216.俺を見くびるなよ その1
その日の夜は、わたしの部屋で遥と一緒に過ごした。
ここで二人で並んで寝るなんて、本当に何年ぶりだろう。
最後に彼が泊まったのは、小学生の頃だったから、もう十五年くらいは経っているのかもしれない。
もちろんその頃はまだお互いに子どもで、頼みもしないプロレスごっこや幽霊話に、わたしと希美香が痛みと恐怖で泣き叫んだ挙句、父に一喝されて仕方なく寝るといった、わけのわからない泊まりごっこを、幾度となく繰り返していた。
わたしと遥のことを、頭では理解していても、現実の状況は全く受け入れられない父は、なんで遥が柊の部屋で寝るんだ! と、夕食後、ずっと母に突っかかっていた。
夫婦が一緒にいるのはあたりまえでしょう、と言う母のもっともな一言で、しぶしぶ黙った父だったが、その顔には、大きく不満の二文字が浮き出ているようだった。
そもそも晩酌が終わる頃から、父の機嫌が悪くなっているのにすでに気付いていた。
他の女と婚約までしていた男を、今さら信じられるか! などと怒鳴ってわたしを困らせるのだ……。
それを言われると、何も言い返せない遥は、ひたすら耐えて父の怒りが冷めるのを待つ。
父には言っていないが、わたしだって大河内のプロポーズを受けた身だ。
遥の親から見れば、他の男と結婚まで決めていた信じられない女、ということになる。
以前にもまして感情の起伏が激しくなった父だが、遥と二人でお酒を酌み交わしている最中は、そんなに関係が悪化しているようには見えなかった。
スタートラインにもどっただけだ。
また少しずつ歩み寄っていけばいいと、決して父から逃げず真正面から向き合おうとする遥が、とてつもなく大人に見えた。
隣に寝ている遥と顔を見合わせながら、今一日の出来事を振り返る。
長い一日だった。
子どもができたことを喜び合ったのも束の間、結婚という儀式にまつわる様々な話し合いが持たれ、家族の気持ちも汲んだ上で、わたしと遥の未来が徐々に具体化していった。
時々襲ってくる睡魔に立ち向かいながらも、今夜一晩しか泊まれない遥とは、まだまだ話し合っておかなければならないことがいっぱいある。
はっきり言って、寝ている場合ではない。
まずは、結婚式のあとの披露宴と友人関係を招いてのパーティーについて大筋を決めておかなければいけない。
親族だけで式と披露宴を行い、パーティーは別の祝日にするということだけはすでに決まっている。
本当は全部まとめて同じ日に終わるのが理想なのだけど、わたしの身体に負担がかかるからと、別の日にパーティーをしようと提案してくれたのだ。
別の日にするとなると、その分、遥が仕事を余分に休まなくてはならない。
それを承知の上で、日程を組もうとしてくれている遥の思いやりに、胸が熱くなる。
大学の友だちや遥のサークルの仲間、そして藤村や、昨年子供が生まれた夢美にも会えるチャンスだ。
高校時代の友人にも声をかけるし、もちろんやなっぺにも来てもらいたい。
やなっぺは二年間シカゴで勉強した後東京に戻り、今は大学に籍を置き、商業デザインの研究を続けている。
これからの世の中は商業デザインの時代よ! と鼻息も荒く熱弁を振るうやなっぺは、自然に優しいエコデザインをモットーにパッケージ製作やインテリアのみならず、手がけているジャンルはとてつもなく幅広い。
色使いのセンスやパソコンのスキルも買われて、ホームページの製作まで請け負っている。
自分でもいったい何が本業なのかわからないと言っているほどのモテモテぶりだ。
過去に仲良くしていた男友達との繋がりがここでも威力を発揮し、研究のためのデータもさまざまな現場から難なく集まると満足げだ。
やりたいことを見つけて生き生きと活躍しているやなっぺ。
藤村とはかなり打ち解けるようになったけど、大きな進展はないよと聞いていたのだが……。
遥のリサーチによれば、バスケの実業団に所属して東京にいる藤村と半同棲状態だというから、これまた信用ならない。
合宿所から抜け出しては、やなっぺのマンションに入り浸っているとの噂もある藤村。
このままだと全日本どころか、実業団すらクビになるのではないかと、ハラハラさせられっぱなしだと遥は嘆いている。
今では藤村の方が、やなっぺに夢中だとも……。
それを聞いて、びっくりするやら嬉しいやら。
やなっぺはわたしに、かなり控えめに近況報告をしてくれていたようだ。
遥とうまくいかず、寂しくアメリカ暮らしをしているわたしを気遣って、藤村とのラブラブ度をあえて低く伝えていた、というわけだ。
これは明日にでもやなっぺに電話をして、真実を白状させる必要がありそうだ。
それと引き換えに、わたしと遥の急展開も知らせなければならないだろう。
赤ちゃんが出来たよって言ったら、やなっぺはなんて答えるだろう。
帰国した経緯も、知らせていないから、きっと驚くだろうな。
やなっぺの幸せそうな顔、嬉しそうな顔、照れくさそうな顔、そしてわたしのびっくり情報に驚く顔。
一日でも早く彼女に会って、そんな七変化を目の前で見てみたい。