205.新たな始まりの時に その2
「俺も一緒だ。柊が決断したことを尊重してやるのが俺の愛情だ、なんてカッコつけてた。それが一番カッコ悪いことだと気付くのに四年以上かかってしまった」
「そっか。わたしの決めたこと、ちゃんと受け止めてくれてたんだね。お互いのためによかれと思ってしたことが、逆に二人とも、不幸のどん底でもがき苦しむだけだった……。えっと、あの、遥……」
わたしは遥に一番訊きたいことをずっと口に出せないままいることに、そろそろ限界を感じ始めていた。
こんなことを訊くのは変だということは百も承知だ。
でも知りたくてたまらない。
知らない方がいいとわかりきっているのに、訊きたくてたまらいないことがある。
「なんだ? さっきから、何か言いたそうだよな。この際だ、何でも言えばいい。訊きたいことがあれば言えよ」
身体を横たえながら向かい合っている遥が、わたしの目を覗き込み、そう言った。
「あ、うん。でも、その……」
「何? 言っちまった方が楽になるぞ。なあ柊、俺は明日、早朝にここを発って、任務をこなさないとだめなんだ。またしばらくはアメリカと日本、遠く離れ離れになる。ならば今のうちに心を軽くしておいた方がいいぞ。俺も覚悟は出来ている。何も隠し事はしないし、柊の知りたいことは、何でも言うつもりだから」
「遥、ありがとう。じゃあ、訊くね。あの、その。しぐれさんとのことだけど……」
わたしは遥の手をぎゅっと握りながら、恐る恐る訊ねた。
「しぐれさん? ああ、そういうことか。俺は彼女と婚約までしていたんだ。そのことだろ? 」
「うん。なんか、胸が苦しいんだけど。でも知りたいの。あのね、遥としぐれさんは、その、やっぱり婚約してたんだし、恋人同士の関係っていうか、その……」
実際見たわけでもないのに、頭の中を駆け巡るさまざまな恋人同士の睦まじい映像の数々が、わたしを苦しめるのだ。
「柊。おまえの言いたいことはわかる。そうだよな。俺が彼女とどういった関係だったか、気になるんだよな。何もなかったと言えばいいのかもしれない。それが柊への思いやりだというのなら、そうするべきなのだと思う。でも、何もないと言って、おまえが納得するのか? 」
「ううん」
わたしは首を横に振った。
自分の身に置き換えてみても、それはないと言える。納得できるわけがない。
ましてや婚約までしてしまった二人なら、何もない方が信じられない。
苦しいけど、それは遥の言うとおりだと思う。
嘘の思いやりなんて、今のわたしにはいらない。
「大河内と一緒だよ。最後の一線は越えてない。そんな雰囲気に呑まれそうな夜もあった。でも、違ったんだ。俺の伴侶はしぐれさんじゃなかった。彼女じゃなかったんだ。それはしぐれさんにとっても同じで、俺は彼女の伴侶じゃなかった。でも、俺の気持ちはもう決まっているから。たとえ柊が大河内と深い関係になっていたとしても、奪い返す気持ちでいた。俺たちって、そんないっときの戯れで壊れてしまうような、もろい関係じゃないよな。違うか? 」
「遥……はるか……」
また涙があふれてしまう。
次から次へと流れる涙が、枕カバーを濡らす。
遥の目が、声が、腕が……。
しぐれさんを包み、抱きとめたとしても、それはもう過ぎたこと。
そんなことを詮索していては前に進めないこともわかっていた。
わたしが大河内と深い契りを結んでいたとしても、それでも、そんなわたしでも、共にいたいと遥は言ってくれた。
もう充分だ。
すべてを投げ打つ覚悟ではるばる海を渡ってわたしのもとに駆けつけてくれた遥。
今ここに彼がいることが、わたしが求める答えだと思った。
遥の胸にまで涙を滴らせ、声をあげて泣いた。
嫉妬と哀しさと苦しさと、そして安堵と喜びまでもがごちゃ混ぜになった涙が溢れ出て止まらない。
「柊、もう泣くな。泣くなよ」
わたしは返事をする代わりに、よりいっそう強く彼にしがみつく。
「よかった。柊の心の中に、まだ俺の居場所が残っていて……。言っとくけど、もう二度とこんな思いをするのはごめんだ。こんな俺だけど、これからずっと共に生きていってもいいか? 」
わたしは遥の腕の中でこくこくと頷いた。
「柊、あのな。俺、職場の上司に約束したんだ」
遥に抱きしめられたまま、じっと耳を澄ませる。
「絶対に彼女を日本に連れて帰りますと、きっぱり宣言してきた。俺の妻になる人は、柊、おまえしかいないから……」
彼の胸から伝わってくる声の響きに身体中が包まれる。
幸せだ。
わたしの夫になる人は、遥、あなたしかいない。