193.忘れられない恋 その2
中学時代、わたしが雪見しぐれのファンだと言ったら、大河内もそうだと言って意気投合し、急激に仲良くなったのを思い出す。
その頃のわたしは、まだ遥への想いに気付いていなかったのもあって、大河内と本や映画のことを話すのがとても楽しかった。
こんなに気の合う男の子がいるなんて、思いもしなかったのだ。
わたしの周りにいる知っている男の子といえば、遥と藤村くらいだ。
遥は中学生になった頃からいつも機嫌が悪かったし、趣味も全く合わない。
けれどクラスの仲間たちには、明るくてひょうきんなやつとして認定されていて、人気者だった。
わたしには冷たいのに、どうして他の人には優しいの? といつも不満ばかり抱いていた。
今思えば、わたしだって、充分に遥に嫉妬していたのだとわかる。
自分で気付かないだけで、遥のことが大好きだったのだ。
遥のことをそんな風に思っていた時代に、大河内の存在は驚きの連続だった。
世の中には、本当に王子様みたいな人がいるんだとしみじみと思ったものだ。
でも彼に対しては、尊敬と信頼以上の感情は育つことはなく、程なくして遥へ特別な気持ちに目覚めてしまい、おまけに遥の信じられないほどの愛情、いや、独占欲で大河内を遠ざけられてしまうのだから、王子様との関係は進展のしようがなかった。
「ふふふ……。なつかしいな。そういえば、しぐれさんのファンだって話もよくしたよね」
「そうだな。あの頃が一番よかったのかもしれないね」
「うん。毎日、楽しかった」
「ああ、楽しかったよ。君と仲良くなれて、天にも昇る気持ちだったよ。遠い昔の話さ」
「そうね。そして、月日が経って、あなたとこうして一緒にいる」
「そう。そうだ。でも……。堂野がしぐれを紹介してくれた時、あいつは、僕に嘘をついたんだ」
またもや厳しい表情に戻った大河内が吐き捨てるように言った。
「うそ? 」
「ああ、そうだ。君がアメリカに渡ったことを、一切、僕に教えなかった。随分長い間、知らないままだった。もちろんしぐれもそんなことは言わない。彼女は僕が柊のことを思っていると知っていたからね」
「あ……」
「柊、僕の言いたいこと、わかるよね? 僕は、見事に偽恋人同士の二人に、嵌められた、ってことなんだよ」
「嵌められた、だって? それは違うと思う。遥は……。あのね、遥は、わたしが一方的に別れようと言ってアメリカに来たから、その、まだ気持ちにふんぎりがついていなかったのかもしれない。というか、わたしのことを話題にしたくなかっただけなのかも。遥に悪気はないはずよ。多分……」
きっと、そうだ。彼に悪気はないはず。
しぐれさんの希望に応えただけだと思う。
ごく自然に、そしてあたりまえのようにそんなことを口にしたわたしは、大河内の顔つきが一瞬のうちに変ったのを見逃さなかった。
「かばうのか? おまえは、堂野をかばうんだな。はるか? ヤツの名前をそれ以上言うな! 僕の前でヤツの名前を二度と呼ばないでくれ! 頼む、柊……」
「お、大河内君……」
「柊は誰にも渡さない。堂野は、もう君のことなんて、なんとも思ってないんだ。だから、だから……。もう、あいつのことは忘れてくれ、頼むから……」
あまりにもきつく、力の限り抱きしめられたわたしは、呼吸すらもままならず、彼の激しい嫉妬の叫びに恐怖すら感じる。
なんてバカなことをしたのだろう。
取り返しのつかないことを言ってしまったのかもしれない。
そうだった。大河内は、わたしの大事な人なんだ。
これから一緒に人生を歩んでいこうと決めた人。
なのに、その人の目の前で過去の男性の名前を連呼した上にかばうだなんて、これ以上にひどい仕打ちは、いまだかつて見たことも聞いたこともない。
大河内にとっても、遥は身近な存在なのだ。
リアルに想像できる男のことなど、何も聞きたくないのが本心なのだろう。
でも。どうしたというのだろう。
さっきから常に遥のことばかり考えている。
遥はこうだったとか、遥だったらこうしたとか……。
遥のことは、とっくにあきらめたはずなのに、この期に及んで、何をやっているのか。
こんな調子で、本当にこの先、大河内を愛することができるのだろうか。
「大河内君、ごめんね。わたし、あなたを傷つけるつもりはなかったの。もう二度と彼のことは言わない。昔の過ぎ去ったことは全て忘れる。だから、許して。お願い……」
大河内の胸に頭を預け、許すと言ってくれるのを待つ。
すると、よりいっそう抱きしめられている彼の腕の力が強くなる。
耳元で告げられた大河内の冷ややかな声が、鋭くわたしの胸に突き刺さった。
「今夜、おまえの心から、ヤツのすべてを消し去ってやる。許すのは、それからだ……」
わたしの早鐘のように打つ心臓の鼓動と、時を刻む秒針の音だけが、静まり返ったリビングに鳴り響いていた。