221.特別編 まさか…… その4
本当に今まで何も気付かなかったし、何も知らなかった。
娘の柊と隣の息子が恋仲になるなんて、誰が想像しただろう。
二人が信頼し合っているのは知っている。
それは家族のような仲の良さだと、ずっと信じて疑わなかった。
ところが綾子さんは、二人が高校生の時に、すでに家とは違う顔を持ってお互いに寄り添っていることを知っていたという。
でもそんな感情もそう長くは続かないだろうし、大学に通いだしたあと、それぞれに多忙であまり接点を持っていない様子から、もう熱も冷めたのだろうと楽観視していた結果がこのありさまだと、すっかり元気を失くしてしまった。
綾子さんの実家に向かう途中も、帰りの新幹線の中でも、彼女は自分の息子の不始末を詫び続けていた。
こうなる前にどうして防げなかったのだろうと時折り涙ぐみながらぽつぽつと語る。
「綾子さん、そんなに自分を責めないで。何もはる君が無理やり柊に乱暴したとか言うんじゃないんだし。柊が同意しないかぎり、はる君は無理強いするような子じゃないわ。ね、そうでしょ? 」
「そうね。そうだと思う。でも、いくらそうだからって、やっていいことと悪いことがあるわ。遥の方が積極的に柊ちゃんに同居を迫ったのだとしたら、柊ちゃんも断りきれなかったのかもしれないし」
「たとえはる君が強引だったとしても、柊がそれで辛い毎日を過ごしていたのなら、あんなに楽しそうな電話をかけてきたりなんかしないはず。今になって思えば、この二ヶ月くらい、それはそれは明るい声で、大学も楽しいし、バイトも順調だと言ってはしゃいでいたのよ。はる君のことも、よく話題に上っていたのよね。私が送った野菜を使って料理をしたら、はる君も喜んで食べてくれたとか、彼の好きな炊き込みご飯の材料にするから、山菜も送って欲しい、とかね。よく考えてみれば、それって、二人が一緒にいる時間が多いってことなのにね。何も疑問に思わなかった。どうしてそんな大事なことに気付かなかったのかしら……。私って、本当に鈍感っていうか、おめでたいっていうか」
今ならわかる。柊の嬉しそうな声の背景には、はる君の存在が隠れていたのだと。
「お姉さんが気付かないのは当然よ。あの二人、私たちの前ではほぼ完璧に仮面をかぶっていたもの。私が二人の関係に疑問を持った時点で、解決していればこんなことにならなかったのに……。本当にごめんなさい。これで二人が別れてくれればいいんだけど、だからって、この事実が消えるわけじゃない。柊ちゃんの将来の旦那さんになる人に、遥との同棲が知られたりしたら……とか考えたら、もうどうしたらいいのか」
綾子さんが憔悴しきった顔を両手で覆った。
「綾子さん。そんな心配はその時になってからすればいいのよ。昔と違って、今の若い子たちは誰でも、多かれ少なかれ結婚までにいろいろあるんじゃないかしら」
若い人全員がそうだとは言わないが、私が青春を謳歌していた時代とは明らかに価値観が変わっていると感じる。
「でも遥と柊ちゃんは全くの他人というわけでもないし、それぞれが所帯を持ったあともお互いの交流は避けられない。顔を合わせるたび、過去を思い出すだろうし、それぞれの伴侶に気付かれるのも時間の問題で……」
「そうね。綾子さんの言うとおりだわ。じゃあ、無理やり別れさせる必要はないんじゃない? そんなことしたら、ますます二人は意地になって親に反抗するんじゃないかしら。ここは二人の気が済むまで放っておくのがいいような気がするの。綾子さん、あのね、娘が一人の男性に認められ、そして愛されているのなら、それは親としてこの上ない喜びだと思うの。はる君のあの真剣な顔。ああ、本当に柊のことを愛してくれているんだなって、そう思ったわ。私、嬉しかったのよ」
娘の幸せを願わない親はいない。ましてやその成長をずっと見てきたとても身近な青年にここまで愛されて、他に何を望むというのだろう。
綾子さんが二人に向かって、話しにくいあのことまで言及してくれたことにも感謝している。
もし妊娠したら、というあの話だ。
深い仲になっている男女なら誰しもそこからは逃れられない。
こんな時に不謹慎かもしれないけど、どういうわけか、二人の子どもに会ってみたい、そんな感情がふつふつと湧いてくるのだ。
今の綾子さんには、とてもじゃないけど話せる内容ではないが……。
でももし神様が二人に授けて下さるのなら、是非ともこの腕に抱いてみたい。
その子の名前を呼んでみたいし、その子のぷっくりとした小さな手を優しく握ってみたい。
そして、その子が育っていくさまをずっと見守っていきたい。
そんな気持ちが溢れてくる自分に、私自身が一番驚いている。
が、しかし。
その前に立ちはだかる壁はとても強じんで、簡単には打ち破れないこともわかっている。
「お姉さん……。でも遥は、堂野家の跡取りでもあるし。柊ちゃんは蔵城家の……」
「そうよね。問題はそこなのよね。ほんと、どうしたらいいのか……」
「やっぱりあの二人には、同じ道を歩むためのレールは用意されてないと思うの。でもね、お姉さん。矛盾するんだけど、遥が柊ちゃんを、その、好きだと思う気持ちは、それはわかる気がするのよね。もし私が遥だったら、やっぱり柊ちゃんを好きになるような気がする。素直で、正直で、明るくて。時に怒ったり、悲しんだり。人間らしい魅力に溢れた柊ちゃんは、きっと遥の心を捉えて離さないんだと思う。放っておけないんだと思う。彼女を嫌いになる理由は、どこにもないのよ」
「柊のこと、そんな風に思ってくれていただなんて……。綾子さん、ありがとう。なんか目の奥が熱くなっちゃうじゃない。親って、自分の子どもの事をわかっているようで、実際何もわかってないのよね。もっとこうなって欲しいって、ついつい子どもにあれこれ期待してしまうばかりで、ありのままの姿を認めてあげることがおろそかになる。あの子なりに成長してくれたんだと思うと、どんなことをしてでも、幸せになって欲しいって、思うのよね。ねえ、綾子さん、人が人を好きになるのって、実は何も理由なんてないのかもしれない。柊もはる君も、生まれた時からこうなる運命だったのかもって、ふとそう思ったのだけど。ああ、それにしても困ったわ。どうしたらいいのかしら」
何も答えが出ないまま、どんどん東京から遠ざかっていく。
この後、夫や綾子さんの家族にもこのことを話さなければならないのだ。
果たして娘の幸せが叶う道はこの先にあるのだろうか。
次第に夕闇に包まれて行く窓の外の景色に視線をさまよわせる。
私はやるせない気持ちを胸に抱えながら、大きなため息をひとつ吐いた。