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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第七章 あかし
223/269

223.こんぺいとう その2

 ゆっくり、ゆっくりと、すすきが揺れる道を登って行く。

 大丈夫かと遥が訊く。

 大丈夫だよとわたしが答える。


 またゆっくりと登って行く。

 もう少しだよと遥が言う。

 そうだね、もう少しだねとわたしが言う。


 ようやく視界が開けたところに出ると、さっきまで冷たく感じていた西よりの風がピタリと止み、そこだけまるで春の陽だまりのような暖かさで、わたしたちを迎え入れてくれた。

 町並みを見下ろすと、あちこちに建物が増え、町が発展していくさまが手に取るようにわかる。

 遠くにはミニチュアのような電車が西から東に、東から西へと動いているのが見える。

 おぼろげに映る中学校の屋上の給水タンクは昔の形のままそこにあった。

 市民会館やスーパーの立体駐車場も見える。

 その向こうにあるのは図書館だ。


 帰国後始めた図書館のバイトも休まずに行っている。

 妊娠が発覚してからのバイトは、さすがに図書館側にとっては迷惑ではないかと考え、断りの電話を入れた。

 ところが新しく就任した女性の館長が、別に何も不都合はないので体調さえ良ければ働いて下さいと背中を押してくれ、今日に至っている。

 英語のスキルを生かして、原語で読む絵本や小説というセミナーもまかされ、充実した日々を送っているのだ。

 混乱を避けるため、出勤初日から堂野柊として届け出ていたので、初めのうちは堂野さんと呼ばれても、すぐに返事が出来なくて、皆に冷やかされたりもした。

 人の噂も七十五日とはよく言ったもので、堂野と名乗っても相手が遥だと気付く人は少なく、今のところ支障はない。

 ただ一人、学生アルバイトの女の子から、もしかしてご主人はモデルだった堂野遥さんの兄弟か親戚ですか? と聞かれて、本人だと答えたら、目を白黒させて卒倒寸前になったことはあった。

 彼女は遥のファンだったらしい。

 悪いとは思いながらも家の近くまで押しかけて、遥にそっくりな小さな男の子に、お姉ちゃんあそぼ、と誘われて逃げ帰ったことがあったとも。

 多分、その子は卓だ。


 土日の出勤日には、東京から戻ってきている遥が車で送迎してくれることもあり、すでに孫もいる館長を始め、学生時代から世話になっている江島さんや卒倒予備軍のアルバイトの女の子が、一目でもいいから遥に会いたいと、タイミングを計って駐車場で待機しているのだ。

 表向きは、妊娠中のわたしの体調を気遣って、駐車場まで迎えに来てくれているということらしい。

 普通、アルバイトの人間をそんなに丁重に出迎えることなんて絶対にありえないことだ。

 遥のモデルオーラはいまだ健在らしく、彼を見た時の三人の目は完全にハートマークになっている。

 三人とも百パーセント遥の方だけを見て、おはようございますとピカピカの笑顔を向ける。

 おはようございます、いつもうちのがお世話になっています、と遥が答えると、三人はくらげのようにふにゃっと上体を揺らし、もにょもにょと言葉にならない返事をして、遥の車が見えなくなるまで手を振っているのだ。


 男性として、決して悪い気はしないのだろう。

 照れたような笑顔を浮かべそそくさと帰って行く遥に、浮ついた気持ちがないのはわかっている。

 けれど、見送る三人に嫉妬してしまいそうになる自分がいて少し焦った。 



 次の検診で、赤ちゃんの性別がわかるらしい。

 遥も仕事の都合をつけて、一緒に病院に行くぞとはりきっている。

 わたしは男の子でも女の子でもどっちでもいいと思っている。

 遥は絶対に女の子がいいと言う。

 男の子は自分と卓でもう充分だそうだ。

 じじ達の目指せ巨人の星には付き合ってられないとも……。


 そして女の子だと確信している遥は、この子は絶対嫁にやらないと宣言しているのだ。

 勝手なもので、自分がわたしと結婚したことは完全に棚に上げている。

 それとこれは別物らしい。

 今となれば、父の気持ちが痛いほどわかるとも言っている。

 性別はおろか、まだ見たこともない子供でさえそんなに心配なのだから、生まれてきて自分の手に抱いたとたん、どんな親バカぶりを発揮するのかは、言わずもがな……だ。

 本当に先が思いやられる。



 遥に手を引かれ、やっと栗の木のそばまでやって来た。

 足元には黄緑色のイガがいっぱい落ちている。

 見上げると、木にもまだたくさん付いている。

 おばあちゃんの言ったとおり、今年は豊作の年に当たるようだ。


「柊。さあ、ここに座って。俺はまず、この辺の栗を拾うから」


 遥のお父さんが新たに作ってくれた木製のベンチに腰掛け、身体を休める。

 遥は慣れた手つきで、トングのような柄の長いハサミを使い、足で押さえて開いたイガから中の実を取り出す。

 持ってきたバケツの中は、少し産毛のついた採れたての栗で、すぐにいっぱいになった。

 さすが子供の頃からやっているだけのことはある。

 彼に無駄な動きはない。

 屈めていた腰を伸ばし、空を仰ぎながら遥がつぶやいた。


「来年は三人でここに来れるかもしれないな」


 わたしは、お腹に手を当てて優しく撫でたあと、静かに頷いた。

 そんな日が来るなんて、夢みたいだ。


「十年前、俺はここで柊にプロポーズした。憶えているか? 」 


 わたしも今、同じことを考えていた。

 忘れるはずがない、あの日のことは……。

 遥がわたしの隣に腰を下ろした。


「俺達、まだ、中学三年生だったな」

「そうだね。十五歳、だったよね」


 好きという気持ちの先に何があるのかなんて、想像すらできなかった幼いわたしたち。

 わけもわからないまま、遥と結婚の約束をしたのだ。


 でも友だちや親に知られたら大変なことになるだろうということだけは、本能的に感じ取っていた。

 オトナの世界に身体半分だけ入り込んだような、背伸びをした自分がそこにいたのを思い出す。


「でもな、俺は真剣だったんだ。世間は中三なんてまだ子どもだと言うかもしれないけど、今と変わらないくらい真面目に柊との将来を考えていた。柊からも俺のことが好きだと言われて、どれだけ嬉しかったかわかるか? 」


 わたしからもって……。

 遥はその当時、わたしのことを好きだなんて一度も言ってくれなかったはずだ。

 柊が俺を好きなら、その話乗った、とかなんとか調子のいいことを言ってたような気がする。

 それでも嬉しかった。

 遥に嫌われていないとわかっただけでも、とても幸せな気持ちだったのを憶えている。


 ふいに、ひざの上にあるわたしの手に遥の手が重なった。

 そしてぎゅっと握ってくる。

 わたしもぎゅっと握り返した。


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