189.婚約の先にあるもの その1
しぐれとの結婚を決意した数日後、遥は知り合いのスタッフに頼んで、ある人物と接触を図った。
その人物、佐山拓は、遥との対面に驚きはしたものの、その意味を悟ったのか意外にも冷静に話し合いに応じた。
佐山がしぐれに対して抱いている気持ちは、あながち嘘ではないようだった。
あこがれの人だった、女優としてはもちろん、人としても尊敬している……と成人男性の顔をしていっぱしの口を利く。
嘘のつけないやや子供じみた言動をする佐山は、遥にとっては案外扱いやすい部類の人間に属する。
遥は言い切った。しぐれには二度と手出しするな、と。
すでに佐山が調べ上げている、しぐれと大河内の関係も事実であることを認めた。
それでなくても失恋の痛手で心身ともに弱っているところに、脅迫とも取れる佐山の電話攻撃で、しぐれが精神的に崩壊寸前であることも告げた。
医師の診断書と通話履歴は証拠として残しており、これ以上実害を加えるようなことがあれば、法的手段にでると淡々と語った。
もうすでに過去の人となりつつある遥や一般人の柊のことを世間に公表したところで、今さら誰も興味をもたないだろうとも説いてみた。
黙って話を聞いていた佐山は、このまましぐれに執着し続けても、何も得にならないと判断したのだろう。
頭を抱え、苦悩の表情を滲ませながら、しぶしぶ遥の申し出を呑む。
そして、雪見さんが精神的におかしくなってしまったのは本当なのかと遥を問いただす。
しぐれとのドラマの共演が終了した後、電話でのやり取りしか接触がなかった佐山は、彼女の体調不良は交際を拒否するための言い訳だと思っていたらしい。
近々新作映画の製作発表が行われるので、その時のしぐれの姿を見れば一目瞭然だと言って、佐山をたしなめる。
そして。しぐれのことは、この先自分が支えていくつもりだとさらっと付け加えた。
佐山は突如顔を上げ、驚いたように目を丸くして遥を見た。
「あんた、まさか、本気で言ってるんですか? 」
「まさかも何もない。言葉通りだ。とにかくしぐれさんを追い詰めるのはもうやめてくれ。それと、俺の親族にもこれ以上かかわるな」
遥は佐山を真正面から見据え、もう一度はっきりと釘を刺す。
「ったく、俺って、何やってんだろ……」
堂野さん、俺って滑稽ですよね、なんてちっせー奴なんだ、あははは……と佐山の口から、自虐的な笑い声が漏れる。
「もう俺たちの世界にいないはずのあんたなのに、いつも堂野遥の亡霊と戦っている俺がいた。雪見さんは、ずっと俺のあこがれの人だったんですよ。それで、彼女と共演できて、俺まで偉くなったような気がして。図に乗った俺は、雪見さんと付き合えば、あんたみたいに世間から注目されて、将来、もっといい役がついて。俺の地位が上がるような、そんな勘違いを起してしまったんだ。雪見さん、あの男と別れて、ちょうど俺にチャンスが巡ってきたと思ったんだけどな。とんでもない茶番だった。まさか、本当にあんたが彼女のそばにいたとはな……。誤算だったよ。大きなお世話かもしんねえけど、あんた、本気で彼女を支える気? 」
遥はまだ疑惑の目を向ける佐山を無言のまま睨みつけた。
「お、おい、そんなに怖い顔すんなよ。まあ、どっちにしたって俺には勝ち目はないってことがわかった。悔しいけど、俺、あんたに負けたよ。冷静に考えりゃ、俺なんかに雪見さんが振り向くわけないってわかってんのにな。俺、なんてことしちまったんだろ。訴えられても仕方ないよ。でも、俺。彼女のこと、本当に好きだったんだ。だから彼女を辛い目に合わせるのは俺の本望じゃない」
佐山の目に偽りはなかった。しぐれを好きだという気持ちは、本当だったのだろう。
ただ、やり方がまずかったのだ。
すべてをぶちまけた佐山が、遥の前から去っていく。
勝利の女神はついに遥としぐれに微笑えんだはずなのに、彼の心は晴れないままだった。