218.特別編 まさか…… その1
続こんぺいとう読んでいただきありがとうございます。
二人が長い時を越えて、やっと結ばれることになりました。
最終話を前に、母親たちの思いを書いてみましたので、読んでいただけると嬉しいです。
それは、柊、遥が大学二年の初夏の出来事でした。
何も知らない二人の母親が上京して、一人暮らしの柊のアパートに向かいます。
柊の母親視点の物語になります。
「お姉さん、そろそろ行きましょうか? 」
玄関の戸が開き、綾子さんの声が聞こえた。
今日は東京の綾子さんの実家に一緒に出向く予定になっている。
というのも、綾子さんとは血縁こそないものの、堂野家は私の母方の親戚でもあるため、声がかかればこうやって一緒に訪問することもある。
綾子さんとも懇意にしている私の従妹が、堂野家に滞在しているとの連絡を受け会いに行くのだ。
従妹の規子とは少し年が離れているが、親同士の家が近かったのもあり、子どもの頃から仲がよかった。
このたび彼女の夫の転勤に伴ない、アメリカに渡るという。
今回の転勤は長期間になるとも聞いている。
商社マンの妻は大変だ。
けれど、英語も堪能な規子なら大丈夫だろう。
私は久しぶりに会う従妹との再会に、年がいもなくウキウキと心をはずませていた。
「はーーい。綾子さん、すぐに行くわ。ちょっと待ってね」
玄関先で待ってくれている綾子さんに声をかける。
今朝、綾子さんの義母でもある夫の叔母から預かった保存容器をビニール袋に入れ、カバンにしまった。
娘の柊の大好物なのだ。
叔母の作った、このきゅうりの味噌漬けが……。
準備も整い、両手にいっぱいの荷物と共に家を出た。
娘の顔も見られる。そして従妹にも会える、と最高に浮き足立っている私がいた。
そう、東京で一人暮らしをしているは(・)ず(・)の娘に会うまでは……。
予定より少し早めに着いた私たちは、駅のホームで新幹線が来るのを待っていた。
「ねえ、お姉さん。柊ちゃんの今日の講義は午後からって言うことだけど、大丈夫かしら? 」
綾子さんが心配そうに訊ねる。
「ええ、多分ね。金曜日は午後からって言ってたような。あれ? 木曜日だったかしら……。あら。どうしましょ。私ったら、最近忘れっぽくなっちゃって。ちょっと待って。悪いけど、柊の携帯に電話してみてくれる? えっと、番号のメモは……」
私はまだ携帯を持っていない。
ほとんど家にいるわけだし、そんなもの必要ないと思っていた。
なくても充分生活が成り立っていたからだ。
ところが、娘が東京で一人暮らしをするようになってから、携帯があった方が便利かも、と思える場面が増えてきたような気がする。
機器の扱いが苦手だなんて言ってる場合じゃない。
そろそろ本気で携帯の購入を考えた方がいいのかもしれない。
身内の携帯番号や固定電話の番号を書きとめている小さな手帳を、カバンの中に手を入れて、ごそごそと探してみる。
母の日のプレゼントだと言って、中学生になったばかりの娘がくれたピンクのかわいい手帳だ。
ところが、だ。
見つからない。どこにもないのだ。
いくら探しても手帳は出てこない。
しまった。
いつも持ち歩いているバッグでは小さいので、今日は別のカバンを持って来ている。
手帳は、いつものバッグに入れたままだというとんでもない事実に今頃気付いたのだ。
「綾子さん。ごめんなさい。私、番号を控えてある手帳を、家に忘れてきたみたい。どうしよう……」
心配そうに一緒にカバンを覗き込んでくれていた綾子さんに、私のいたらなさを詫びる。
最近、忘れ物が多くなった気がする。
まだまだ人生は長いのだ。少し気持ちを引き締めなければいけない。
それもこれも、手塩にかけて育てた娘が大学進学を期に独立し、子どもに手がかからなくなったことが、理由のひとつなのかもしれない。
要するに、平和すぎるのだ。
なんと幸せなことだろう。
「お姉さん、大丈夫よ。私の携帯に、柊ちゃんの番号も登録してるはずだから……」
そう言って、綾子さんが自分の携帯を操作し始めた。
「えっと、これでもない、これかな? あら? ないわ……。おかしいわね。そんなはずないのに。まだ登録してなかったのかしら」
こういった時、不思議と困りごとが重なるものだ。
そもそもは、私が手帳を忘れたのが事の発端なのだから、綾子さんは何も悪くない。
「綾子さん、ホントにごめんね。まあ、連絡取れなくても大丈夫よ。あの子のアパートの鍵も持ってるし、留守なら荷物だけ置いてくればいいんだし」
「そうね。なら、そうしましょうか……。あっ、そうだわ。いいこと思いついた。遥に電話して、柊ちゃんの番号を聞いてみるのはどうかしら」
「あら、それ、いいわね。ふふふ。なんでそんな簡単なことに気付かなかったのかしら。あの二人ならなんでも情報交換してそうだし」
私はいつも思っていることをそのまま言っただけなのに、彼女が気を悪くするようなことを口走ってしまったのだろうか?
なぜか綾子さんの表情が、一瞬、カチッと固まったように見えた。
「あっ、ごめんなさい。私ったら、何ぼーっとしてるんだろ。そうよね、あの二人ならいろいろ連絡取り合ってるわね……。えっと、遥の番号は」
すぐに普段どおりの笑顔を見せてくれた綾子さんが、彼女の息子のはる君に電話をかけてくれた。
別に何も気を悪くした様子もないようなので、安心した。
私の思い違いだったようだ。
「あら? どうしたのかしら」
綾子さんが自分の手の中の携帯をじっと見たあと、もう一度それを耳にあてた。
応答がないのだろうか。
「どうしたの? はる君、出ない? 」
不思議に思った私は、綾子さんに訊ねる。
「ええ、繋がらないの。電源が切られてる可能性がありますってアナウンスが流れてるわ。もう一度、かけてみるわね」
何度も電話をかけてくれたのだけど、ついにはる君が電話口に出ることはなかった。
どこかに出かけているのかもしれない。
あるいは、大学の構内で電源を切っている可能性だってある。
「仕方ないわね」
「そうね。東京に着いたら、また改めて電話してみる……」
わたしは綾子さんと顔を見合わせ、あきらめのため息をひとつ吐いた。
そして、荷物を両手でしっかりと持って、ようやくホームに到着した新幹線に乗り込んだ。