希美香の恋 その9
「誰がくるとも知れない場所で、あなたはあまりにも無防備すぎる。中にはそんな隙を狙って、あなたに危害を与えるやつがいるかもしれない。だから心配なんです」
「そ、そうですか。そうですよね。これから気をつけます」
なんという優しさだろう。
希美香はじぶんを気遣ってくれる大河内が神様のように思える。
が。それはあくまでも仕事上の気遣いである事を忘れてはならない。
「って、いやーー。その心配はあまりないと思うんですけど。いつまでたっても学生と間違えられるし、こんな格好だし」
希美香は自分の服装を見てみる。
ネットで買った長袖のTシャツに綿パン。これは希美香の定番スタイルだ。
男性諸君に襲われるには悲しいくらい肌の露出もないし、髪はひとつにまとめてゴムでくくり、メイクはここ数年まともにしたことがない。
兄のようにくっきりとした二重瞼でもないし、姉のような表情豊かな瞳も持っていない。
ミス何とかに選ばれた母から生まれたとは到底思えないくらい、ごく普通の顔立ちをした二十三歳だ。
「何を言ってるのですか。蔵野さんは、自分のことを少しもわかってないのですね」
「そんなことないです。自分のことはよくわかってるつもりです。ナンパとかもほとんどされたことないし、世の男性だって、ちゃんと人を選びますよ」
「蔵野さん……。まあ、それはさておいて、とにかく気をつけてください」
先輩は厳しい顔でさらに念を押すように言った。
「は、はい。わかり……ました」
「ああ、すみません。蔵野さん、そんなに怯えないでください。差し出がましいことを言ってしまって、本当にすみません」
希美香があまりにもか細い声で返事をしたものだから、今度は先輩が気弱な態度になる。
「いえ、そんなこと。そんな風に心配してくださって、その、ちょっと嬉しかったです」
そうだ。こんな初対面に近い相手にそこまで気遣ってくれるなんて、なかなか出来ないことだ。
「これから蔵野さんとは、一緒に仕事をしていかなければなりません。そんな大切な仕事のパートナーに何かあっては困りますから」
「あ……。そうですね。ははは、はははは……」
全くその通りだと思う。
大河内先輩が、仕事以外の理由で希美香を気遣う理由などどこにもないのだから。
やっぱり思った通りだったのだ。
こんな風に年の近い男性に思いやってもらうことなどほとんどなかった希美香は、少し舞い上がっていたのかもしれない。
「なんだか、不思議なんですよね」
大河内先輩が突然声のトーンを下げ、誰もいない公園を眺めながら言った。
「どうしたのですか? 」
少し心配になった希美香は、彼の横顔をそっと伺い見た。
「蔵野さんとは、まだ今日で会うのは二回目ですよね。なのに、なぜかあなたに親しみを感じてしまう。あ、いや、変な意味じゃないです。なので、誤解なさらないでくださいね。なんていうのか、あまり身構えず自然体で話せるんです。前にも言いましたが、どこかなつかしい感じがして……。仕事以外でお会いしたことなどないのに、本当に不思議で。あなたみたいな人は初めてだ」
「そ、そうですか。私って、変わってるのかな? というか、それって、不思議ですね」
大河内先輩は希美香のことを、ただ意識下になかっただけで、実際中学時代の一年間は何度も出会っている。
入学後の対面式で、新入生代表の挨拶を任された時も、生徒会室で彼に直々に文面の指導を受けたことがある。
先輩の言うことはあながち間違ってはいないだけに、希美香の心臓がドキッと跳ねる。
いや、もちろんそれは、恋のときめきなどとは程遠く、先輩の同級生の妹であることがバレたのではないかと、ビクついている方のドキドキ感だ。
「あ、そろそろ工房に戻らなくては……」
希美香はこの場のいたたまれない空気から逃れるために、ちょうどいい理由を見つけ出し、立ち上がった。
「そのことですが。さっき、ここに来る前に管理主任にお会いして、このあと、蔵野さんと今後のことについて策を練るということであなたと行動する許可をもらいました。まことに勝手な申し出なのですが、この後、ちょっと一緒に行って欲しいところがありまして」
「えっ? どこですか? 」
「そうですね、ここからは少しだけ時間がかかりますが。でも、今日中にはちゃんとご自宅までお送りいたしますので、ご同行願えますでしょうか」
「あ、はい。わかりました。じゃあ、カバンを取ってきます」
「そうしてください。じゃあ、もう一度管理主任にご挨拶をして、それから行きましょう」
いったいどこに行くというのだろう。
でもこれも仕事の一環だと言うのなら、拒む理由はない。
希美香は大河内先輩の頼もしく、それでいてどこか寂しそうな後姿を見ながら、工房へと戻って行った。