206.生きること、愛すること その1
セントレア(中部国際空港)に夕刻に着きリムジンバスと電車を乗り継いで実家に向う。
実家は近畿地方にあるけれど、セントレアでも距離的には問題のない地域だ。
都合のいい便を時と場合によって使い分けているため、今回はたまたま関空着ではなく、セントレアだっただけのこと。
名古屋名物のういろうを三箱と味噌煮込みうどんのパックを買った。
うどんは父の大好物だ。やっぱり食べ物はなつかしい日本の物がいい。
遥が帰国した後、一週間程経ってから裕太兄さん夫婦が戻ってきた。
わたしが帰国して実家で暮らすことに決めたと言うと最初はとても驚いていた。
急にどうしたの? 何かあったの? ここだと窮屈? などと全く関係のないことで気遣ってくれる。
私たちはいつまでもここにいてもらってもかまわないのよ、柊ちゃんはもう私たちの家族なんだからと言って、何度も引き止めてくれた。
わからずやのはる君がいる日本に、わざわざ帰る必要はないとまで言ってくれた。
彼らの留守中に遥がここに来て、和解したことを二人は知らないのだ。
あれほど会いたくないだの、彼の幸せを願っているだのと偽善者ぶったことを言っておきながら、実は復縁しました、だから日本に帰ります……だなんて、恥ずかしくて言えるわけがない。
でも、もうごまかしきれないところまで来てしまった。
なぜならば、頻繁に行き来していた大河内が一度も顔を見せないことに、二人は疑問を抱き始めていたからだ。
「この頃顔を見ないわね。大輔さんは、仕事が忙しくなったのかしら? 」
「いや、そんな事はない。昨日も定時には帰ったはずだが。そういえば心なしか元気がないようにも見えるが」
そんな二人の会話にドキッとする。
「柊ちゃん、この頃彼と会ってる? 外でデートしてるの? 」
「いや、そういうわけじゃ……」
「あら、じゃあケンカした? ふふふ。そうやってお互いを理解し合って、より一層仲良くなっていくんだからね。まあいいじゃない、普通よ、普通」
ある意味、あの三者の対面はケンカと言えないこともない。
ただし修復不可能な、絶縁レベルの衝突だ。
大河内とは二度と会うこともないし、彼の存在すら無いものとしてこの先を生きていく覚悟だ。
「そうだ、今度の週末、大輔さんを呼んで、バーベキューでもしましょうよ。そしたら二人とも元気になるかも。仲直りのいいチャンスよ。日本での話も伝えたいし。ね、そうしましょう」
「あ、あの……。大河内君とは……」
とうとう、これ以上黙っているわけにもいかず。
勇気を振り絞って事情をすべて話したところ、初めはなかなか信じてもらえなかった。
あの品行方正ですべてにおいてパーフェクトな大河内を差し置いて、冷酷残忍な遥とよりを戻したなんて、どうかしてるし、理解不能だとまで言われる。
東京で遥に会った時も、頑なな態度を取り続け、話にならなかったと言う。
仕事ついでにおまけ程度に柊の様子を見に来ただけだろうと、遥の行動を疑うばかりだった。
ところが電話で直接遥と話してもらった結果、退職覚悟で渡米を申し出て、上司の温情で出張扱いになり柊との再会を果たせたこと、そして、自分の今までの傲慢な態度についても深く反省していることなどを知ると、裕太兄さんも規子姉さんも、わたしの気持ちを応援する方向に次第に傾き始める。
あの頭でっかちの遥が、ようやく素直な気持ちで自分を見つめ直すことができるようになったね、と。
迷ったけど、正直に話して本当によかったと思った。
それからは、率先して帰国の手続きや荷造りを手伝ってくれた。
お世話になった人たちを招いて、お別れパーティーを開催してくれたりもした。
思い出作りにと、三人でグランドキャニオンに旅行にも行った。
アメリカに渡ってからあんなに笑ったのは初めてだった。
心から楽しい日々だった。
こんなにも親身になってわたしを側に置いてくれた二人には、一生を掛けて恩返しをしたいと思った。
将来、助けが必要になった時、両親はもちろん、この二人の恩人にも手を差し伸べるつもりだ。
以前この話をしたら、そんなのまだまだ先よ、心配いらないからと言いながらも、規子姉さんは涙を流していた。
その気持ちだけもらっとくと言って、寝室に消えて行った祐太兄さんの震える後姿も、絶対に忘れることはできない。
大河内のことは放っておけばいい、俺にまかせておけ……と帰国当日の朝、祐太兄さんが笑いながら言う。
フリーになったあいつを手放しで喜んでいる女性陣がどれほどいると思う? あんなモテ男の心配なんてするだけ無駄だ。気にするな、と。
失恋の一度や二度くらい乗り越えられないで、社会の荒波を渡ることが出来るものか、とも。
失恋と言っても彼には会社のファンの人だけでなく、しぐれさんもいる。
彼の方こそ、もう迷うことなく彼女の手を離さずに、生きていって欲しいと心から願うばかりだ。
わたしが使わせてもらっていたゲストルームは、しばらくはそのままにしておいてくれるそうだ。
サイドテーブルの上には、旅行で撮影した三人の写真が所狭しと飾られている。
その部屋から出る時、アメリカでの四年間の出来事が次々と思い出され、涙で滲んで写真が見えなくなった。
丹精をこめて育てた庭の花も、風に揺れながら、またおいでと言って見送ってくれているように見えた。
わたしが搭乗ゲートをくぐる時、ちぎれそうなほど手を振ってくれた二人の姿が、ずっと目に焼きついて離れない。
今度来る時は、遥と一緒に来るからね。
裕太兄さん、規子姉さん、お元気で。本当に本当に、ありがとう!
わたしは、空港内に響き渡るくらい大きな声でそう言って、二人と別れた。
読んでいただきありがとうございます。
3/30に拍手コメントを下さった方。活動報告にてお返事をさせていただきました。
どうもありがとうござました。