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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第七章 あかし
210/269

210.愛のあかし その2

 緊張の中にも一筋の明るい陽が射し込み、安堵のため息がこぼれる。

 誇らしいような、嬉しいような。

 次第に満ち足りた気分になってくる。


 早く遥に知らせたい。

 あなたの子どもができたよと話したくてたまらない。


「よかったですね。えっと、申告されてた最後の月経周期から割り出した標準的な大きさに比べると、ベビーがとても小さいので、少し確認し辛い状況です。月経不順だとおっしゃってますので、排卵のタイミングが遅いとも考えられます」

「はい……」

「それと、非常に立ち入ったことで申し訳ないですが、蔵城さんは、独身でいらっしゃるようですが……」


 四十代前半くらいの女性のドクターが、受付時に書いた問診票を見ながら、淡々と訊ねる。

 そうだった……。

 わたしとしたことが、妊娠に気をとられすぎて、社会的な通念が全く抜け落ちてしまっていたことに気付く。

 気持ちの中では、遥とは生まれた時から家族同然なので、配偶者という認識がないまま今日に至る。


 先生の表情から、のっぴきならない様子を感じ取り、急に心臓がドクドクと騒ぎ出す。

 つまり、子どもをどうするのか? と暗に訊ねられているような気がしたからだ。


「あ、あのう……。まだ未入籍ですが、その、ちゃんと相手はいます。先生、わたし、産みます。彼の赤ちゃんを、産みたいです」


 あたふたしているわたしの心情を汲み取ってくれたのか、にっこり笑って手を握ってくれた。


「もちろんです。あなたと彼の大切な赤ちゃんを産みましょうね。では二週間後、もう一度検査をして、出産予定日などをわりだしていきましょう。こちらの冊子にいろいろ書いていますので、参考になさってくださいね。身体を冷やさないように、けれど、過度に神経質になる必要もありませんよ。この後、悪阻の症状が出る可能性もあります。個人によって度合いも違いますので、気になるようでしたらいつでも相談に来てくださいね」

「はい。ありがとうございます」


 妊娠初期の注意事項を教えてもらい、病院をあとにした。



 何と言ったらいいのだろう。

 このわたしが妊娠して、母親になる、らしい。

 まだ信じられないけど、わたしの中に命が宿っていると診断されたのは紛れもない事実だ。


 お腹にそっと手を当ててみる。

 何も変りはないように見えるけれど、逆に食欲が落ちた分、前よりもへこんでしまったように感じる。

 けれども、そこには確かに赤ちゃんがいるのだ。

 遥とわたしの赤ちゃんが。


 携帯を取り出し、遥に直接電話をかけた。

 すぐに電話に出て驚きの声をあげた遥だったが、最後には鼻をすすって泣いているようだった。

 たぶん、電話を切った後も、わたしの話は半分も理解できていないだろうと思う。

 だって、それはあまりにも奇跡のような出来事だったから……。



 家に帰り、診断結果を知らせた後の母の反応は、意外なものだった。


「おめでとう……」


 と言ったきり、複雑そうな顔をしている。

 何か言いたい、でも言えない……。

 二つの感情に揺れ動くさまが手に取るようにわかるほど、母の態度は落ち着きがなく、そこに心からの笑顔はなかった。

 大喜びとまではいかなくても、もう少し嬉しそうに受け止めてくれると思っていた。

 結婚という形をとらないまま迎えた妊娠に、多少昔堅気な所のある母が、難色を示しているようにも見えた。

 今夜は、父にも事情を説明しなければならないのだ。

 母だけでなく、わたしまでも身を堅くしてしまった。


「母さん、ごめんね。その、結婚前に、こんな結果になっちゃって……」


 わたしは努めて明るくそう言った。

 お腹にいる赤ちゃんには罪はない。

 わたしのところに来てくれてありがとうという気持ちには変わりはないからだ。


「いいのよ、そんなこと。私が子供が出来にくい体質だったから、あなたもそうだったら……とずっと心配してたの。だから、良かったと思ってる」

「母さん……」

「それで、お相手の方はなんて言ってるの? 知らせた? 」

「うん。喜んでくれたよ。電話の向こうで……泣いてた」

「そう。あの……。前に聞いていた、大河内君なんでしょ? だって毎晩電話してるみたいだし。大河内君はまだロサンゼルスにいるのよね? 」


 ええっ? なんでここで大河内の名前が出てくるのだろう。

 彼に再会したことは、この前に帰国した時に誇張のない程度に母に話していた。

 でも、まだプロポーズもされていない時だったし、彼との結婚なんて想像すらできない時期だった。


「母さん、何か誤解してない? 大河内君とは……。そういった深いお付き合いはないよ。それに、今は連絡も取ってないし」


 わたしはきっぱりと否定した。


「そ、そうなの? てっきり大河内君だと……。じゃあ、いったい誰? 赤ちゃんのお父さんは誰なの? もしかして、青い目の人、とか言うんじゃないでしょうね? 私、英語なんて全くわからないのに、どうしましょう、大変だわ……」

「だから、母さんってば。なんでそんな飛躍した話になるのか……」

「飛躍も何も、それ以外なら、誰だって言うの? 祐太さんの会社の人? そりゃあ、柊、あなたが選んだ人だもの。私は柊のことを信じてるから、その方と幸せな家庭を築いてくれるのなら、何も言わないつもりよ。たとえ父さんが反対してもね。まさか……結婚せずに一人で育てるとか。その覚悟で帰国したとしたら……」

「ち、ちがうって。母さん、あのね、わたしね……」


 ああ、言いにくい。

 喉元まで出かかっている彼の名前が上がったり下がったりする。


「さっき電話で言ってたんだけど」

「誰と? ああ、どんな人かしら。もう出来てしまったことは仕方ないんだから。その方が無職であったとしても、いやいや、歳の離れた父親みたいな人であったとしても、母さんはもう驚かないから。とにかくその方と一緒に子どもを育てなきゃ。さあ、正直に言ってちょうだい」

「あのね、そしたら、今晩、ここに来るって」

「あらまーーー。大変だわ。ってことは、もう飛行機に乗ってるの? 素早いわーー。じゃあ、仕事中かもしれないけど、お父さんに知らせなきゃ。今夜いらっしゃるのよね、その方」


 わたしがアメリカに渡ってすぐに携帯電話を使い始めた母は意外にも慣れた手つきで携帯を操作し始めた。


「あ、ちょっと待って! あ、あのね、どんなに遅くなっても、絶対に今夜中に、ここに帰ってくるって……は、遥が、言ってた」

「そうなのね。どんなに遅くなってもその方が……って、へっ? はる君が? え、なんで? どうして、はる君も呼んだの? その方と知り合い? 」

「遥も、じゃなくて、遥を呼んだの」

「どうして、はる君を? え? ええええ? 」


 母がきょとんとした顔でわたしを見る。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔って、まさしく今の母のような状態のことを言うのだろうと、今はっきりとそう思った。



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