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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
特別編1 希美香の恋
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希美香の恋 その5

 涼しい風が心地よく吹き抜ける秋の午後、希美香は少し遅めの昼の休憩を取っていた。

 もうこれ以上、前橋とトラブルを起したくなかったので、休憩室をこっそり抜け出し、工房近くの公園のベンチに座って、いつものように楓の写真を眺めていた。


 夕べは結局、楓に会えなかった。

 船瀬に指示された作業をこなし、仕事を終えて祖父母の住む家に帰りついたのは十一時ごろ。

 シャワーを浴びて、すぐに布団にもぐりこみ、朝五時には家を出た。

 工房に一番乗りをして準備作業に入るのは、入社した時から続く希美香のごくあたりまえの日課だ。

 工房には、姉夫婦の家に同居させてもらっていると届けている。

 兄の名を出そうものならすぐにでも社長の孫であることがばれてしまうので、口が裂けてもそれは言えない。

 あくまでも姉と姉妹であるという設定で認知されている。

 誰も希美香の家族のことにまで興味はないのか、姉やその伴侶についてあれこれ訊かれることもなく、助かっている。

 実際寝泊りしているのは祖父母宅なのだが、幸い、兄夫婦の家と祖父母宅が同じ沿線上にあるので、今のところ疑われずにすんでいるのだ。


 この小さな公園には、希美香とボール遊びをしている一組の親子がいるだけだった。

 誰にも邪魔されないこの場所で、ゆっくりと楓の写真を見て過ごせるのは思いのほか快適で、なぜ今までこの方法を思いつかなかったのか、不思議なくらいだった。


 ところが、木の影にいるにもかかわらず、外で液晶画面を眺めるのにはテクニックがいる。

 周囲が明るすぎて画面が見にくいため、ああでもないこうでもないと腕を伸ばしたり顔に近づけたりして、ちょうどいい角度を見つけなくてはいけない。

 やっと見やすい位置をキープして、画面に現れた楓の笑顔に癒されていると、突然誰かの声が耳に入ってきた。

 ボール遊びをしていた母親のようだ。


「すみません! ボールが……」


 そう言いながら、母親が子どもと共に、希美香の前に駆け寄ってくる。

 すると転がって来た青いボールが希美香の足に当たり、これまた運悪く、そのまま道路に跳ねて、飛んで行ってしまったのだ。


「あ……」


 母親と子どもが呆然と立ちすくみ、ボールの行方を目で追っている。

 そして突然、子どもがボールを目指して走り出そうとした時、希美香が立ち上がり、その子を引き止めた。


「ちょ、ちょっと! 道路に行ったら、危ないよ。待ってて、お姉ちゃんが取りに行ってあげるからね」


 スマホをポケットに入れ、希美香が自慢の足を駆使して走り出した。

 そうなのだ。

 実家の坂道で鍛えられたせいなのか、昔から走ることだけは誰にも負けない自信があった。

 運動会の徒競走では、一度も首位を譲ったことがない。


 男性顔負けの跳躍力でベンチを飛び越え、植え込みも幅の広い溝も何のその。

 瞬く間にまたぎ越し、道路の向こう側の歩道にたどり着いた、と思ったのだが……。

 どこからか別の人が走ってきて、希美香の目の前でそのボールを拾い上げたのだ。


「はい、これ」

「あ、ありがとう、ございます」


 見知らぬ人からボールを受け取った希美香は、先を越されたことに少し悔しい気持ちになりながらも、母親と子どものいるところに急いで戻り、ボールを手渡した。


「はい、ボールだよ」


 すると男の子が嬉しそうにそれを受け取った。


「ありがとうございます」


 母親がうやうやしく頭を下げ、子どもにも、お姉ちゃんにありがとうは、とうながす。


「おねえちゃん、ありがと」


 男の子は恥ずかしそうにそう言って、ボールを抱えたまま、母親の後ろに隠れてしまった。


「ホントに、この子ったら……。じゃあ、もう帰ろっか。本当にありがとうございました」


 母親がもう一度希美香に礼を言い、何度も希美香の方に振り返る子どもの手を引いて、帰って行った。

 その時母親が、道路の方に向かってまたもや頭を下げていた。

 再びベンチに座った希美香の位置からは見えないが、ボールを拾ってくれた男性がいたのかもしれない。

 そして親子の姿が視界から消えたと同時に、希美香の左横から誰かの声がした。


「あのう、すみませんが……」


 ふと見てみると、さっきの人だった。

 ボールを追いかけた時、先を越されたあの人だ。


「隣、座ってもいいですか? 」


 ボールを受け取った時は気付かなかったが、とても優しそうな目をした人が遠慮がちに希美香に(たず)ねる。

 声はそんなに低いわけでもなく、甘い響きが希美香をふんわりと包みこんだ。


「あ……。ど、どうぞ。座ってください」


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