196.ちゃんと僕を見て
柊視点になります。
遥視点と柊視点が、ほぼ同時刻で平行に展開していきます。
次回は遥視点になります。
読みにくいところもあるかと思いますが、ご了承くださいますようお願い致します。
何度も何度も寝返りを打ち、目を閉じてみても、ついに朝まで眠ることは出来なかった。
わたしは今、自分の部屋のベッドの上で、ひとり横たわっていた。
昨夜の大河内を思い出すと、彼と顔を合わせるなんて、到底無理だと思った。
部屋をノックする音が聞こえる。きっと彼だ。
昨夜ここに泊まってくれた大河内がわたしの様子を見に来たのだろう。
「……柊、起きてる? おはよう」
ドアの向こうから、大河内の声が聞こえる。
彼は決して、自分からこちら側に入ってこない。
そんな決心が彼の言葉に込められているのがわかる。
「夕べは……ごめん。悪かった。今朝はとりあえずうちに帰るよ。今夜また来る」
「わ、わかった……」
わたしは寝たままの体勢でドアに向かって答える。
「一人で大丈夫? 」
「うん、大丈夫」
大河内は今夜また、ここに来てくれると言う。
あんなにひどい仕打ちをしたのに、本気で言っているのだろうか。
あんなにも彼を傷付けたのに?
大河内の足音が部屋から遠ざかっていく。
階段を下りて、玄関に向かったようだ。
「大河内君、ちょっと待って! 」
わたしはベッドから身体を起こし、彼を呼び止めた。
けれど彼には聞こえなかったのだろう。玄関ドアを開ける音がした。
彼は車で来ていないはずだ。
路線バスだって時刻表どおりに来るとは限らない。
わたしはベッドから飛び起きて、パジャマのまま一階に駆け下りた。
「大河内君、待って! 車で送るから」
玄関のドアを開けて、大声で叫んだ。
通りの途中まで歩き出していた彼が、驚いたような顔をして振り向いた。
「僕はいいよ。バスで帰るから。柊は夕べ、あまり寝てないんだろ? ゆっくりしたらいい。今夜の夕飯は、僕が何か買ってくるから心配しないで。じゃあ」
そう言って右手を挙げると、そのまま大通りに続く角を曲がって行ってしまった。
自分の部屋に戻り、二階の窓から彼の姿を探す。
けれど、もうどこにも彼の姿は見当らなくて、あきらめたわたしは、再びベッドにもぐりこんだ。
昨夜の大河内は、完全に別人だった。
リビングから強引にゲストルームに連れて行かれ、あっという間にベッドに押し倒されていた。
その後に起こることくらい簡単に想像がつく。
今更拒絶したところで、いつかはこの関門を突破しなければならないのだ。
わたしは覚悟を決め、腹をくくった。
大河内の首に腕を回し、わたしの方から彼に口付けた。
こんなことは、もちろん初めてだ。
遥にも、こんなに積極的になったことはない。
大河内も、わたしのあまりにも大胆な行動に驚いたのだろう。
目を見開き、不思議そうにわたしをじっと見つめる。
あまりにも見つめられるものだから、急に恥ずかしくなり、ぎゅっと目を閉じて彼にすべてをゆだねたとたん、後はすっかり大河内のペースに巻き込まれていった。
彼のあまりにも激しい行為に、自分の状況など顧みる余裕もなく、いつの間にか衣服も乱れ、彼にしがみついているわたしがいた。
ふと訪れた静寂の合間に、大河内が優しい目をしてわたしの髪を撫でた。
「柊。なんてかわいいんだろう。こうなる日をずっと夢見てた。柊、いいんだね、もう後へは戻れないよ。愛している……」
そう言って大河内が、そっと口付けてくる。
首から胸へと、彼の唇が滑り落ちていく。
ていねいに、そして優しく。
彼が私自身をくまなくさまよい始める。
大河内……くん。ここにいるのは、本当に大河内くんなの?
わたしは彼の髪をまさぐった。
違う。彼じゃない。大河内君じゃない。
じゃあ誰? いったい誰なの?
はるか……。
遥なのね。ああ、遥。来てくれたんだ。
やっと迎えに来てくれたんだね。
でも、どうして今ごろ……。
はるか、はるか。会いたかった。こうやって抱いて欲しかった。
あなたを、今でもこんなに愛しているのに。
どうして今日まで姿を見せてくれなかったの?
どうしてわたしをここから連れ出してくれなかったの?
はるか。
はるか。
ねえ、はるか……。
目の前のその人が、急にわたしに視線を向けたかと思うと、突然悲しそうな目になり、そのまま胸に崩れ落ちてきた。
そこからくぐもったような声が聞こえてくる。
「柊。どうして、泣くんだよ……。なんでそんなに震えてるんだ? ……イヤなのか? 僕の事、きらいになった? 」
遥ったら、何を言ってるのだろう。
あなたのことが嫌いになるわけないじゃない。
泣く? 誰が泣いてるの?
それに、震えてなんかいない。
遥、あなたに会えて、こんなにも、嬉しい、のに……。
「柊、どうしたんだ? 僕を見て? ちゃんと僕を見るんだ。お願いだから、泣かないで……」
わたしは、すがるような目をしたその人を見た。
遥じゃない。
でも、確かに遥がいたはずだ。いや、遥だった。
なのに、どうして?
どうして大河内なの?
わたしは状況が呑み込めず錯乱したまま目の前のその人の頬を指でなぞってみた。
「柊。もう、いいよ、これ以上無理しなくても……」
そっと手首を掴まれると、大河内はわたしの上から離れて隣に仰向けになった。
そして彼を見ようと横を向いた時、左目の目頭を伝って右目の下瞼に沿うように流れていく自分の涙に、初めて気付いた。
泣いていたのだ。わたしは本当に泣いていたのだ。
大河内に全てをゆだねると決心したはずなのに、わたしはそれを無意識のうちに拒絶していた。
けれど、確かに遥を感じていた。
遥がわたしを呼んでいた。
間違いなく、遥がここにいたのだ。
「大河内君、ごめんなさい。わたし、どうしたのかな。あなたにこんなに愛されてるのに、なんで泣いてるの? もう一度……。大河内君、今度は泣かないから。お願い、もう一度……」
もう一度、愛して……とありったけの勇気を振り絞って懇願する。
大河内が急にこちらに向き直り、再び覆いかぶさってきた。
わたしは深く息を吸い込み、目をつぶった。
そして彼の背中に手を回した……が。
彼はわたしの額にかすめるように口づけたあと、立ち上がってシャツを羽織り、シーツごとわたしを抱きかかえた。
そのまま廊下に出て、隣のわたしの部屋へと向かう。
ゆっくりとベッドに下ろされ、おやすみと言って大河内がそこから立ち去った。
部屋の隅のスタンドライトが、ぼんやりと灯っているだけの薄暗い中で、彼の表情を読み取ることは至難の業だ。
でも、最後にちらっと見えた彼の横顔が、凍りついたように無表情で強張っていたのは、見間違いではなかったと思う。
とうとうこの夜は、彼と一線を越えることはなかった。
それが彼にとって、どれほど辛く屈辱的であったかは語るまでもないだろう。
厄介な女に捕まったものだとあきれているかもしれない。
別れを切り出されるのも時間の問題かもしれない……。
そうされても仕方のない態度をとってしまった張本人は、このわたしなのだから。
でもあの時、本当に遥の声が聞こえたのだ。
聞き間違いなんかじゃない。
柊、迎えに来たよ、と彼がわたしに言ったのだ。
そんなことは、決して現実には起こりえないことだとわかっていても、奇跡を信じてしまう。
心のどこかで、まだ遥を待っている自分がいることを思い知った夜だった。
やはり大河内との結婚は、無理なのかもしれない。
彼の腕の中で考えるのは、遥のことばかり。
目を閉じて思い浮かべるのは、遥のなつかしい笑顔ばかりだった。
遥。教えて欲しい。
わたしはいったい、どうすればいいの?
そして迎えた朝。
大河内は、今夜またここに来ると言う。
昨夜のことは許してくれるというのだろうか?
ならば、今夜こそは。今夜こそ、大河内の胸に素直に飛び込むべきなのだろう。
そう、遥の心には、もうわたしの居場所はない。
遥は、しぐれさんと……。結婚するのだから。
大河内が帰ったあと、わたしは朝日が差し込むベッドの上で、ようやくまどろみ始めた。
読んでいただきありがとうございます。
拍手コメントをいただき、ありがとうございました。
活動報告の方にお返事させていただきましたので、ご覧いただけると嬉しいです。