人を見る目が衰えてきたのかもしれん。じゃあ、誰もいないと言うのをそのまま信じるとして……。それならちょうどいい。希美香」

「何? おじいちゃん」

「いい人がいるんだが。その人と会ってみないか? その人なら、希美香のいい結婚相手になると思う」

「うん……って、ちょっと待って! それって、どういうこと? 私に、お見合いをしろとでも? 」

「お見合いとかそんな堅苦しいことじゃない。その人にはこれから話をするつもりだ。まれに見る、いい若者でね。いい話だと思うのだが。どうしてもいやだと言うなら、誰か自分で見つけて来い。いいな」

「そんなあ……」


 祖父の決断はもう覆ることはないだろう。

 言われるがまま、知りもしない相手と結婚しなければならないのだろうか。

 こうなるのがわかっていたなら、無理やりにでも先輩と既成事実を作っておくべきだったと思ってみても、もう遅い。

 ああ、どうして高校生だったあの時、店を継ぐなんて言ってしまったのだろう。

 兄はそこからうまく逃れて、あこがれの職業に就き、子どもの頃からずっと愛している女性を妻にした。

 なのに、自分は会ったことも無い人と結婚をして、跡継ぎを産まなければならないらしい。

 希美香の心はやるせない気持ちでいっぱいになる。

 なのに、涙が一滴も出ないのだ。

 完全に心が乾ききってしまったようだ。


 泣けないまま、そして眠れないまま、希美香はまた次の日の朝を迎えようとしていた。


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