19.恋の遍歴 その2
「ふーーん、でもなんかあやしい。あんたら、何か隠してるやろ? なあ、みんな言うてるやんか。うちかって、奥さんのいてる人も含めて、四人と付きおうたって教えたんやから。不倫はあかん、ゆーて、うちをまともな世界に連れ戻してくれたんはやなっぺ、あんたやで。そんな百戦錬磨なやなっぺが何もないやなんて誰が信じる? 次はあんたが言う番やで。さあ、ほんまのこと、言うてみ」
「だから、本当に何もないんだってば」
「ったく、あんたって人は。もうええわ。酔っ払いは引っ込んどき。なあなあ、柊さん。遠慮せんでもええから、やなっぺのこと教えて。この子な、人のことばっかりあれこれ世話焼くくせに、自分のこと、何も言わへんねん。絶対、何か胸に秘めてるやろ? 」
「ええ、まあ……」
よったんの言うことはかなり的を得ている。
わたしはずっと高校時代のやなっぺを見ていたから、当時の恋愛模様もすべて知っている。
けれど……。
やなっぺの純粋な初恋の気持が無残にも打ち砕かれただなんて、やっぱり言えない。
彼女の心の傷をこれ以上痛めつけることはわたしにはできない。
わたしが板ばさみになって困っているのを感じ取ったのか、よっこらしょと座り直し、やなっぺ自ら重い口を開いた。
「もう、ホント、よったんには負けたよ。あたしの過去話なんて聞いたって、ちっとも面白くないのに……」
「別に面白がってるわけやないで。やなっぺかて、うちらに何でも言うてくれたらええねん。一人で抱え込んでても何もええことあらへん。でもな、そんなに言いたないんやったら、別に言わんでもええねんけどな」
そうは言っても、やっぱりよったんは不服そうだ。
「はいはい、わかりました。では言います。よったんにも、沢木にもこのことはまだ言ったことないけど……。あたしは高校時代の初恋の人に、恋する心を全部奪われてしまったのであります。よって、現在進行中の恋もなければ、今後も恋愛する予定もなしという、お先真っ暗な青春の日々なのでーす! 」
酔っているのか正気なのか、本当のところはわからないけれど、やなっぺは、はっきりとみんなの前でそう言った。
藤村以上の男はなかなかいないと常々こぼしていたことは、やっぱり冗談ではなかったようだ。
「へぇー。やなっぺって、意外と純情乙女だったんだぁ。てっきりあたしと同じで、男、とっかえひっかえやってんのかと思ってたのにさぁ」
「と、とっかえひっかえって……。沢木ったら、まったくもう! 」
「でも、その初恋の人って、なんかぁ、すっごく気になるぅーー。ねえねえ、ひいらぎちゃんってば。知ってるんでしょ? やなっぺの初恋の人。どんな人なの? 教えてぇー。お願いーー! 」
結局わたしが答えなければいけない空気感が漂い始める。
やなっぺが自分から言ったことだし、少しくらいなら藤村のことを話しても許されるだろうと思ったわたしは、明るくてやんちゃな藤村を思い浮かべ、沢木さんとよったんに話し始めた。
「あの……。やなっぺの大切な人は、背がすっごく高くて、スポーツマンで。とってもユニークな人だよ」
やなっぺが安心したようにふっと小さくため息をついたのがわかった。
わたしが何か余計なことを言うとでも思ったのだろうか。それなら大丈夫だ。
やなっぺが辛い思いをするようなことは何も言わないから、安心して欲しい。
「へえ、そうなんだ。意外とノーマルなんだね。で、その人、カッコいいの? でもスポーツマンってことは、きっと素敵な人なんだろうな。いいな……」
沢木さんはこういった話が大好きみたいだ。
目を輝かせて、身を乗り出してくる。
でもカッコいいかと訊かれても、どう答えればいいのかとまどってしまう。
確かに、バスケをしている彼は人目を惹く素晴らしいプレーヤーだった。
けれど、彼よりも遥の方がわたしにとっては何倍も素敵だったのも事実だ。
あっ。いけない。これだとのろけ話になってしまうではないか。
今ここで遥のことを考えるのは辞めた方がよさそうだ。
落ち着いて、落ち着いて。
わたしは自分に言い聞かせながら、客観的に見た藤村をイメージすることに集中した。
「多分、その……。運動神経抜群で、カッコいい人だと思うよ。いや、誤解しないでね。実はやなっぺの初恋の彼は、わたしの実家の近所に住んでいて。幼稚園のころから知ってるから、あまりそういう目で見たことがなくて……」
やなっぺが控えめにうんうんとうなづいている。
「性格はさっぱりしてて、頭も良くて、中学の体育教師目指して頑張ってる。本当はバスケのプロの選手になりたいみたいだけど、実現するのは難しそうだからって言ってた。あっ、この話は彼から直接聞いたわけじゃなくて、遥から聞いたんだ。彼と遥は一番の親友同士だからね。わたしもやなっぺをずっと応援してるんだ。うまくいってくれると、いいなって……」
わたしの話を最後まで聞いていたよったんと沢木さんが、何かを悟ったのだろうか。
それっきり固く口を閉ざして、何も訊ねてこなかった。
やなっぺは、一ヶ月間だけ藤村と付き合ったはずだけど、それはカウントされていないようだ。
やなっぺの一方通行の恋だったからかもしれない。
藤村は今でも夢ちゃんのことが好きなのだろうか。
わたしの中学時代の親友だった彼女は、短期大学音楽部で声楽を学んでいる。
最近全く彼女と会っていないので断定はできないが、夢ちゃんが藤村になびくことはまずないだろうと思っている。
高校生の時、藤村から二度目の告白をされた夢ちゃんが、はっきりとそう言っていたからだ。
藤村君とは絶対に付き合えないと。
同じく幼稚園の頃から彼を知っている夢ちゃんは、今さら彼を男性として意識することは絶対に無理なんだと話してくれた。
夢ちゃんとは正反対の性格をしたやなっぺだけど、藤村の心のどこか一部にでもやなっぺが入り込める余地はないのだろうかと思わずにはいられない。
一途で友達想いなやなっぺ。
芸術的なセンスもたっぷりと持ち合わせ、その才能は計り知れない。
少し誤解を招く恐れのある自称友人男性との関係にさえ目をつぶれば、やなっぺこそ藤村にぴったりの相手だと思う。
飲んで食べて。しゃべり疲れたのか、だんだんみんなの元気がなくなってきた。
時計を見ればもうすぐ深夜の零時だ。
眠いけれど、お世話になっているわたしがお礼の意味もこめて、後片付けを引き受けるべきだろうと決意する。
ここの後始末はわたしに任せてと言って、みんなは先に寝るように促した。
「そんなあ、ひいらぎちゃんだけにお願いするなんてダメだよ。あたしも手伝う」
「そやそや。みんなでやったら、早く片付くやん。さあ、やなっぺもしっかりと目え開けて、働きや」
よったんが、船を漕ぎ出したやなっぺの背中をパンと威勢よく叩いた。
ほんの一瞬、ハッとした顔をしたのもつかの間、再びとろんとした目をこすりながら、やなっぺがよたよたと立ち上がる。
すると……。
玄関のチャイムが鳴った。
一気に覚醒したやなっぺを筆頭に、みんなで怪訝そうに顔を見合わせる。
静まり返ったリビングに、もう一度チャイムの音が鳴り響いた。
よったんがすっと立ち上がり、リビングの壁に取り付けてあるインターホンの画面を見ながら通話ボタンを押す。
そして、再び念入りに画面を凝視した後、外にいる誰かと話し始めた。