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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第七章 あかし
212/269

212.結ばれる心 その2

 いつものわたしなら、「父さん、信じて。こっそり日本に戻っていたわけじゃない。だけど、誰が何と言おうと、お腹の赤ちゃんの父親は遥なんだから! 父さんのわからずや! 」 と泣き(わめ)いて反論していたかもしれない。

 けれど、先生にもらった冊子にも書いてあるように、今は穏やかにゆったりとした気持ちで過ごさないといけない大切な時期なのだ。

 泣き(わめ)くなんてもってのほか。

 出来るだけ心静かに、差し障りのない程度に状況を説明することに徹しなければならない。

 なんだかプライバシーを全てさらけ出すようで、話す相手が親であればなおさら、気恥ずかしいことこの上ないのだが。


 遥が急に渡米して、わたしの元にやって来たことをかいつまんで話し終えると、そうか、とだけ言って、また黙り込んでしまった。

 そして、じゃあ俺が遥を迎えに行ってやると言った時には、何か魂胆があるのではないかと、不安に拍車がかかる。

 遥の顔を見るなり、殴るなんてことはないだろうか。

 この四年間、見向きもしなかったくせに、またもや娘をたぶらかしやがって! などと怒鳴って暴れていたらどうしよう。

 さまざまな乱闘シーンが目に浮かび、二人の様子が気になるあまり、のほほんと寝てなんかいられない。

 こんなことなら、無理にでもわたしが自分で迎えに行った方が、胎教にも良かったのではないかと後悔の念にさいなまれる。



 玄関の引き戸の音がガラガラと響き、いよいよ二人が帰って来たのを知る。

 その瞬間、心臓が凍りつきそうなほどの緊張がよぎり、彼らの言動を一言一句聞き漏らすまいと耳をそばだてた。

 あんなに会いたかった遥との再会が、こんな形で恐怖に変わるだなんて、悲しすぎるではないか。

 ところが、わたしの不安をよそに、遥がごく自然に父に話し掛けている声が聞こえてくる。


「おじちゃん、柊はどこ? 」 と。そして、「あいつの部屋だ。大事をとって寝かせている」 と今度は普段どおりの父の落ち着いた声が返って来た。

ああ、よかった。最悪の場面は避けられたようだ。

二人に(いさか)いの気配は全く感じられない。


遥が無事ここに帰って来てくれたのだ。

わたしが会いたくてたまらない人が、すぐそこにいる。

安堵のため息と共に全身の力が抜け、ようやくわたしに安らぎの時が訪れた。

部屋に駆け込んできた遥は、寝ているわたしのそばにひざまずき、心配そうな眼差しを向けてくる。


「柊、大丈夫か? 具合はどう? 気分は悪くないのか? 」


 遥がわたしの頬をそっとさすりながら、不安げな顔をして訊ねる。


「大丈夫だよ。どこも具合なんて悪くないんだから。ただちょっと、食欲がないだけ。だから、心配しないで。遥、帰って来てくれてありがと。突然のことでびっくりしたでしょ? 」


 わたしは今すぐにでも身体を起したいのを我慢し、横になったまま、にっこりと笑顔でそう言った。

 なのに遥ときたら。


「柊、ごめんな。側についていてやれなくて、ごめん……」


 神妙な顔つきで、今にも泣き出しそうなくらい声を震わせてそんなことを言う。

 遥、ちょっと待って。いくらなんでもそれは大げさすぎる。

 わたしはそこまで心配をかけるほど具合なんて悪くない。


 そうだ。こんなところにさも病人のように寝ているのがそもそもの誤解の元。

 妊娠していること以外、どこも異変はないはずだ。


 ただ今日は診察を受けるため外出したので、少し疲れてしまった。

 そしてほとんど食べていなかったので、少しふらついてしまったことを心配した母とおばさんがわたしの身体を気遣って、いや、お腹の赤ちゃんを気遣って、無理やり寝かされているだけなのに。


 わたしはこの湿っぽい状況を打破すべく大慌てで起き上がると、大丈夫だよとガッツポーズを決めて、すぐ側にいる遥に抱きついた。

 そして彼の耳元でささやいた。


「もうわたし、どこにも行かないから。ずっと、遥と一緒にいるね。赤ちゃんと一緒に、ずっと遥のそばにいる。心配かけて、ごめん……」


 ただ素直に、今思ってることを言っただけなのに。

 遥の顔を見たら、もう絶対に離れないって、そう思っただけなのに……。

 泣き虫遥は、わたしの肩の上で何度も鼻をすすり、声をかみ殺して泣いていた。


 遥? ここにいるの? と遠慮がちに部屋に入って来た綾子おばさんは、そんな遥を見て、あらまあとその場で目を丸くしている。


「……遥? 柊ちゃんのご両親に、きちんとご挨拶しなさいよ。本当に、この子ったら……。ロスの柊ちゃんのところに行ったのなら、そう言ってくれればよかったのに。今度柊ちゃんを悲しませるようなことがあったら、二度と蔵城家の敷居は跨げないと覚悟しなさい。遥、いいわね」


 遥の背中に向ってそう言ったおばさんは、わたしと目が合うと、ふふふと笑って、おまけに最後にウィンクまでしてここから出て行った。

 おばさんの思いがひしひしと伝わってくる。

 おばさんが遥に直談判して、わたしの気持ちを代弁してくれたことも規子姉さんから聞いて知っている。

 わたしが遥とこうやって一緒にいられるのは、皆の働きかけがあったからこそなのだ。

 感謝してもしきれない。


 今夜おばさんのことを、お母さん、って呼んでみようかな。

 ちょっぴり気恥ずかしいけど、いつまでもおばちゃんと呼ぶわけにもいかない。

 嬉しいような恥ずかしいような甘酸っぱい気持ちが、心の中をじわっと満たし始める。

 まだ信じられないのだ。こんな幸せな時が訪れるなんて……。


「柊、本当にごめんな。ずっと一人にして、寂しい思いをさせて。それでも俺を受け入れてくれた。その上、こんな幸せまで俺にくれて……。ありがとう。柊、本当にありがとう」


 遥の言葉が心に深く染み入る。

 いつしかわたしまで、あふれてくる涙を堪えられなくなり、混ざり合った二人の涙が、遥のシャツに、ぽたりとぽたりと流れ落ちていった。


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